第166話 モグモグタイム
ブラントの屋敷に戻った時には日が沈んだ直後だった。
周辺は急速に暗さを増していく中でも、新人たちの疲労は見て取れる。
おそらく、部屋に入るなり彼らは睡魔にからめ取られることだろう。
僕はと言えば豪華な部屋に慣れず、座り心地のいい椅子に腰を落としてみたのだけど、落ち着かずに立ったり座ったりと繰り返していた。
ふと、目をやれば部屋の隅にタライと水を張った桶、それに高価そうな布が置いてある。
ご丁寧にも傍らには「清拭にお使いください」とかかれた紙が置いてあった。
僕の今までの暮らしとはなにもかもが違う。
金を持つというのはこういうことなのだろうか。
だけど、僕としては手を伸ばせばギーかメリアに触れられる小屋か、子供たちがいつもにぎやかなルガムの家の方が性に合っている。
せめてコルネリが一緒にいるのが救いだと、彼の頭を撫でると、気持ちよさそうにキイと鳴く。
リュックを下ろし、コルネリを椅子に置くと僕は服を脱いだ。
裸になり、身につけているのはウル師匠からもらった首飾りが一つ。
僕は布を濡らすと、自分の体を丁寧に拭いた。
汚れが家財に着いたと怒られればとても弁償なんて出来そうもないので、いつもより丁寧に体の垢を落とす。
作業が終わると、洗い晒しに服に着替え、おそるおそるベッドに入ってみた。
普段、僕が寝ている安物の寝具とは値段が雲泥の差だろうベッドは、価格差がそのまま寝やすさには直結しないようで落ち着かないまま僕は何度も寝返りを打った。
肉体的には疲れているし、魔力を使用したので眠りたいのだけどなかなか眠気が近づいてこない。
「コルネリ、こっちにおいで」
何度も検証を重ね、疲れさせたせいかコルネリは椅子に転がって眠っていたのだけど、僕が呼ぶと目を覚まし、ピョンと飛び跳ねるようにベットに乗った。
僕が掴んで枕に乗せてやると、コルネリはムニャムニャと口を動かしたあと、再び眠りに落ちていった。
その寝息でようやく落ち着いた僕は、やっと眠りの中に身を浸すことができた。
※
翌日、僕たちはブラントから座学の授業を受けていた。
冒険者組合の育成機関で習う基礎的な講義よりも実践的な知識を羅列し、かみ砕いて教えてくれる。
話かたも上手く、生徒数も少ないので、なるほどこれは身になると実感した。
やがて、休憩時間になり、僕はコルネリを連れて庭に出る。
そこには早朝のうちに蒔いておいたパン屑や雑穀などに寄せられて小鳥が数羽、それらを啄んでいた。
僕は離れたところから小鳥を見つつ、深呼吸を一つ。そしてコルネリの背中をポンポンと叩いた。
「行け、コルネリ!」
言いながらコルネリを小鳥たちに向かって投げつける。
コルネリは空中で体勢を整えると力強く羽ばたき、逃げようとした小鳥の一羽を口に咥えた。
そのまま旋回したコルネリはフワリと僕の肩に着地する。
うん、楽しい。
ボキボキと豪快に音を立てながら小鳥を飲み下すコルネリのせいで肩がひどく汚れるのはいただけないのだけど、もともと故郷にいるときから小鳥狩りは僕の趣味みたいなものだった。
主に罠猟で、獲物も自分で食べていたのだけど、猟果に一喜一憂したのは故郷での数少ない楽しい思い出だ。
「休み時間の度にそんなことをされたのではこの辺りの小鳥がいなくなってしまうよ」
言われて振り向くと、そこにブラントが立っていた。
「さて、次の時間は兵士としての生活、心構えについてだが、講師として現役の兵士を呼んである。君は兵士になるつもりはないのだろうから、別メニューを受けてもらう予定だよ。着替えたら母屋の応接室に来なさい」
僕は勝手に庭に蒔いた雑穀や、小鳥狩りの件で怒られるのかとドキドキしていたのだけど、どうやら大丈夫そうでほっと息を吐いた。
「しかし、随分と順応が進んだようだ」
ブラントは右手を挙げると、人差し指を突きだしコルネリの前に差し出した。
そのまま目がすうっ、とけわしくなると呼応するようにコルネリもグル、と喉を鳴らす。
魔物に向かう者の目と、冒険者に対峙する魔物の反応。
次の瞬間、僕の肩に激痛が走った。
僕が視認できたのはブラントに向かって延びる一筋の血の線だけだった。
「とはいえ、まだまだだがね」
ブラントはいつもの穏やかな目つきに戻っており、その手にはコルネリが捕らえられていた。
逃れようともがくコルネリをあっさりと放り捨て、笑いながらきびすを返す。
怯えるように僕の元へ飛び戻るコルネリを見て満足げなのは結構だけど、せめて戻る前に回復魔法を掛けてくれ。
心からの願いは、激痛に邪魔され声に出せず、去りゆくブラントには伝わらなかった。
※
歩く度に走る激痛から、脂汗を流しながら応接室に現れた僕にブラントは忘れていたと言わんばかりの表情で手を叩き回復魔法を掛けてくれた。
「まあ、魔物と共生しようとする試みは、常に危険に備えよという知見が得られたではないかね」
などと偉そうなことを言うブラントに対し「アンタのせいだろ!」という発言を飲み込むのに僕は多大な労力を要したのだった。
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