二重生活の下地作り


 月夜であったためにジロは一端本店で、通常の《飛行フライ》では人の限界と昔に教わった以上に高度を上げ、人目につきにくくした後、一気に王都まで飛び、夜陰にまぎれながら外環部へと降り立った。


 人のキヌサンへの流出と、治安の悪さから、外環部にはほぼ無人化している廃屋も多く、そのひとつに目星をつけ食料の集積所とすべく、人払いの魔法をかけ、夜明けを待つ。


 市場が開く時刻に合わせ、で無関係の王都市民を複数人洗脳し、食料と衣服を買い集めさせる。


 操り人形達の成果を見届ける事なく、ジロは、いつか見たジェリウスのように、探知魔法をフルパワーで使いながら昼の森林の中を超低空で《飛行》を使い、昼前には本店近くの森へと戻る事ができた。



 女達には食料と荷物の調達に丸一日はかかると伝えてあり、アドルフジロの姿が見えなくなるが、狼達は残していくので、ゴブリンの心配はいらない、恐慌状態にならずに、大人しく待機するよう。にと言葉を残してあった。



 ゴブリンと狼からの恐怖で、アドルフを待てずに女達が逃げだせれば、アーグルには脱走者を声を上げさせないように、静かに殺せと命じてあった。



 ここ数日の店主としての充実ぶりに満足して、着地点から徒歩で店の前までやってくると、店番のダンが店の裏手での地べたででいびきを盛大にかきながら寝ていた。


 見れば店の戸口に昨日までは付いてなかった靴跡が大量についており、あまつさえ手斧までもが戸口に転がっている。


 魔法の結界を張ってなかったらきっと扉は壊されていた事をジロは理解し、何がなんでも開店させるのだというダンの決意を喜ぶべきかをしばし迷う。



 ジロは幻の頭痛を感じ、まずは店の防犯にと張っておいた結界を解除して店の鍵を物理的に外した。漆黒のマントを風呂敷にしてアドルフ変身セットを包み込んだ荷物を置く。


 店の中にあった吊り棒の両側に木の桶をつけ、沢へと下りて行き、清水を店前の大釜をたっぷりと満たす。


 一連の開店作業を終えた上で、本来その作業をこなすはずの従業員、ダンを揺すって起こしにかかる。


「んあ!? おお、親分!! 朝いねえもんだから参っちまったぜ! きっちり店番しておいたぜ! どこに行ってたんだい?」


「酒瓶を枕にして寝てる店番なんか聞いた事もねえよ」


「それでも安心だぜ! 近くに俺の街、トロンもあるし、客なんて来るわけねえよ」

「人が資金作りの為に東奔西走してるってのに、第二従業員がこの様とは……」

 ジロは今度は確かに頭痛を感じ取った。


「第二? 俺の他に誰か雇ったのかい?」

「ああ、別の所でそいつは働いて……いや、働いてるといいなぁ……あいつ、大丈夫なんだろうな……」

「どんな奴なんだ?」

「お前の半分以下の背丈のチンチクリンの女の子だよ。ただしお前よりは遥かに強い」

「おっ!? どこぞの少女騎士様魔法の使い手かい?」

「……もういい。今後もお前と会う機会なんてないだろうし。さて、ダン。顔を合わせるのは一日ぶりで――」


 ジロは昨夜、洞窟へと赴く前、朝は安価な剣を求めてトロンの鍛冶屋や武器屋巡りをし、昼から夕方にかけてはアーグル達に《進化エボルチオ》、《強化コンフォータンス》、《翻訳インテプレス》を駆使して手懐けていたため、ジロはほぼ丸一日店を空けていた。


「――しかも俺が店に戻った夕方頃には、すでにお前はもう店にはいなかったが、客は来たのか?」


「そうそう! ジロ親分! リーベルト様からの使者が来たんだけどよう、手紙を俺には預けられねえってんでそのまま帰っちまったぜ」


「その時商品は薦めたんだろうな?」

「いんや? だって、使いっ走りっつったってつやつやの騎馬に乗ってやって来た騎士様だぜ? あっちだって俺を人と見てねえ感じだし、俺だって目を合わせての会話だってこええんだ、そんな事できるわけねえだろう?」


