第223話 不可逆
ナフロイの太い指は器用に動き、籠手の整備が終わるのに時間は掛からなかった。皮を張り付け、糸で縫い、曲がった鉄片を交換する。
そうして出来上がった籠手を無造作に放り投げると、ナフロイはこちらに向きなおった。
「で、そっちの小僧は誰だ?」
巌のようなナフロイの顔が動き、視線がシグに向けられる。
横に立っている僕だって圧迫感を感じて息苦しくなるのだ。直視されたシグが言葉を出せずに口をパクパクさせているのも仕方が無いだろう。
「あの、彼は僕の……友達で」
横から口を挟むのだけど、ちょっと照れくさい。
「シ、シガーフル・マネっていいます。俺、あなたのこと、ずっと憧れていました!」
ようやく石化が解けたシグが自分で名乗った。
妙にたどたどしい口調なのは威圧感にあてられてか、憧れの存在に感動してか。
「……憧れか。そりゃ嬉しいな。俺もお前の名前は聞いてるぜ。売り出し中らしいじゃねえか」
ナフロイが笑うと、シグは照れたように俯いた。
お土産の酒樽を受け取ると、ナフロイは立ち上がってベッドに腰を掛ける。
「来て貰ったのは、ウルからお前への手紙を預かっていてな。それを渡したかったんだ」
ウル師匠はナフロイと組んでいるのだから、呼ばれた時点でウル師匠に関わることではないかと予想はしていた。
「手紙、ですか」
自慢じゃないが、僕はウル師匠の事が大好きだ。
ウル師匠に呼ばれれば深夜だろうとこの都市のどこへでも掛けていくくらいの気持ちはある。だから、手紙なんてまどろっこしい手段は不要で、僕を呼び出して要件を申しつければよいのだ。
それが可能であるのなら。
ナフロイが僕に差し出したのは皮を巻物状に巻いたものだった。
それなりに太く、ずしりと重さがある。
「先に言っておくが、ウルは俺たちのパーティを抜けた」
ナフロイは楽しくなさそうに言うと、土産の酒樽を手に取り、直接口に流し込む。
パーティからの離脱。
穏やかなウル師匠の事だからナフロイや他の仲間と喧嘩をして、と言う事ではないだろう。
では、引退か。そんなワケもない。
もはや迷宮からは離れられないのだと本人が言っていた。
僕は巻物を縛っている紐を解くのももどかしく、それを開いた。
『親愛なる弟子へ
最後にお話ししたいことがありますので、急ぎ迷宮まで来てください。地下十五階にある彼女の部屋で待っています。
ウルエリ』
短い文章を綴る文字は、確かにウル師匠のものだった。
頭を棍棒で殴られたような衝撃に、僕は崩れ落ちそうになる。
シグが支えてくれなければそのまま膝を着いていただろう。
「あの、ナフロイさん。ウル師匠は……」
僕が問うとナフロイは酒臭いため息を吐いた。
でも、僕はまだ信じたくない。想定する以外の理由が彼の口から出るのを待った。しかし、結局は予想通りの答えが返ってくる。
「もう地上には戻らない。成り果てたんだ」
心臓が巨大な手に握りつぶされたように息苦しくなる。
ウル師匠がついに迷宮に取り込まれたのだ。
迷宮に入ったのが野生の動物であれば、二度と出て来ないで、ひたすら地下を目指す。
人間は例外的に迷宮から脱出するのだけど、繰り返す内に順応が進み、だんだんとそれが億劫になるのだ。そうして、地上への帰還を放棄したときにその者は人間ではなくなる。
「ウル師匠を連れ帰ることは出来なかったんですか?」
僕はどうしても我慢できずに言ってしまった。
『鋼鉄』ナフロイとその仲間たちでウル師匠を無理矢理にでも連れて帰ってくれればよかったのに。そんな事を想わずにはいられないが、同時にそれがとんでもなく無責任な発言だとも自覚している。
「……うるせえ、用は終わりだ。さっさと失せろ」
ナフロイは既に飲み干した樽を僕の足下に投げつけた。
酒樽は箍が外れてバラバラに崩れる。その中から、強烈な蒸留酒の匂いが立ち上り、僕はむせてしまった。
「ほら、行くぞ!」
不機嫌なナフロイに驚いたシグが僕の肩を掴む。
僕もそれ以上、なにも言えなくなって彼に従うしかなかった。
部屋を出ながら振り向くと、ナフロイの視線はまだ僕たちを見ている。
不機嫌には違いないが、その目の光は怒りとはほど遠い。
仲間を失うことへの寂しさか、自らも遠からず人間ではなくなる恐怖か、まだ選択肢が残る僕たちへの嫉妬か。いずれにせよ、僕には慰める手段はない。
「今からすぐ、ウル師匠に会ってきます」
そう言って扉を閉める。
最後の瞬間、ナフロイの顔が泣き笑いに歪んだのは気のせいだっただろうか。
※
「シガーフル隊は五日ほど休む予定だったからメンバーが集まるかな」
宿を出てすぐに、シグがぼやいた。
まるで、同行するのが当然という態度に、僕は嬉しくなる。
ナフロイには、ああ言ったものの自分のパーティを持たない僕には、地下深く潜る手段がなかったのだ。
それに、久しぶりにシグと冒険できると思えば、ウル師匠の件で沈んだ心も少しだけ軽くなる。
「ギーは家にいるだろうから呼んで来いよ。後衛はステアに声を掛けるとして、あと前衛がもう一人だな」
シグは歩きながらパーティ構成を考えている。
彼も顔が広くなったので、心当たりも何人かいるのだろう。
「シグ、悪いんだけどさ、僕の事情を知らない人は除外してもらえるかな」
ウル師匠が待つというのは一号の間だ。そんなところに知らない人間を連れて行けば僕と一号の関係が公にされるかもしれず、それは嫌だった。
それに、知らない人がいると禁術の使用も制限されてくる。
今は無性に、出せる限りの力を振り回したかった。
「え」
しかし、僕の発言にシグの足が止まった。
「おまえの事を知ってる前衛って、ベリコガのオッサンくらいしかいないぞ」
あまりにも微妙な人選に、僕もシグの隣に並んで首を捻ってしまった。
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