第212話 緩速落下

 道筋から外れろ。逸脱の先にあるものを見るんだ。

 僕は重たい板を蹴り押して隙間を作ると、穴をのぞき込む。

 

「はあ、落とし穴。よう見つけたね」


 モモックが感心して僕の尻を叩いた。


「以前ね、落ちたことがあるんだよ。さっきも話した、死んだ友達はこの下で見つけたんだ」

 

 僕はコルネリをしっかりと抱いて、魔力を練った。

 

「そら、思い出の穴やね。女はすぐ忘れるち言うが、男は突っ込んだ穴のことを忘れきらんちいうもんね」


 モモックは下卑た冗談を言って笑うのだけど、僕は無視して魔法を唱えた。


『浮遊』


 僕とモモックの体に見た目上の変化はないものの、効果は出ているはずだ。

 アンドリューが編み出した魔法で、落とし穴を踏んでも急激には落下しない効果がある。

 とはいえ、ゆっくりは落ちていくので、あくまでも通過中の落とし穴に落ちずに通り過ぎる為の魔法だ。

 穴の上に踏み出すと、魔力で作られた足場が僕の体重を受け止め、やがて下がっていく。

 

「この穴に降りようと思うんだ」


 僕が言うと、モモックもピョンと飛んで落とし穴に飛び乗った。

 

「いいやん。どうせならもっと先まで行こうや」


 そうして、僕とモモックとコルネリはゆっくりと地下三階まで落ちていった。


 ※


「これ、なかなかもどかしいもんやね」


 モモックがピョンピョン跳びはねるのだけど、落下速度は変わらない。

 もう随分前から目の前に見えている地面に足が着かず、ゆっくりと落ちていた。

 モモックはせわしなく手足を動かしていたのだけど、ようやく地面に着くと嬉しそうに飛びはねている。

 迷宮には何カ所か、思い出深い場所があるのだけど、ここもその一つに違いない。

 今は何も落ちていないけど、初めて来たときにはワデットの死体が転がっていた。

 その側で僕はルガムに求婚したのだけど、いま思えば自分の死を悼む振りもしない友人に、ワデットはどう思ったことだろうか。

 とにかく、ワデットはここで死に、今はなんの痕跡も残していない。

 僕が神を持っていれば祈りもしたのだろうけど、残念ながら僕には信仰心が欠落しており、祈り方も知らない。

 ただ、彼女の顔や声を思い出して偲ぶだけだ。

 しばらく地面を見ていると、ふと泥の中に何かを発見して拾い上げる。

 泥の中から出てきたのは長い紐だった。

 汚れてしまい、一見しただけでは解らないけどそれは編紐で、僕はその編み方に見覚えがあった。


「なんな、そりゃ」


 モモックがしたから見上げるように僕を見ていた。


「紐だね。たぶんワデットの」


 僕は言いながら、それもすっかり忘れていたワデットの特徴を思い出す。

 そうだ。彼女は長い髪を首の後ろで束ねていた。

 そして、その時に使うのが彼女の出身地方では氏族ごとに編み方が異なる編紐だったのだ。

 下唇を噛み破り、血が顎まで流れていた。

 迷宮で死んだ冒険者の所持品は魔物達が奪い合う。

 服や鎧、武器は特に好まれるのか宝箱に入れられていることも多い。

 だけど、この薄汚れた編紐の一本には魔物達も興味が湧かなかったのだろうか。

 一年前に、彼女の死体から一部でも持ち帰らなかった事を悔いた僕の為に、ワデットが残してくれたような気さえする。 

 鼓動が高鳴り、長い紐をクルクル巻くと、そのままズボンのポケットに突っ込んだ。


「価値のあっと?」

「僕にはね」


 おかげで少しだけ後悔を取り戻せた気がした。

 

「そんなら、そろそろ行こうや。いつまでもこがん所におって上からなんか降ってきたら嫌やけんね」


 モモックはそういうとさっさと歩き出す。

 僕も、心の内でワデットに別れを告げ、後に続いた。



 地下四階、五階と降りていき、そこでやっと僕は死霊術の発動に成功した。

 倒したばかりのワーウルフ達が起き上がり、僕の命じる通りに動く。

 コボルトが順応を進めたこの魔物は頭部も犬のそれから雄々しい狼のものになっており、支える体も子供の大きさから成人男性ほどに巨大化している。

 あわせて戦力も浅い階層のコボルトよりずっと強力になっているのだけど、地下五階ではむしろ弱い部類の魔物である。

 それでも、一挙に三匹の前衛が揃ったので、僕は胸をなで下ろした。

 

「なあん、やれるやんね」


 モモックも手を打って喜んでくれた。

 

「そうだね。僕の場合、自分の中に有る魔力じゃなくて周りの魔力を使うから、薄いのがよくなかったんだろうね」


 僕は大きく息を吸う。

 細胞の一つ一つに魔力が染み込んで行くようで心地いい。

 アンドリューは地下二階で死霊術やゴーレムの取り出しどころか、莫大な魔力を必要とする魔族の召喚までやってのけたのだから、自分の不甲斐なさにはため息しか出ない。

 と、コルネリが唸りを挙げて通路の先を睨んだ。 

 通路の奥から、魔物がズラズラと近寄ってきてた。

 密やかな身のこなしと、僕に魔力を感じさせない特殊性。

 僕たちに立ちふさがったのは、遙か東からやってた死霊術師が作り上げたという魔物、キョンシーだった。

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