「ねえだろう? じゃねえよ……。お前って王都から近いトロン出身の……一応代々ギルド長を務める家柄出身の割りに、偏見に満ちたド田舎者って感じだな」


 ジロは、マントで風呂敷包みのようにしたアドルフ変身セットを、カウンターから居住区の奥に置きなおしながら嘆息する。



「し、仕方ねえって、トロンの騎士様は本当に……い、言わねえでくれよ? トロンにいる連中は本当にヤバい奴等なんだからよう」


「……ああ、そういや、近衛騎士団の出張所かなんかがあったっけな……トロンは近衛団支配とも言えるな……それなら近衛の兵士の他は、貴族出身の騎士もいるだろうし、横暴も納得だな」


「ほ、本当に恐えんだぜ? あいつら、トロンの赴任の任期が短いからって、平気で街の人間を斬り殺しやがるんだ……。親父だってあの連中とナシつける時はビシッと、隙無くしてるしよお。……それに親分は、あいつらと仲わりいって聞いたぜ?」


「安心しろ。今は仲が悪いのがこじれまくって、逆に安易な手出しできない位に険悪になってる。俺の関係者になった今、お前やゴーンさんに少しでも害なすような事はしてこない。絶対にな。そうなりゃ大きな火種になる事が解りきってるからな」


「えっ!? そうなのかい? でも、親分はおちぶ……な、なんでもねえ!」


「ああ、そうだよ。俺は落ちぶれはしたが、逆にエリカとリーベルトは近衛騎士団にとって鬱陶しい存在に成長したからな。だから手出しはしてこねえってんだよ」

「それにそうだ。エリカやリーベルトの使いの者なら、近衛騎士とは性格から気性まで、多分、何もかもが違う。じゃなければあいつらが側使いには使わないだろうからな。今度来たら、そのなまくらな色眼鏡でもって騎士を見る癖を矯正して、なんでも薦めてみろ。憐憫やら、なんやらで、ひょっこり売れるかもしれねえからな」


「そんなモンにすがらないとならねえ、この店って……親分、俺この店で働くの恥ずかしい事なのかもって思ってきたぜ」


「安心しろ、今は店主の俺ですら恥ずかしい。その内に胸を張れるような品揃えにしてやるから、それまでは我慢しろ」


 そう言ってジロはダンの寝床の側にあった酒のつまみにでもしていたパンやチーズを奪う。



「ああ! かあちゃんが作ってくれた俺の飯! 腹減ってるなら、自分の喰ってくれよ!」

 ジロの強奪から免れた品々をダンは素早く背に隠す。


「今度これを市場やらで買ったとして、その相場の十倍くらいの金を払ってやるから、今は渡せ。もっと持ってるだろう? いつもお前のお母上が過分に弁当持たせるの知ってるからな。さぁ出せ」


 そう言って、ダンが不平をあらわにブー垂れる中、ダンが店に持ってきた食料と酒を根こそぎ奪っていく。



 そして商品の一つである牛の胃で作った水筒を十ばかり持って清水の入った大釜から水を詰めていく。


「おう、どうしたんだい親分。飯取り上げたり、そんなに水筒持ったりよお」

 なんと言い訳をしようかとつかの間迷い、いっその事ダンも余計な事を言わぬ、操り人形のようにしてしまおうかと反射的に思い、一瞬で魔力を高める。



「あっ! 商品の仕入れかい?」



 実行しかけた所でダンが都合のアイデアを与えてくれたので、洗脳魔法をかけるのをやめた。



「ああ、そうだ。しばらくの間、近隣の……村や町に出向こうと思っててな」

 ジロは口に出しているとダンの発案は中々いい言い訳に思えてきた。



 ダンにはこれからしばらく、仕入れには夜明け前に出発して、夕方に戻る事になる事と、その刻限まで店に残り店の様子の報告を聞く旨を言い渡す。


「で、でもよう。夕方以降は……この変じゃ少ないっつっても、夜の街道には魔物も出たりするじゃねえか?」


「……滅多に出ないから安心しろ。それに万が一日が落ちきった後に俺が帰宅したのなら、その時は護衛として俺が街まで送ってやる」


「おお! 聖女エリカ様の護衛隊長だった親分が、俺を護衛!? 自慢できらぁ! そりゃあ頼もしいぜ! なら深夜まででも任せてくれよ、酒盛りして待ってらぁ!」

 

