第5話 ご主人
夕方ではあるがまだ明るい。
街を歩いていると、何度も警邏隊とすれ違った。
やはりさっきの話が本当だったのだろう。警備兵達は皆、目を血走らせて走り回っていた。
奴隷が一人で歩いていると、普段はすぐに警邏隊に取り囲まれて詰問を受けるのだが、おかげで今日は一度も捕まらずにお屋敷にたどり着くことができた。
*
お屋敷は塀に囲まれた立派なものであるが、周辺の建物と比べると今ひとつ垢抜けない印象を受ける。
どうもこの辺がいつも上手くやろうとして格好を付けきれないご主人の本質が投影されている様な気がして僕は嫌いではない。
裏手の通用門に回ると、使用人の老人が僕を見つけて驚いた。
「おい、帰ってきたのかい。よかった」
「ええ、ただいま戻りましたミガノさん」
ミガノさんは無産階級の自由市民だが、僕によくしてくれる。
「ご主人様が食堂にいらっしゃるから、報告しておいで」
「いいんですかね?」
僕に与えられたスペースは庭の隅に建つ物置小屋であって、屋敷内に立ち入ることは滅多なことでは許されない。
「ご主人様が気にしておいでなんだよ。お前が戻ったら食堂に連れてこいと」
ご主人はどうも、この辺が上手くない男だ。
もし、僕が死んでいたらいったい、いつまで待つつもりだったのか。
僕はミガノさんに会釈をして、勝手口から屋敷に入った。
たとえ、呼ばれたのだとしても正面玄関は使えない。
台所から、食堂に抜けると、ご主人が一人で酒を舐めていた。
雰囲気から察するに早くも深酒の域に達している。
平均より頭半分、背が高く、胸板も厚い偉丈夫であるはずなのだけど力なく見える男だ。
なんといって、酒好きなくせに酒にめっぽう弱いところも救われない。
「ご主人、迷宮から帰りましたよ」
僕が声をかけると、ご主人はゆっくりとこっちを向いた。
頭が重そうで、陰気な頬髭とあわさってなんとも侘しい。
「おお、帰ったか。どうだった、稼ぎはあったか?」
僕はポケットから四枚の銀貨を取り出した。
ご主人の顔がぱっと明るくなる。
「おお、いいじゃないか。俺によこせ」
僕は手を伸ばすご主人に断って銀貨をポケットに戻した。
「僕は、債権奴隷ですからね。稼ぎについてはキチンと『銀行』に入れておきます」
僕は犯罪奴隷ではなくて債権奴隷である。明確な違いとして、債権奴隷には財産権が認められ、制限されてはいても人権が保障されている。例え主人といえどもこれを侵せば罪に問われる。
債権を返済してしまえば奴隷身分からも解放されるので、この街には債権奴隷あがりの豪商も存在している。
債権の返済にあたっては、主人と奴隷など、一方的に身分の不利益を被る可能性のあることもあり、『銀行』と呼ばれる機関が中に立つのだ。
ご主人が僕を銀行で債権奴隷に登録し、僕に債務を負わせた旨の書類を作成する。
僕は債務額と利子、手数料を銀行に払い込めば奴隷ではなくなる。
その額はおよそ、金貨二〇〇枚。
形としては、金貨三〇枚の定額債権である少年奴隷をご主人が購入し、学費、生活費などで金貨五〇枚を僕に貸し付けた事になっている。更に僕の所有権を僕自身に金貨八〇枚で売却する契約も結んでいる。
これにおよそ一年で四分の一の利息が着く。ご主人が僕を買い取ったのは半額以下の金貨二十枚であるので、僕が一年後に債務を解消することができればご主人には手数料を除いて金一七〇枚分の利益が発生することになる。
ちなみに、銀貨一〇枚で金貨一枚であることを考えれば、銀貨の数枚などなんの足しにもならない。
大抵の債権奴隷は、名目上の解放事由を眺めながら、低賃金の単純労働に従事し、債権解消できずに一生を終える。
「お前が大金を稼いでくれりゃ、文句は言わんよ。頼むから早々に死ぬなよ」
「頼まれても死にませんよ。痛いのは嫌いですから」
僕に母音一文字の名前を付けるような人だ。口にするほど執着はない。
僕が死んだら損害の計算をしてとっとと忘れるだろう。
「それで、迷宮はどうだった。酒の肴に冒険譚くらい聞かせてみろよ」
ご主人は冷めた肉料理を口にほおばりながら言った。
妻と子供達が居るのだが、一家の家長が寂しく食事を取っているのは家族仲がよくない為だ。
使用人の話によると、貴族の娘を妻に貰ったそうだが、所詮資産家階級と貴族では価値観が合わずに上手くいっていないとのこと。
少しだけ、面倒にも思ったが、哀れな面もあり、僕はご主人に最初の迷宮体験を詳細に語ってあげた。
次の冒険が二日後だと言うことに不満そうだった。
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