第232話 決断

 一号が消滅した。

 その事実は僕の心にのしかかる。


「亜空間に落としても、すぐに死ぬわけじゃないわ。とくに彼女は栄光のメダルを蓄えているし。でも、長くても数日で完全に消滅する」


 ウル師匠は額の汗を拭いもせずに僕に告げた。

 その顔は生気に満ちた普段の顔とは違い、ひどく老け込んでいる。


「つまり、今なら彼女を救い出すことも可能ね。助けたい?」


 いつもの優しさを含んだ声とはまるで違う、ただ意志だけを確認する冷たい話し方だった。

 でも、一号を助けたいかと言われたら、もちろん助けたい。

 僕は彼女のことを友人として大好きだった。

 そんな僕の言葉を、射すくめるようなウル師匠の視線が押しとどめる。


「あなたは今、一生に関わる重大な選択を迫られているのよ。時間はあるからゆっくり考えなさい」


 息苦しいのか、喘ぐように呼吸しながらウル師匠は肩を上下させる。

 たしかに一号の存在は僕を迷宮に留めつける巨大な楔だ。

 彼女がいなければ僕が奴隷の身分から解放されることへの障壁は圧倒的に少ない。

 でも、それを取り除いてくれた師匠が自ら、戻してもいいと言っている。

 ウル師匠の言うとおり返答次第に依って、僕の人生は大きく変わる。

 言われるとおり冒険者を引退するのであれば……。

 

「お願いします。一号を戻してください」


 いろんな理屈をすっ飛ばして、僕は哀願していた。 

 一号もまた、僕にとって失いがたいものの一つだった。


「彼女に寿命はないけどあなたにはいろんな期限があるわ。あなたが去った後のことを考えれば、彼女の為にもあなたの為にも、今ここで眠らせてあげた方が幸せじゃない?」


 ウル師匠が言うことはいつも正しい。

 僕が死ねば結局は一号は一人になってしまう。

 それだったら今この場で消滅をさせた方が彼女の為……いや、違う。

 それは僕の都合だ。

 彼女がどう生きて、どう死ぬか決める権利が僕にあるはずも無い。


「一号を助けてください」


「そうすることであなたが幸せに出来たはずの人を不幸にするかもしれないわよ?」


 念を押すウル師匠の言葉は、僕が間違えていることを気付かせたいようだった。

 それでも。

 シグが誘う旅への可能性が潰えても、愛してくれる人の存在には替えられない。

 かつて、テリオフレフを助けられなかった僕が、今ここで彼女の似姿をした一号を見捨てれば、僕の中の大事なものも一緒になくしてしまう。


「どうか、お願いします」


 僕の気が変わらない事を確認すると、ウル師匠はため息をつく。


「そういうあなただから、彼女に愛されるんでしょうね」


 呼吸が整い、汗も引いてきたウル師匠は普段の雰囲気を取り戻しつつあった。

 ウル師匠は亜空間を開き、中から着替えの服を取りだす。


「迷宮と縁を切らないというのなら、追加で最後の講義をします。一号の様に膨大な魔力を貯められない人間なりの戦い方を模索しなさい。神を殺す方法を出来るだけ多く準備して、そうして誰にも知られないように隠しておくの」


 それが、ウル師匠の場合は今回の戦い方だったのだろう。

 そして、秘すべき手段を見せてくれたのは弟子への優しさだ。そこまで思ってくれているにもかかわらず、僕は手を払いのけて教えを拒もうとしている。


「ご指導に添えなくてごめんなさい」


 あまりの申し訳なさに深々と頭を下げた。


「本当よね」


 そう言いながら、ウル師匠の表情が晴れやかなのは僕の気のせいなんだろうか。

 

「あなたが私を討伐に来たのなら返り討ちにするからね」


 冗談っぽく言うとウル師匠は汗に濡れた服を脱ぎ裸体を晒した。

 一片の贅肉もなく、魔力をたたえた肉体は月の光の用に美しく、ルガムとは別種の美しさだと僕は思う。

 

「それから、もし成り果てて魔物になってしまったら私を捜しなさい。お説教した後、また弟子にしてあげるから」


 言いながら、新たな服に袖を通す。

 そう言われると、魔物に成るのも悪くない気がするから困る。

 と、優しそうなウル師匠の表情が急にまじめなものに変じた。


「ただし、できる限り抗いなさい。あっさり来る様なことがあればお説教は長いものになるわよ。そして、理想としては二度と会わないことを願います」


 言い終わると、表情はすぐに柔らかい物に戻った。

 着替え終わると、ウル師匠はさて、と言って立ち上がる。

 

「ブラントから聞いたわ。首飾りは使ったんですってね」


 僕がウル師匠の弟子になった日、記念に貰った首飾りは死んで灰になってしまったルガムを助けるときに使ってしまった。

 

「ごめんなさい。でも、破片はまだ身に付けています」


 僕は服の中から鎖を取り出す。壊れたヘッドの部品もそのままぶら下がっているし、千切れた破片も自宅に保管してある。


「あら、ありがとう。捨ててくれてよかったのに」


 ウル師匠はそれを見てうれしそうに微笑んでくれた。

 捨てられるわけがない。他ならぬウル師匠が身から離すなと言ったのだ。僕は死ぬまで持っていようと思っている。

 

「こういう時が遠からず来るのは分かっていたから、いろいろと準備していたのよ」


 ウル師匠はどこからか袋を引っ張り出すと、中から腕輪を取り出した。

 淡く燐光をこぼす腕輪はこの世の物質とは思えなかった。

 

「これは私からの卒業証書代わりね。あなたを色々なことから護ってくれるわ。そうしてこっちが卒業祝い。首飾りをこれに代えなさい」


 いつの間にかもう片方の腕に一枚の金属片も握られていた。

 白く、鈍く光る金属片には複雑な文様が浮かんでおり、端には穴があけられている。

 これは護符だ。

 僕は腕輪と護符を受け取ると、腕輪を左手に装着し、首飾りの鎖に護符を通した。

 どちらも強烈な魔力が込められているのが分かる。

 

「よかった、よく似合ってる。高く売れると思うけど、けっして手放さないようにね」


 ウル師匠の冗談に僕は思わず苦笑してしまった。

 魔力とともにウル師匠の想いが込められている贈り物を、どうやったって僕が手放せる訳もないのだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る