第116話 催眠商法
ベリコガの合図を待たずに二人は開始線を踏み越えた。
瞬時に繰り出された細剣の突きをノラの刀は弧を描いて払う。
硬い刀が曲がるはずがないのに蛇が絡みつくように細剣を捉たのはノラの腕前なのだろう。
細剣は巻き上げられるようにして空高く飛ぶ。
しかし、その瞬間に勝者はブラントに決定した。
ノラが体勢を僅かに崩した刹那、懐に飛び込み予備の小さなナイフを首に突きつけていた。
ノラは常になく驚いた表情を浮かべていた。
ブラントは満足げに頷くとナイフを引っ込めて元の位置に下がる。
「痛み分けだね」
見るとブラントの右手は指先から手首、肘に至るまであらぬ方向を向いていた。
ノラの技は敵の武器を奪うだけではなく利き手をも破壊する為のものだったのだろう。
それはそれで脅威の技術なのだけど、どう見てもブラントの勝ちだった。
確かに彼の右手は使い物にならなくなったが、その気ならノラを殺せていたのだ。
ブラントは自ら回復魔法を唱えて右手を治し、観客に向けて再度呼びかける。
「ご覧の通り、彼は魔法のような剣術を使う。その技術においてこの都市でも右に並ぶ者はいないだろう。しかし、私も捨てたものではないだろう?」
ブラントが治癒した右腕をひらひらとふって見せると、観客の中から拍手が湧いた。
「しかし、ノクトー剣術道場にはまだ総帥殿が控えておられる。流石の私でも分が悪いかもしれないね」
会場中の視線がベリコガに集中し、彼はうろたえながらも毅然とした態度を崩さなかった。こういう事は上手い男で、佇まいだけなら説得力はある。
「さて、皆も知っている事とは思うが最近の情勢によって冒険者とその予備学生が激減している。これは冒険者組合から依頼されたから言うのだけど、他に希望がない者は冒険者の道を検討してはどうだろう。興奮とスリルがあふれる迷宮を仕事場にして大金と栄誉を手にするのだ」
そういうとブラントは僕に手招きをした。
え?
僕が固まっていると彼はこちらに歩いてきて、僕の手を引っ張り中央に連れ出した。
「やあ、少年。この間の例の迷宮行でいくらの金を貰ったかね?」
ブラントのやりたいことが見えてきた。
「えと、金貨二十枚ですけど……」
僕の回答に観客から感嘆の吐息が漏れる。
これは典型的な詐術だ。
「西方蛮族出身の奴隷の彼が、それも失礼ながら貧弱でとても冒険者には見えない彼がそれだけ大金を稼げる仕事は他にあるかね?」
その問いに、観客席から「ない!」と返答がある。
これはブラントの仕込みだろう。
先ほどの拍手や歓声も恐らくそうだ。どうりで、やたらと観客が多いと思えば彼が陰で集客に回ったのだ。
「彼は実力的に地下三階がいいところの駆け出しパーティの一員だ。しかし、それでも場合によってはそれくらいの大金を獲得する事が可能なのが迷宮だ」
確かに嘘ではない。だけど僕の場合は特殊任務の報酬として受け取ったのだと説明していない。冒険者になればすぐに誰でも大金を稼げるのだと印象を植え付けたいのだろう。
「ちょうど今、冒険者組合では初期の学費についての支払いを延期できるキャンペーンを行っている。つまり先立つものがなくても冒険で稼いだ報酬から返済をしていけばいい。興味があってヒマな者はこのあと組合事務所に行って説明を聞いてはいかがかな?」
血の気の多い青少年層の観客が話しを聞いてソワソワしている。おそらく、その目にはまだ見ぬ栄光と財宝が映り込んでいるのだろう。
しかし言っていることは借金の斡旋に過ぎない。
「しかし、そうは言っても迷宮は危険だ。そして自分は歳を取り過ぎているとお考えの自由市民諸君にも朗報があるのだよ」
ブラントは朗々と続ける。
「彼がそうであるように債権奴隷を購入して利益を稼ぐという手法もある。ちなみにこの少年の販売額は金貨二十枚だったそうだから、所有者のラタトル氏がどの程度儲けているのかは諸君の想像に任せるが、優良債権に間違いはないだろうね。資金に不安がある御仁に向けては組合が共同購入や債券の分割販売の斡旋も初めている」
なにかよくわからない商法に巻き込まれ、僕は恥ずかしくて俯いていた。
*
「やあ、すまなかったね」
ウェイターに料理を注文し終えたブラントが軽く言った。
僕をダシにして会場を盛り上げた事に関するお詫びとして食事をおごってくれるらしく、僕たちは酒場に来ていた。
僕の他に恋人のルガムも着いてきている。
更に、場所を無断で利用した詫びを兼ねてベリコガとノラ、小雨にガルダ、小雨に帯同してステアも同席していた。
メリアやギーにも声を掛けたのだけど小雨やステアと一緒は嫌だと言って二人は帰ってしまった。
シグも面倒ごとはごめんだとさっさと戻っていった。
「実際に冒険者の減少がひどいのだよ。例の邪教徒騒ぎ以前と比べて三分の一以下だ。早急に頭数を確保しなければならないのだね」
それで先ほどの演説が打たれたわけだ。
途中、冒険者組合の前を通ると人が殺到していたので効果は絶大だったのだろう。
「私も組合とは協定を結んでいる身でね、それであの恥知らずな真似をさらしたわけだよ」
苦笑いしながら、ブラントは運ばれて来たビールに口を着ける。
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