アドルフという名の男
生かすと決めたからには、女達には世話が必要だった。
ジロ単独であれば、そのまま飛んで帰れた(使役した狼達は勝手に帰る)のだが、魔物や亜人が跋扈する険しい山道での護衛、ルートの確保、食料、近隣の村落の確認、等々、考えねばならない事は山積していた。
(でも、どうすりゃいいのか……名声獲得は……もう無理、諦めよう。エリカの事を感謝してるのに、いまさら殺して口封じってのもなぁ……)
後で考えようと、ジロは先に盗賊殲滅を優先させることにした。
「まだ残党が多くいる。だから、それまで牢内で――」
「――い、行かないでください! ここに残るか、せめて鍵を開けて我々を出してください!」
エリカの名前を出さなかったら一緒に殺されていた事を露とも知らず、女はジロに要望を重ねる。
「まだ危険だからそれはできない」
(顔を見られたら、それこそ殺すしかないからって言えたらなぁ。記憶操作は面倒だし、どの位の母数かは知らんが、エリカ信奉者を殺すのは後味悪いからな……)
「で、ですが!」
「助けて!!」
牢内の女達が口々に叫びだし、また反響がひどくなるが、率先して会話していた女が皆を静める。静かになったところで、
「俺は……狼使いだ」
(言うに事欠いて、なんだそりゃ?)
自分の発言に呆れながら、口を開いた。
「……そ、それは一体どういう事でございましょうか?」
考えなしに言ってしまったし、この設定で押し切る事にした。
「そのままだ。俺は狼を使役する。例えば……」
急いでアーグルに《翻訳念話》を飛ばし、一頭手空きの狼を派遣させる。
一分も経たないうちに一頭の一際巨躯の狼が到着した。
(アーグル……。自分以外で一番体格が良いの選んだな……。機微も分かる奴だ)
「これからそっちに狼を向かわせるが、驚くなよ?」
少し考えて、ジロは灯火の皿を狼に咥えさせてから牢へと向かわせる。
ほのかな光とはいえ、光に目を慣らさせれば、万が一にも暗がりにいるジロの顔を見る事ができなくなるだろうとの考えからであった。
狼が牢の前へとゆくと、八人全員が息を飲んだのが分かる。
堂々とした体格と、成人の頭を容易く噛み砕きそうな引き締まった顎などの外見とともに、そもそも狼を飼い慣らす人間など聞いたことも無いためであった。
都市部の潜在的な敵と言えば人間に他ならないが、
地方に暮らす村人や旅人にとって狼は、最上位の敵であるとも言えるからであった。
「そこで待機しろ」
狼は大人しく従い、灯火の皿を格子近くに置いて、お座りをした。
……が、巨躯の狼は座ったまま低音で牢に向かって、ずっとうなり続けている。
「……。女達、万が一盗賊やゴブリンがここへやって来てもその狼が排除する。それまでそこで息をひそめていろ」
「は、はい。で、ですがその、だ、大丈夫でしょうか……その、牙を剥いてるんですが……」
「……うなるな、女達が気に触るのなら、こっちを見張っておけ」
懸念していたが、その狼はジロの言葉を《
(……。アーグルを呼べばよかったかな……もしくは……待てよ? アーグル! 聞こえるか、派遣した狼に唸るのを止めさせて、人間を見ずに、俺の方を見ろと伝えろ! 大至急だ!)
アーグルに《翻訳念話》を用いて、即座に指示を飛ばす。
十秒もしないうちに、《
その途端に、狼はピタリとうなるのを止め、座る向きを変え、ジロの方を見る。
「す、すごい……本当に従うなんて……狼使い様」
このことから、アーグルを外の指揮に回すのはやめ、入り口付近での指揮を任せる事にした。
(外のお前の眷族達にはそこから吠えて、指示しろ。お前は入り口から離れるな……。何? どうしてだと? ……あ~、あれだ。お前も知性やらを手に入れて吠え声だけでの指示を飛ばすのに慣れてないだろう? えっ? 慣れてる? まぁいい。細やかな指示は慣れてないはず。だからそこから内外の狼達を手足のように使ってみろって事……、手ってなんだ、だと? ……自分の口足みたいに自在に使ってみろって事だ。 っと。よし……)
ジロは、二足歩行生物と四速歩行生物の感覚の違いを知っておくためにも、今後はアーグルとの頻繁な念話での意思の疎通が必要だと感じた。
最後に今後も翻訳念話で指示を送ったら、他の狼に伝言を伝えろと話すと『応』との返事があった。
(……なんて使える奴だ。さすがはアーグの名前をもじらせただけはあるな。もう愛おしくもあるな。……ところでアーグル。お前は今は何をして……出てくる奴を見張りながら、掃除を指揮してた? マジか……手じゃない、足というか口? が早いな)
ジロはアーグルに絶対的な信頼を寄せた。
「こういう事だ。安心しろ、その狼はこの洞窟にいる、どのゴブリンよりも遥かに強い。こちらの用事が済むまでそこにいろ」
そう言うと女達は歓喜の声を上げ、全員が泣き出した。
(恐慌状態とはいえ、狼を目撃したゴブリン共も煙にまぎれて脱出なんて事は考えないだろう……焚かれたら、仕方ない救ってやろう)
その場合は女達の牢を破り、森の中で逃がさないように見張りをしろ、力で制するのはいいが、重傷は負わせるなっとアーグルに指示を出し、アーグルの複雑な音階を操る長い遠吠えが届き、牢前の狼が小さくワンと鳴いた。
「最後に、狼使い様のお名前をいただいてもよろしいでしょうか?」
「あ~~~」
職だけ考えて名前は考えていなかった。
まさか本名を名乗る訳にもいかず、頭をひねっていると、ふとマニーの昔話に『高貴なる狼』という名前を持つ狼の物語にまつわるAFの話を思い出した。
「……アドルフ」
「アドルフ……偉大な狼使い、アドルフ様! ありがとうございます。お帰りを心よりお待ち申し上げております!」
八人分の歓喜の泣き声を背に受けながら、ジロは踵を返し、隠し通路も封鎖され一箇所から動かなくなった残り十人の元へと向かった。
「半魔人。一世騎士。商会会長。オンボロ店の経営者。……その上、謎の狼使い。……ハハハッ……なんだそりゃ?」
役割が増えたとはいえ、物語に登場しそうな役割に、人殺しや女達の口封じを考えた時も少しも疼かなかったジロの心に、少し浮き足立ったような楽しいと思うような感情が芽生えた。
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