第153話 帰宅Ⅱ
魔法使いの男が事に及んでいる間に僕は店を辞した。
まだ話しをして情報を引っ張ることも考えたのだけど、もはや一瞬たりとも同席していたくはなかった。
幸いに割れた額の血も、折れたのかもしれない鼻から出る血もおさまりつつあった。
「お支払いは結構です」
かわいらしい顔の、おそらく僕と同年代なのだろう少女がおずおずと断りを言う。
もとより奢ると言われて連れてこられたのだから払う気などなかったのだけど、少し気になったので聞いてみた。
「参考までに、普通に払ったらいくらくらいになりますか?」
少女の視線はサッと机の上の飲食物を確認し、しばし考え込む。
砂漠の民が祭りの時に着るのだという扇情的な衣装を着込んだ一つ髪の少女は、たっぷり二呼吸分ほど悩んでいた。
「ええと、金貨七枚くらいです」
その値段に僕の心臓が跳ね上がる。
あまりに高価だ。僕が普段の生活に必要な金額の二ヶ月分に相当するではないか。
とするとこんな店には二度と来ない。
僕は勇気を出して少女に聞いてみた。
「それは、僕が君を抱いたらお勘定が変わるの?」
「ええと、はい。金貨十二枚になるかと……」
少女の目線が僕の胸にくっついているコウモリに注がれる。
その頬は愛想笑いを浮かべようとして、表現しきれずにひくついていた。
無理もない。
この少女にとって僕はキュード・ファミリーの怪しい用心棒が連れてきた怪しい男だ。
顔中を腫らして血にまみれているのみならず、顔にコウモリを這わしているのだから普通は関わり合いたくないだろう。
ともかく、彼女との情事にかかる値段は金貨五枚だとわかった。
この少女と比べて貧弱なネルハはそれでも若いので金貨一枚くらいにはなるのだろうか。
などと売る気もないくせに思いながら少女に礼を言う。
目の前の少女とネルハの外見の差を思ってため息をついた。
※
店の少女に買ってきて貰った服に着替えて、血も拭き落とせば暴行を受けた後は目立たなくなった。
コウモリをリュックに張り付け、少女に礼を言って店を辞した。
花街の大通りはさらに活気づいていて、僕はその中にうまくとけ込めた。
時々、すれ違う人が僕の腫れ上がり鼻の潰れた顔を見て小さく悲鳴を上げるのだけど、盛り場での怪我人に誰も関わり合いたくないのだろう。声をかけられることはなかった。
やがて、花街を抜けお屋敷にたどり着いたときにはすっかり夜も更けていた。
門を守る番兵たちに挨拶をして小屋に入り込むと、メリアは寝息をたてている横でギーが椅子に座ったままこちらを見つめていた。
「オカエリ。ネズミはどうシタ?」
僕のリュックにモモックが入っていないことは彼女の嗅覚の前ではごまかしようもなかった。
月明かりに照らされた横顔はいつもの通り無表情なのだけど、やや怒っているように見える。たぶん僕が申し訳なく思っているからだろうけど。
「はぐれちゃった。帰ってこないかもしれない」
僕は事実を告げた。
ギーが何度も危険性を訴えていたレグリシアを離してしまったのだ。何を言われても仕方ない。
花街を去る前に探すことも考えたのだけど、体の痛みと慣れない地理、それからこれ以上訳の分からない連中に出会いたくない思いで心が萎えてしまったのだ。
「フン……もはや逃がしてしまったことは仕方がナイ。とにかくコチラにコイ。怪我を治してヤル」
ギーの手招きに従って近づくと、突然手首を捕まれた。
戦士の彼女に腕力で逆らえるわけもなく、そのまま引き寄せられ、抱きしめられた。
久しぶりに受けた彼女の抱擁は相変わらず独特の触感でゴツゴツザラザラとしていた。
「あまり怯えてくれルナ」
特有の質感を持ったギーの手がシャツの裾から入り込んで僕の腹から胸にかけてをまさぐった。
『治れ』
その魔法で僕の怪我が治っていく。
鼻が復元され、頬骨の痛みが取れ、体中の腫れも失せていった。
「ギーはオマエのおかげでここにいるノダ。そしてメリアも懐いてくれてイル。オマエを許さないほど怒ることはナイ」
「……ありがとう」
僕は照れくさくなって顔を背けたままお礼を言った。
今日は全く、朝からろくでもない日だったのだけど、最後に少しだけ救われた気がした。
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