 何度言っても呼称を変えようとしないし、勤務時間中に飲酒宣言をしたダンの教育は諦める事にした。


 明日以降はきちんと早朝から店へ出勤して店番をするようにと、ダンに辛抱づよく言い聞かせ、追い立てるようにトロンへ帰らせる。



       ◆


「さて、次は王都で女物の服と食料の回収か……」


 厳重な監視態勢を誇る王都周辺ですら、今となっては移動が容易い事は実地でわかった。


 夜半の内に黒ずくめの格好で《飛行》で飛べば問題は起きにくいとジロは判断している。目撃されたとしても、王都上空などに所在不明のドラゴンや巨大な怪鳥が目撃される事も少なからずあるので、飛び立つ瞬間と着地にさえ気を使えば、半魔人ならではの、ノーリスクの移動法だとも言えた。


 

 回収に向かい、前にもう一つ用事を済ませておこうとジロは決める。


 走りながらトロンへと帰ってゆくダンの背が見えなくなると、夕暮れの丘陵を、ジロは見渡した。



「……どこだったっけかな? 確か……どっかの木陰だったよな」



 ジロは魔法に頼らず記憶を辿りながら、店から見える木立の一本一本を観察する。


「あそこだったかな? ……にしても見事な偽装だな。あるって分かっててもここからじゃまったく分からないな。幽界の生活を思い出しちまうな」


ジロは街道上に人目が無いのを確認した後、道を外れて丈の長い草をかき分けながら目標と定めた木に向かって歩き出す。


 その足元は草を踏み、獣道を作ってしまわないよう、《飛行》を駆使して浮いていた。



       ◆


草を分けながら向かってくるジロの姿を見ていたであろうに、ジロはあっさりと無警戒のままのマール・ノルズの後ろに回り込んだ。


 この監視所に対するさらなる監視が一切ないのはジロはありとあらゆる魔法を使い、すでに確認済みだった。


 マールは監視の姿勢を崩さず、本店の方を眺め続けている。


 魔法を使わず偽装されたこの監視所はよくできており、子供時代の秘密基地を思わせるような雰囲気があった。


「大したもんだな。シカリークッターの技術も。魔法を使ってないのに、ティコ・ティコ並の偽装っぷりだな」


 ジロは周りを見渡しながら、独り言を続けるが、その独り言がマールの耳には充分届いている距離であったが、マール言葉が聞こえていない様子のまま監視態勢を維持し続けている。


 ジロはふと思い立ちマールに近づき、その横顔を眺める。


 マールは斜め前で自分をまじまじと見つめるジロには気づかず、可愛らしくアクビを一つしながら、すでに閉店させた本店を監視し続けている。



「……こうやって見るとやっぱり、美人だな……サーシャも美人だったが、桁が違うって感じだな……。ここまでくればエリカ並に……」



 そこまで考え、エリカを、性の対象とした女の比較として上げてしまった自分に何かモゾモゾとした変な感じを受け、苦笑しながら思考を切る。


 再度、後ろに立ってジロは用事を済ませる事にした。


「動くな」

 

 言霊を乗せた言葉にマールはビクリと反応を示すが、後ろは向かない。


 何やら少し震えているというか、身もだえしているようにジロには見えた。


「えっと『ペール騎士は大陸一。秘密結社シカリイクッターは弱兵揃い』だっけ? お前んところの誰も言わなそうな言葉だったから、確かこれにしたよな?」


(違ったっけ?)


 そう思いながら、ジロはマールの前へと出る。



 マールの視線が、今度はジロを追っているのを見て、催眠解除のキーワードが正しかった事を実感する。


 見る見る内に顔が紅潮していき、瞳もトロンと蕩けたような、他とは一線を画したようないつものマールの催眠状態を確認して、監視所用の道を通って街道へと戻るべく踵を返した。


「お前に対する見張りはない。人影が耐えたら小屋に来い。俺以外の誰かに話しかけられたり、人の目があったら小屋には入るな、元のこの監視任務に戻れ。カウンターの俺から声をかけられたら、お前はすべてを思い出す」



「はい、ジロ様」



 監視所を出たジロの背に、鈴が鳴るような声音でマールが返事をした。


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