森での、些事


 本店にリーベルトがやって来たのは下山をマールに指揮させるようになってしばらくした朝の事だった。


「今日は居ましたね。面倒事を僕やエリカに丸投げして、自分はどうせ買い付けなんてのは口実で、毎日ここら近辺で遊び回っていたんでしょう……」


 ダンはジロの後ろに隠れるようにして、棚と同化すべく、背筋を伸ばし、冷や汗をかきながらリーベルトとは目を合わせようともせずに直立している。


 ジロはダンの貴族恐怖症ともいうべき行動に呆れながら不出来な細工彫金仕事を止め、リーベルトを見る。

 

「信用ねえな……ほら、この傷薬を見ろ。エリカ製のじゃねえぞ? 異国の行商人を捕まえて買い入れたんだ」

 ジロは致命的ミスをしても、エリカとリーベルトら、幽界暮らしをした六人の記憶操作だけは行えない為、内心の緊張を隠しながら、マールから習って自らの手で作った傷薬を手渡す。


 リーベルトがビン蓋を開け、鼻を近づける。臭気に眉をひそめ、各種魔法でチェックした挙げ句に、短剣を取りだし自分の指先を、ジロが顔をしかめるほどに切って傷薬を塗り込んだ。


「へぇ……結構深く切ったのに、もう痛みがありませんよ」

「マゾめ。お前は相変わらず加減ってもんを知らないな」

「店の特別審査役として新商品の臨床実験をしてあげてる僕に向かって、何を言ってるんですか」

「口を開く度に肩書きが増えていくのな」

「商会のトップがいつまで経ってもしっかりしないからですよ」


 リーベルトは傷口に厚く薬を盛る。

「すごい粘着力ですね」

 言って手を強く振るが、厚く盛られた薬はわずかな量しか飛び散らない。

「馬鹿野郎、毒がたんまり入ってやがるんだぞ」

呆れながらジロが注意すると、毒と聞きダンが二歩ほど後ずさった。

「ほれ見ろ。これが一般人の反応だ。専属店員の貴族恐怖症をあおるような真似をすんな。ああ、もう! 少し飛び散ったじゃねえか、布でも当てやがれ」


 ボロ布をリーベルトに放るが、リーベルトはそれをはたき落とし、自らの荷物にあった包帯を流れるような所作で少し切り、傷薬の上から押さえつけた。

「中々の傷薬ですね。先輩の物を見極める眼力が短期間で向上したとも思えませんし、一体どうしたんです?」

「フラフラしてる時に知り合った奴ができてな。そいつと意気投合して、そいつのツテでこれを売り歩く行商人に会えたんだ。驚くなよ 俺好みの美人だ」

 マールの件をどう切り出そうかと思っていたが丁度良いと思い、これをマール紹介の下地にする事にした。


「やっぱり……そんな事じゃないかと思ってたんですよ。結局センパイが積極的に行動する時って女の尻を追っかけている時だけですよね」

 この野郎……と思いながらもジロは文句を言うのをグッと堪えた。


「この店でエリカのポーション以外で初めて価値のありそうな売り物ができましたね。一個もらいましょう。家にいくつか置いておけば家人が重宝しそうですし」

「お前には売らねえよ。怪我したら主人のお前が魔法で治してやりな」

「せっかくの客を好き嫌いで逃がすなんて……」


(シカリークッター製の傷薬を、今や日参する来客もペール1位になったリスマー家なんかに置けるもんか)

 ジロはそ知らぬ顔で肩をすくめた。


「んで? 何の用だ?」

 問いかけながら、いつものようにジロに会釈すらしないリーベルトの従者がシカリークッターの監視所の方角をジッと見ているのを、ジロは注意して見ていたが、従者の視線が微妙に監視所から外れているのがわかった。

 半魔人化したジロですら見つけづらい1km離れた監視所をリーベルトならいざ知らずその従者が発見できるはずがないとジロは緊張を解いた。


(用心に越した事はないが、用心しすぎるのも考え物だな。柳が幽霊に見えちまうってか)


 ハァ……っとジロは深く大きなため息をつく。

「お疲れのようですね」

 リーベルトが傷薬を鞄に仕舞いこみながら声をかける。

「店主の前で堂々と万引きするな。お代は……金貨一枚もらおうか」

「……高すぎますよ」

 そう言ってリーベルトは銀貨数枚をと机の上に置いた。

 

(金はもらって、後で薬は取り返そ――、……待てよ? 警備が厳重なこいつの屋敷に忍び込んで取り戻せるか実験を兼ねてやってみるのもいいな……)


 こんな体になった事を利用して、サラや魔界の重要機密を調べに今後は王城に忍び込む事がないとも限らない。その叩き台としてリスマー家への侵入はいかにも言い訓練になるとジロは思った。


「先輩がお疲れなのは、毎日ぐうたらしてるからですよ」

「してねえよ。この薬を見ろ、俺が足を棒にして歩き回ったおかげだぜ?」

「訂正します。お疲れなのは、フラフラと女遊びをしていただけだったのに、仕事をした気になってるからですよ」

「……」

「なので、今日はいい話を持ってきました」

「やけに毒づくと思ったが、強引な話の持って行き方だなぁ、オイ」

「まぁまぁ、僕ってほら、話し下手じゃないですか?」

「話し下手が家柄だけで親衛隊の実質ナンバー2になれるわけないだろう? 帰れ」


「いい話の方は置いておいても、この報告をするまでは帰りませんよ」

「報告?」

「呆れたなぁ、森での一件をもう過去の出来事にしたんですか? 相変わらずの大物っぷりといいますか、そんなところは師匠ジェリウスに似てきましたね。となると僕の立ち位置は上品なプーセル様と言ったところでしょうかね」


「……忘れてた」

「あんな大事件忘れないでくださいよ。あ~~~っと、ダン君。ちょっと席を外してもらえますか?」

 ダンが駆け出すようにして店から飛び出していった。リーベルトの従者が怪訝な顔をして見送る方向は街の方であった。


「脅すなっていったろうが、まだ日も高いのに家に帰っちまったじゃねえか」

「魔界に行って魔人と戦ったなんてあり得ない事件を起こしたから、森の事件を忘れたんですねってのを、彼の前で言うわけにはいかなかったのでね」

「……まぁいいや。あれを忘れてたのは俺の落ち度だしな」

「忘れないでくださいよね。死体の出なかった森でのいざこざに対して僕は思う事はありませんが、エリカがえらい心配してましたよ……」


(……そうだったな。死体はゾンビで沼の底に沈めて、マール達は生きてるもんだから、すっかり終わった気になってたぜ。詰め所には襲撃を報告したんだったよな……)


「俺を襲ってきた連中の目星は?」


「……先輩だから話しますが、どうやらかなりの手練れです。証拠がまるで残ってません。報告書は読みましたが、なんと言っても残ってたのは先輩が斬り捨てたという六人分の血液だけですからね……そんな大人数の死体をどこに隠したのか、今街道警備隊が森や近隣を徹底的に捜索してる所ですよ」


(警備隊が沼を調べてるのかをちょっとアルフレッドかゴドウに探らせてみるか)

 ジロはいつも支部で暇そうにしているマール曰く手練れの二人の顔を思い浮かべた。

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