第175話 退避路

 ブラントは僕よりずっと順応が進んだ目で遠く暗闇を見通している。


「あの、この死体はどうするんですか?」


 僕の問いにブラントは遠くを見つめたまま「朝まで置いておくよ。暴徒除けにはなるだろうさ」と答えた。

 転がる首も、急所を突かれて事切れた男も、一般の市民に見える。

 この、持てる者が持たざる者から富を吸い上げる都市で日々をどうにか凌いでいるという意味で彼らは僕と同類である。

 彼らにも仕事があり、生活があり、愛する人があっただろう。

 それを大金で惑わせてけしかけたエランジェスも、ためらわずに彼らを殺したブラントもきっと僕の胸に浮かぶ不条理な怒りに気づきはしない。

 僕はこの男から離れてしまいたかった。


「すみません、ブラントさん。僕も仲間が気になるんでちょっと出てきていいでしょうか?」


 僕の提案にブラントはヒゲを撫でて真剣な表情を浮かべた。

 

「ふむ、丁度君には引率を頼もうと思っていたところだ。他の教え子たちと総帥殿を引き連れて避難してくれないかね」


 その視線はどこか一点から離れない。


「なにかいるんですか?」


 僕もそちらを見るが、少なくとも視界内には何も見えず、暗闇が続いているだけである。


「そこそこ腕の立つ者が何人か、遠くからこちらをうかがっているね。私が正面から戦って負けることはないと思うが、君たちを人質に取られると厄介だ。ガルダ君と同じ地下通路を使い今の内に逃げなさい。最初の分岐を右に進めば都市の内部に出るから、ヒヨコたちを上手く隠しておくれ」


 僕らをアテにせず一人で迎え撃つ気だろうか。

 いや、わかっている。この男が本気で戦うとき、肩を並べる相手として僕らは値しない。

 その事実に僕の胸はギュッと締め付けられた。

 人を助ける程の力がない、その現実を突きつけられる度にテリオフレフの事を思い出さずにはいられない。


「お屋敷の人たちはどうするんですか?」


 僕らが逃げ出したとして、ブラント邸には住み込みの老僕が二人いた。

 僕のような者にも慇懃な態度で接してくれる、好ましい老夫婦だ。必要なら彼らも連れて逃げなければいけない。


「ああ、彼らは大丈夫。場所は秘密だが、私の屋敷には隠し部屋があるのさ。すでにそこへ隠している。家が燃え落ちたって被害の及ぶ場所ではないので気にしないでくれたまえ」


 この男が言うのならそうなのだろう。

 僕はいくつかの確認をすると、振り返って宿舎に戻った。


 ※


「ベリコガさん、起きてください!」


 僕は隣の部屋の扉を叩いた。

 やがて、鍵が開くと中から眠たそうな顔のベリコガが顔を出す。

 大アクビをするのだけど、着ているガウンの裾から股間がのぞいて不快である。

 とにかく、僕の説明ですぐに事態を把握した彼は、ベッドの方を振り向き「起きろ!」と怒鳴った。

 ベリコガのベッドから身を起こした裸体は現ブラント隊の一人である。

 この男の下半身事情など知りたくもなかったし、今後も憶えている必要はないのでこの事はすぐに忘れる事にして、とにかく身支度をしろと言い置いて、他の部屋へと走った。


 全員を起こし、僕自身も身支度をすると、玄関に集合した。

 身支度といっても戦士達の鎧は迷宮側の組合倉庫に置いてきているので、服を寝間着から着替えて武器を携えるくらいのものだ。僕もウル師匠からいただいたローブを着込んだもののリュックは目立つためにあきらめた。

 後衛のビーゴとラトゥリは手ぶらで来るように指示したので、外見上は一般市民と変わらない。これでいざとなれば彼らは人混みなりに混ざることが出来るだろう。


 僕は彼らを先導して地下通路に入った。

 通路には迷宮とは違う種類の光る苔が植えられており、弱々しくではあるが光を放っている。

 薄暗く気味が悪いとはいっても魔物が出るわけがないので僕にしては珍しく先頭にたって洞窟を歩く。

 やがて道の分岐にさしかかり、ブラントの言うとおり右へと進んだ。

 

「行き止まりだな」


 ベリコガが僕の後ろで呟いた。

 僕らの眼前で通路は岩壁に阻まれて途絶えていた。

 しかし、これは偽装である。

 ブラントから聞いたとおり、物陰になった箇所に隠された仕掛けを作動させると扉が開き、通り過ぎると再び逆側の仕掛けをいじって通路を塞ぐ。

 この秘密通路には各所にこんな仕掛けが施されており、この通路を部外者が利用するのを防いでいるのだ。

 やがて、僕たちの前に上に向かう梯子が現れ、登り切ると小さな扉があった。

 さび付いて重い扉を開けると隙間から身をねじ込む。

 長期間使われていないためか、酷くほこりっぽく、蜘蛛の巣も顔に張り付く。

 コルネリは不機嫌そうな声を上げるのだけどそれにかまっている余裕はない。

 僕は狭い出口付近を這いずってどうにか広い空間に出た。

 明るくて広い、ついでに言えば清潔な場所で自分の体を見ると泥と埃とススにまみれてひどいものだった。

 

「これは、随分と珍しい場所からいらっしゃいましたね」


 見知った男が僕に声を掛けた。

 秘密通路はナフロイやウル師匠が定宿にしている高級宿屋につながっていた。その従業員が僕を見て目を丸くしている。

 振り返ればベリコガが僕に続いて這い出ているのは古い暖炉だった。

 行き先がこの宿屋だと聞いてはいたのだけど、なるほど、ここが出入り口だったのか。

 暖炉は建物の入り口からは陰になって見えないものの、設置場所は従業員がいつもいるフロントテーブルの向かいである。

 暖炉の横にはプレートで『煙突を撤去いたしましたので使用できません』と注意書きが設置してある。

 次々と人が出てくる影響で暖炉からは大量のススと埃が飛び出し、空気中に舞っている。

 本来、埃一つない程に清められた空間なので申し訳なく思いながら僕は従業員に頭を下げた。

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