第117話 ノクトー剣術
「ノラとの立会は必要だったのかよ」
問い詰めるようなガルダの口調はとげとげしい。
確かに、聴衆の耳目を引きつけるのにはノラと小雨の戦いで十分だったはずだ。
「それは単に好奇心さ。どちらが強いか知りたかったものでね」
「はっ、それはそれは。疑問も解決して結構なこったな」
ノラ本人は平然と食事を口に運んでいるのだけど、ガルダはどうしても腹立たしいらしく、濃い酒を飲み干した。
「ふふ……そうだね。十回やれば二、三回は私にも勝ち目があるものだとわかって安心したよ」
ブラントは噛みしめるように自分の勝利に浸っている。
「でも小雨はノラさんの方が素敵だと思います。是非また手合わせを」
死にかけておいて懲りない小雨がノラに言った。
ちなみに彼女は普段の覆面をしておらず、格好も一般的な女性服だ。その上、薄く化粧までしている。
これは本人に言わせると正体を隠すための変装らしいのだけど、北方出身特有の色素の薄さもあり、ステアと並ぶと姉妹のようだ。
「止めとけって、そのうち死ぬぞ」
ルガムが運ばれて来た煮物を小皿に取りながら警告を発した。
しかし、どうしたことか小雨は恍惚の表情を浮かべ両手を組んでいる。
「余人にはわからないのです。あの短いやり取りの中で小雨とノラさんには百万の言葉を超える意思の疎通がありました。小雨がノラさんの人生を垣間見たように、ノラさんも神の御意志を感じたことでしょう」
その言葉を聞いて、ステアが慌てて咳払いをした。
どうも、変装中の小雨は教団と一切無関係の少女だと言うことになっているらしい。
そうしないと顔が割れて敵から狙われた場合に危険になるし、この都市で仕事をする場合には的に近づきにくくなる。
もし、この少女が顔を晒して衆人環視の元で白昼堂々と暗殺を決行しても教会に追求が及ばないようにしたいのだろう。
しかし、当のノラは酒場に預けている自前の椀と二本の棒を使って器用に料理を口に運んでいる。小雨の感情にはあまり興味がないようだ。
「ふうん、まあ別にいいんだけどさ、あたしたちみたいに会話も沢山してそれ以外のコミュニケーションも十分に取るってのもいいんじゃない」
ルガムが僕の肩を抱いて自慢げに笑うのだけど、おそらくこれにはステアへの当てつけも多分に含まれている。
いつも言葉ではステアにやり込められるルガムのささやかな意趣返しだ。
しかし、恨めしそうなステアの視線が刺さり、僕はなにも言えなくなってしまう。
「まあなんにせよ、おかげで入門希望の申し込みも三十人以上あってな、俺も忙しくなりそうだよ」
ベリコガが水が入ったコップを片手に言った。
彼は僕の助言に従って酒を断っている。『荒野の家教会』をとんでもない勢力争いに巻き込んだことから教会関係者に不味いところを見せると粛清されてしまう危険があるので油断できないのだ。
幸い、彼の本性がポンコツのボンクラであることを知るのは僕たちに好意的なステアと弱者に興味を持てない小雨だけなので今のところはいいのだけど、これがローム先生にでもばれた日には即日小雨が命を刈り取りに来る。
ステアから伝え聞くところによれば北方では領主府の高官が次々と不審死を遂げており、対する教団の幹部連中は端から投獄されているらしい。
北方最大の商会長がどの程度の財産を遺したものか、僕は知らないのだけど仲良く半分こというわけにはいかないのだろう。
このまま行けば教団本部の指導人員が枯渇するか、領主府の反教団主義強硬派を教団擁護派が抑えきるまで血が流れるのだろうけど、僕にとっては遠い地の揉め事だ。
こちらに影響が飛び火しないのなら互いに納得が行くまでがんばっていただきたい。
「ノクトー剣術はもはや俺かチャギしか継ぐ者がいないのだ。新しい弟子にはその伝統を教えつつ、その他の有用なトレーニングも教えたいと思っている」
ベリコガに武術を教わってどのような戦士が出来るのかは実際に見たものの、あれを量産する心積もりだとしたらずいぶん罪深い。
「それこそノラ君や小雨君にも指導をして貰えばいいのじゃないかね」
全てをわかった上でブラントはイタズラっぽく言った。
「……俺は他人に技を教えない」
ノラが誰にともなく呟く。
「小雨はいいですよ。強くなるには幼い頃からの鍛錬が必要ですが、健康体操程度なら私が教えましょう。同時に神の教えも……」
ステアが再び咳払いで小雨を止める。
実際、ベリコガの道場は『荒野の家教会』の支援で成り立っている為、武術道場の入り口をくぐった先が宗派の勧誘場所になっても不思議ではない。ローム先生もその辺りを当て込んでいた節がある。
ただ、ローム先生に取って計算外だった事は北方領主とのいざこざで発生した想定をはるかに超える教団本部の混乱だ。
本部の穴を埋める為に各地から人材が集められ、補修した先からまた穴が空くような状態らしく、ステアの話しではこの都市の教会からも複数の職員が本部に徴集されたらしい。
おかげでローム先生直下の配下も減り、教会の通常運営に忙殺されていると聞く。それからすると他の悪巧みに知恵をまわす余裕は今のところなさそうだ。
僕が火種の一部となり起こった出来事でローム先生を煩わせているのだと思えばまったく胸が痛む。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます