第189話 強酸性

 現れた巨体の悪魔へ、真っ先に切りかかったのは意外にもマーロだった。

 魔物のオドロオドロシい外見が彼女のいう人間らしさを振り切ったのかもしれない。

 高い位置にある悪魔の首を狙うそぶりを見せつつ、刀身は悪魔の足首を切断した。

 しかし、バランスを崩したのは一瞬で、一呼吸の間に欠損は復元される。

 もともと魔力と死体を依り代にして現れた魔物で、生物と言うよりは現象に近い。現象に一般的な常識を当てはめるのが愚かなのだろう。

 悪魔が延ばした手はマーロに迫り、その死角から忍び寄ったルガムの棍棒が二本の右腕を打ち砕いた。

 悪魔は表情の読めない目で打撃を打ち込んだルガムを見つめていたのだけど、その腹をシグの長剣が貫き、視線を落とす。

 

「うわ!」


 シグが慌てて長剣を引き抜き、後ろに飛び退く。

 傷口から滴る粘度の高い体液が地面に落ちると小さく爆発した。

 

「痛え、っつうか熱い!」


 シグは剣を慌てて鞘に納めると小手を外して投げ捨てる。

 おそらく何らかの激物であろう体液が染みた小手は地面に落ちた衝撃でバラバラに砕け、シグの素手も哀れに爛れていた。

 悪魔族の体液は毒性が強いと知識としては知っていたのだけど、なるほど触れるとどうなるかよくわかった。

 ちなみに、この悪魔と同種の魔物には一号征伐のおりに何度か遭遇したのだけど、ナフロイやノラは塵を払うように殺していたので不死身とかそういう特性は持っていないはずだ。

 ただ、魔力の内包量が多く僕たちの手に余るだけ。そしてそれが厄介なのである。 

 悪魔は腹に空いた大穴を気にするでもなく周囲の魔力をかき集め、詠唱も無しに魔法を発動させようとした。僕は慌てて魔力を乱して発動を未然に防ぐ。

 今この瞬間、アンドリューが手を出してくれば流石に対応できないないと、彼の方を見たのだけど、興味深そうにこちらを観察しているだけで手を出してくる気配はなさそうだった。

 シグは痛痛しい手で長剣を握るとすぐに戦列に復帰した。

 悪魔の腹に空いた傷はいつの間にかふさがり、その後も立て続けに魔法を発動しようとするのだけど、ことごとく失敗し戸惑っている。

 それでも四本の長い腕を突破するのは困難で数合の打ち合いでも有効打を与えられない。

 そのうち一本を上手くかいくぐったルガムが悪魔の右膝に棍棒を振り抜いた。

 砂の入った革袋を打つ様な音がして悪魔のバランスが崩れる。


『火炎球!』


 ビーゴの声が響き、飛んでいった魔力球はしかし、悪魔が張った魔力の壁に押しとどめられ眼前で広がった。

 上手い。

 僕は思わず感心する。悪魔に魔法を無効化されることを前提として、ビーゴはそれを目隠しに使ったのである。

 その隙を逃さずシグは再度踏み込み、ルガムが打ち砕いたのとは逆の足を膝下から斬り飛ばす。

 体の支えを失い、大きく崩れる悪魔の、下がったその頭部をマーロは大きく振り下ろした一撃で打ち砕いた。

 真っ二つに割け、脳漿をまき散らす羊状の頭は常であれば即死である。

 僕も、僕の仲間たちも皆、難敵を打ち倒したことを確信し、一瞬気を緩めた。

 ブラントやノラには決してない油断。その中で悪魔は倒れながら一本の右腕で、ルガムの肩を掴んでいた。

 半分に断ち割られた羊の目と口、それに舌が笑みを形作り、もう一本の右腕がルガムの胸に差し込まれる。

 鋭い爪を持つその腕はルガムの防具も服も肌も、体さえも貫き背中から突き出た。

 

「シッ!」


 シグの長剣が悪魔の上半身を袈裟懸けに切り捨て、今度こそ完全に絶命した悪魔はドウ、と音を立てて絶命した。

 ズルリと腕が抜け、自らの胸に空いた大穴とそこから吹き出す大量の血を見ながらルガムは呆然と立ちつくし、一瞬の後、悪魔の死体に重なるように倒れた。

 舌の奥と、そこから繋がって頭の奥がひどく痺れた。

 混乱とはつまりこの瞬間である。

 僕はすべての新たな思考を閉ざし、ただアンドリューに対する警戒だけを続けた。

 最愛の人に駆け寄るべきではないのかという単純な思案が浮くことさえなく、視界の隅でルガムを悪魔の死体から引き離すシグや、大声で呼びかけるマーロの姿を捉えているのだけど、それが何を意味するのか、上手く理解できなかった。

 と、足を蹴られてそちらを見ると、モモックがいた。


「アイヤン、なんばしよっとか。アンタの女やちゃろうもんが、早よう行っちゃり!」


「あ……うん」


 僕は力が抜け、崩れ落ちそうになる足でどうにかルガムの元へたどり着いた。

 知らず呼吸が荒くなり、唇と喉がひどく乾く。

 ルガムは悪魔の体液で全身が爛れており、自らの血で全身が真っ赤だった。

 弱々しい動きで眼球が動き、瞳が僕の方へ向く。

 何か言おうと唇が動き、しかし肺が潰れているためか声は出なかった。

 それからほんの二、三秒で彼女は事切れた。

 僕はただ、自分の荒い息と胸が痛くなるほどに連打される鼓動をやかましいと思うことしかできなかった。

 

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