第219話 特攻!
「バ、バ、バ……バカですって?」
一号に汗腺があればきっと冷や汗を流していたことだろう。
それくらい、衝撃的だった。
「か、仮にもバイロンの娘にしてその技能を継承する私に向かってバカって言ったわね!」
バイロンの名前を聞いた途端、アンドリューは鼻で笑った。
「あれ、君ってあのヘンテコ吸血鬼の娘だったんだ」
半笑いのアンドリューに一号の堪忍袋は引き裂かれて中身をぶちまける。
偉大なる父を笑うのはいい。それは一歩譲って我慢しよう。しかし、父の件で自分を笑うのは到底許容出来なかった。
「あんたね、そんなダサい刺繍を入れたローブを着て人の親を笑うんじゃないわよ。だいたい、なんで花柄なの。オシャレのつもり?」
「チューリップはオシャレだろう!」
アンドリューは絶叫した。その体はふらついていて、今にも倒れそうだ。
単なる悪口が効いており、アンドリューの体は輪郭も曖昧になるほどに精神集中が乱れている。
それでも踏みとどまる姿を見て、一号は認識をあらためた。
とんでもない強敵だ。投げかけられた言葉に集中を乱されながらも一号は結界を重ねる。
低レベルな口論が交わされる間にもハイレベルな魔力闘争は続けられており、互いに魔力による結界、障壁、罠などを高速で組み立てながら、相手のそれを解呪していく。
およそ人間には対応不可能な速度で行われるやり取りは周囲の空間をグニャリと曲げて、さらに濃度を上げていく。
「ていうかそれ、どうしたのよ。お店に持って行って頼んだんじゃないでしょうね。そんなもん頼まれた職人さんも戸惑ったでしょうね。どうしてわざわざダサくするのって!」
その一言でアンドリューの外見は一気に薄くなった。
同時に結界生成の手も止まったので一気に切り崩していく。このまま押し切って空間ごと消し去ってくれる。
そうほくそ笑んだ一号に、追い詰められたアンドリューが言葉を投げかけた。
「……ブス」
躊躇いがちに投げかけられた言葉は一号の根幹を強烈に殴りつけた。
そんなワケがない。テリオフレフの造形を貰っているし、彼も美しいと誉めてくれる。
必死に誤魔化そうとするのだけど、ついに一号は崩れ落ち、膝を着いた。
「せ、世界が滅んでもアンタを殺すわ。絶対に」
一号は凄惨な顔をしてアンドリューを睨み付けると、地面を蹴って跳躍した。
遮る障壁も、結界も、罠も真っ正面から貫きながら進み、体を削られながらも術式をかき消す。
アンドリューの結界が大幅に減じていた事が幸いして、一号は完全に消滅するよりも先に獲物を掴むことが出来た。
「死ね、大馬鹿野郎!」
大魔力を乗せた拳がアンドリューの体に突き刺さり、魔力体を完膚なきまでに打ち砕いた。
同時に手で触れた箇所から魔力を吸収し、一号は自らの体を再生する。
アンドリューのローブは主を失い、地面に落ちるものの、空間には再び魔力が寄り集まり出した。
魔力生物は殺しづらい。我が身を持って知っている事ながら、一号はため息がこぼれる。
集まり掛けた魔力球を再び叩き散らすものの、場所をかえてアンドリューは再生を続ける。
この男は自分をブスと言った。
許してなるものか。滅ぶまで続けてやる。
しかし、一号の決意も虚しく、横やりがその作業を中断させた。
桃色の肉片と藍色の肉片をグチャグチャに混ぜてこね合わせたような魔物は、やはりリッチを狙って現れたのだろう。
腐肉の巨人と呼ばれる魔物で、猛烈な腐臭をばらまくため一号は相手にしたことがなかった。
巨人の緑色の石をはめ込んだような目はじろりと動いて一号を捕らえる。
人型を持ち、ある程度以上巨大化した魔物の事を巨人と言うが、腐肉の巨人も人型には違いない。ただ、足が自重を支えられないのか、赤ん坊の様に地面をはいずりながら動いている。
なにかの皮膚を剥き取った様な体は膨張と収縮を繰り返しながら、剥落と再生を繰り返しており、剥がれ落ちる表皮の穴はその都度、肉が盛り上がって再生を続けている。後ろを見れば這ってきた道には腐った肉片が転々と落ちていた。
「失せなさい。ここにはあなたの獲物はないわよ」
一号が声を投げかけたのだけど、言葉を理解できる思考力は備わっていないようで、進行を止めることはない。
周囲の魔力を吸い、復元しようとするアンドリューを打ち散らし、傍らで魔力を変換した。
魔力生命体のアンドリューには効果が薄くとも、実体を持った魔物には魔法攻撃が効く。
高熱を込めた魔力球を三つ練り上げ、飛ばすと腐肉巨人は猛烈な炎に包まれた。
腐肉巨人は外に向けて生えたような牙が守る口から大きな雄叫びをあげもがき苦しむ。その体は端から炭化していき、ポロポロと崩れていく。
しかし、それも一瞬の事で、炎が消える前から再生が始まっており、炎が消えると一呼吸の間に復活してしまった。
さすがに地下も深いだけあって、魔物は相当にしぶとい。それでも一対一なら何のことはない魔物である。
しかし、アンドリューと同時に相手にしなければならないとなれば話も変わってくる。
次の魔法を練ろうとした瞬間、アンドリューへの意識が薄れてしまった。
一号が慌てて魔力を散らそうとした時には遅く、アンドリューはあっという間に身体の具現化に成功していた。
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