第233話 そしてなる

「さて、彼女を呼び出す前にお礼を言わせて。あなたと出会ってから楽しかったわ。おかげで人間としての最後の期間を幸福に過ごすことができました。ありがとう」


 ウル師匠はそういうと、少しだけ悲しそうに微笑んだ。

 お礼を言うのは僕の方だ。

 ウル師匠にはいろんな事を教わったし、随分と助けられた。そして、なによりその存在が僕の心を温かくさせた。

 僕がこうして生きているのもウル師匠のおかげだ。

 なにか言いたいのだけれど、感謝を表す言葉も、幸運を祈る言葉も、僕の決意も上手く纏まらず、鼻の奥のツンとする感じだけが吐息に混じって出て行く。


「おかげで、随分と後ろ髪を引かれるけどもうお終い。これをブラントに渡してちょうだい」


 ウル師匠はそういうと、僕に獣皮の巻物を差し出した。

 これを受け取れば別れが近づく。それでも僕は逆らいきれずに巻物を受け取る。

 ズッシリと重く、中には魔力が内包されていた。

 僕がそれを無言のままリュックにしまい込むと、ウル師匠は深い息を吐いて頷く。

 自分の選択肢が正しいのか確信が持てないまま、それでも踏み越えて進む者の特有の所作だ。それはいつも正しい彼女が初めて僕に見せた弱さだった。

 なにか言葉を。

 今を逃せば永遠に届かなく成ってしまう愛すべき人に、少しでも気持ちをつたえなくちゃ。

 しかし、いつも嫌になるほど回る頭も、軽薄な言葉を吐くことに長けた舌も普段の様には働いてくれずに、僕は黙って下唇を噛んだ。

 と、ウル師匠が手招きをし、僕は誘われるまま彼女に抱きついた。

 僕がしっかりしているところを見せなければ。

 少なくとも涙なんか見せては駄目だ。

 頭では解っていながら、逆のことばかりが表に現れる。

 耐え切れない嗚咽を漏らし、ウル師匠の優しい手が僕の頭を撫でる。

 思考は混乱し、唇が乾いた。

 時間が流れるという当たり前の事がひどく恨めしい。


 ※


 ウル師匠は一号を呼び出すと、二つ、三つの申し伝えをして、空間を開けて消え去った。

 室内には虚脱感に塗りつぶされた僕と、不機嫌な表情の一号が残された。

 

「次にやったら私が勝つからね」


 唇をとがらせて一号は呟く。

 今回、ウル師匠は対一号戦の準備をぬかりなく行っていた。そうでなければ、地力に勝る一号の方が有利というのは厳然たる事実である。

 だけど、僕にはウル師匠が負ける所なんて想像できなかった。

 僕がなにかを言いあぐねて黙っていると、一号は再び口を開いた。

 

「ねえ、君が私を助けてくれたこと、忘れないから」


 一号は複雑な表情のまま、ウル師匠が座っていた椅子に腰掛ける。

 ウル師匠は一号に対して、僕が嘆願するから仕方なく復活させたと告げたのだ。

 

「でもね、それでも私は君と一緒にいたいの。ちゃんと会いに来てくれる?」


 不安そうな表情で僕を見る一号に、僕は頷いてみせた。

 一号は強い。

 魔力を自在に用いる魔力生命体が濃度の高い魔力に身を浸しているのだ。

 彼女に勝てる存在は希有だろう。少なくとも、僕の想像力の範疇には僅かな例外を除いて存在しない。

 それでも、彼女の心は僕なんかよりもよほど純粋なのだ。

 魔物になったとしても、彼女を支えてあげたい。それも本音だった。

 二人の間に気まずい空気が流れる。

 

「よし、子供を作ろっか」


 沈黙を破った一号の言葉が壁にあたり、跳ね返ってきて僕の足下に落ちる。

 その落ちた言葉を僕はしばらく見つめていた。

 十秒ほど経って、ようやく僕の目は床から離れて一号の方を向いた。

 

「え?」


 聞き間違いだ。

 だとすれば正しい言葉をもう一度聞かなければならない。

 

「子供を作ろう」


「え?」


「だからね、ほら男って結局子供のいる女の元に戻ってくるともいうし、そうすれば私も退屈しないし」


「ちょっと待ってね」


 僕は慌てて一号を止めた。

 ちょっと何を言っているのかわからない。

 しかし、そう言われて素直に待つ一号は可愛かった。


「僕は生身の人間で君はその……魔法生物じゃない。ええと、子供って出来るの?」


 僕は一体なにを聞いているんだ。

 だけど、いろいろと聞きたいことがありすぎてどこから踏み込んでいいのかサッパリ解らなかった。

 

「交合なら出来るわよ。体の作り自体は人間の女と変わりないから。でも、その結果として子供が出来るわけではもちろん無くて、偉大なる父バイロンが私を作ったように魔力を固めて新たな魔物を生成するのよ」


 あっけらかんと言う。

 だけど、僕は今まで一号が普通に性行為を行えるとは知らなかった。

 いや、知っていたとしても何もしないんだけど。本当に。今まで知らなかったことを惜しいとか思っていない。思っていないったら断じて思っていないのだ。


「へえ、それで君の子供を作るんだね」


 僕は視線が一号の体に吸い寄せられそうになるのを耐え、勤めて平静を装った。

 とにかく、それで彼女の無聊が慰められるならいいじゃないか。

 

「話しをちゃんと聞いてよ。二人の子供を作るの。私と、あなたの子供。そうじゃないとあなたを引き留められないじゃないの」


 鼻息荒く言い、一号は僕の腕を掴む。

 

「どういうこと? 僕と、その……したって子供は出来ないんでしょ?」


「魔力で作るんだから、私とあなたの魔力を混ぜ合わせるの。ついでに魂もね。きっと、可愛い子が出来るわ」


 嫌な予感しかしない。が、すでに腕はがっちりと握られていて、振り払おうにもびくともしなかった。


「魔力を抜くときは辛いだろうし、魂を削り取るのは危険だけど死なないでね。それだと本末転倒だから」


 次の瞬間、声をあげる間もなく激痛に襲われ、僕は自分の選択を呪った。

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