第218話 美男美女人外
魔法生命体の一号は唯一の友人が尋ねて来るとき以外はヒマなので、基本的には迷宮内をフラフラと出歩くのを日課としている。
そういった意味では通常の魔物と大差ないのだけれど、最大の違いとして魂を持たない彼女は迷宮の誘惑から完全に無縁でいられた。だから深層にも行けるし、上層にも行ける。
多くの魔物、あるいは人間がひたすら深層を目指すようになることからすれば、彼女の性質ははっきりと異質だといえた。
ただし、周囲の魔力を利用し、他者の魔力を喰らうことからある程度深層に居る方が体の調子もいいし食いでのある獲物も多い。
この日も地下四十階をフラフラしながら食べ歩きに興じていた。
他者を結晶化させる粉末を飛び散らすキノコを踏みつけて魔力を吸い上げると、一号は異変に気づいた。
周囲の魔力が通路の向こうに向かって勢いよく流れていく。魔力は濃厚な方から薄い方へと流れて行く事はあるものの、通常はそよ風程度の勢いであるので、何かしらのイレギュラーだ。
一号は暇つぶしのネタを見つけたと喜び、広大な範囲で魔力の濃淡を走査する。
すると、迷宮の一角に異様に強烈な魔力が固まっており、そこに向かって空間の魔力が引き寄せられていた。
「リッチ……かな?」
一号は首をかしげた。
リッチは高位の悪霊であり、他者の魔力を吸うという点では一号と同類であるものの、一号が他者に内在する魔力を吸うのに対して、リッチのそれは周囲に存在する他者から空間まで見境がない。
故に、存在する階層にしては異常な程の力を誇るのだが、喰えば莫大な量の魔力を得られるので他の魔物に徹底して狙われるのだ。
そのため、なにかのきっかけで受肉したとしても引っ切りなく押し寄せる魔物の大群に打ち倒される事が常であるので、実際に遭遇するのはなかなか珍しい魔物である。
「じゃあ私も一つ、呼ばれてみようかな」
独り言ちて一号は魔力が流れる方に駆け出した。
ボヤボヤして他の魔物に喰われてはたまらないので、飛ぶように移動していく。
いくつかの曲がり角を曲り、目的の通路に入ると、ようやく目的の魔物が視界に入った。
淡く燐光を放つ人型の悪霊、リッチは魔力で固めた体に、実物のローブを羽織っている。
「おおっと……」
近づいた影響か、一号を構成する魔力までが崩壊してリッチの方に流れ込んでいく。
慌てて魔力の性質を変えると、魔力の流出が治まった。魔力の吸い合いでは分が悪くても、魔力の操作技術で負ける事はあり得ない。
と、リッチはゆっくりと一号の方に目をやった。
切れ長で優しそうな目つきは妖しく流れ、やがて蕩けるように微笑む。
「やあ、君は……知っているぞ。誰だったか。ええと、そうテレオフリフだ。生きていたんだね」
一号はムッとした。自分は確かにとある美女をモデルに形作られているものの、別人であるし、何より名前を間違えている。
「テレオフリフじゃなくてテリオフレフよ。そして私はテリオフレフでもなくて、一号。間違えないでね、アンドリュー」
リッチに転生した魔法使いの話を一号は友人から聞いていた。
チューリップの刺繍を施した魔法使い用のローブなど他に聞いたこともないし、それを羽織ったリッチがそう何体もいるものか。
「わかったよ、一号。これでも物覚えはいい方なんだ。美しい君の名はずっと覚えていてあげるよ」
冷たく、美しい笑みをしかし、一号は鼻で笑った。
魔力体である彼女にとって造形の美醜など問題ではない。内在する邪悪さのみが鼻について仕方が無かった。
「あなた、彼から聞いていた通りの存在ね」
一号の言葉にアンドリューの形のよい眉が跳ね上がる。
「彼って、誰?」
その表情は明らかに怯えを含んでいて、一号は面食らってしまった。
「誰って、私の友達の魔法使いだけど」
それを聞いてアンドリューはあからさまに安堵していた。
「ああ、そっちか。なるほど、奇遇だね。その子とは僕も友達なんだよ」
「え、あなたの事を気持ち悪いって言ってたけど」
その一言でアンドリューは凍り付いた。
「そ、それは彼の事を理解していないよ」
ややあって、アンドリューが呻くように言葉を絞り出した。
端正な顔立ちはそのままに額に青筋を浮かべているのは、器用な真似であると一号は思う。そもそもアンドリューを構成する体は魔力であって、その中に血管なんて埋まっていないのだ。
「あら、それは心外ね。私はもう随分と長い時間を彼と過ごしているのよ。言うならパートナーなの。しっかり理解してるわ。少なくとも二、三回会っただけのあなたよりもね」
「相棒だからって気持ちが通じるワケじゃないだろう!」
アンドリューの悲痛な叫びには一号も思わずたじろいだ。自分の死にあたってさえ冷静だったというこの男が取り乱すのは一体、なんなのか理由を把握しかねる。
アンドリューはそんな一号を無視して言葉を繋いだ。
「それに時間だって関係ない。彼が絶望した後、寄り添ってあげられるのはきっと僕だけなんだよ!」
「彼があんたなんか頼るワケないでしょう。何があったって、私を頼ってくるに決まってるじゃないの。それに、あんたは彼に殺されたんですってね。信じられない雑魚じゃない。よく恥ずかしげも無く大物みたいな雰囲気出せるわね!」
一号の罵倒に、アンドリューの顔が引きつった。
人間だった頃から、群を抜く異形であった彼はこんな舌戦に巻き込まれた事が無かったのだ。そのため大天才魔法使いの頭脳にはこういう場合に用いる適切な言葉が少ない。
わなわなと震える唇からはとんでもない言葉が飛び出していった。
「うるさい、バーカ、バーカ、バーカ!」
迷宮の深層において、超高度な魔力技能を持つ者同士の低レベルな舌戦の火ぶたはこうして切られたのである。
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