商会が落ちぶれた理由

 ジロは木陰で一息つくエリカの従者の二人に木製のカップに入れた冷水と濡れた手ぬぐいを渡し、エリカは自分の護衛の任に就く二人にねぎらいの言葉をかけてから、二人を長椅子へと導いた。


 そしてエリカとジロは従者二人を長椅子に残し、けぶる小屋の横へとやってきた。


 暑いし、熱い。と、そう思い。ジロは一歩退いた。


 エリカは再びフードをかぶった。ペール王国のエリートである二大騎士団に配られる外套がいとうには軽微けいびであるが、環境変化に対応する魔法が込められた糸で縫われている為だった。


 ジロはチラリと横目で従者の二人に聞かれていない距離である事を確かめた。


「しかし、やってみると難しいもんだな。ガルニエ商会の維持っていうのも」


「このあばら屋で、ガルニエ商会と名乗るのは少女時代の私に謝って欲しいですけど……。

「でも今はしっかりしてください。こんなに小汚くても、ジロのお爺様に聞かされた数々の冒険譚ぼうけんたんを知る私達後継者の三人は、これからこの小屋を先代の商会に負けない位に盛り立てていかないとダメなんですから。この薬の事以外ならば、私にも手伝う意志はあります」


 ついつい出た弱音にエリカがなぐさめの言葉をかけてきた。


 二人は言葉無く、店とは名ばかりの、どんな田舎町の木賃宿きちんやどでもこれよりはましだという程の掘っ立て小屋を眺める。


 先代ガルニエ商会の仕事場は、王都でも有数の大きさを誇った屋敷の豪華絢爛ごうかけんらんな応接室。


 当代のジロ・ガルニエのガルニエ商会は、今のこの場所が仕事場であり、生活の場でもあった。



 煙が青天の空へと駆け上がり、消えていった。




        ◆


 ジロ・ガルニエとエリカ・エピデム。


 二人はそれぞれの家は王国内で上級貴族に数えられていた名家だ。


 ジロ・ガルニエの場合は『だった』と言うのが正しい。


 エピデム家の家名・家格は今も上級貴族の一員で、さらに家名・家格は上がっていく一方だった。


 そして、ガルニエ家はジロの父の代で、断絶した。



 ガルニエ本家に関する話の顛末は、王国の大小の区別なく、貴族の間では、最新の笑い話の一つとなっていた。



 今や王国内でガルニエ本家の血筋の人間はジロ・ガルニエだけ。


 ペール王国内では、ジロの他には先々代当主、先代ガルニエ商会の会長、マニー・ガルニエの次男、つまりはジロにとっては叔父である、ジロの父サイラス・ガルニエの弟が婿むこ養子に入った地方貴族がいるだけだ。


 ジロはその叔父一族とは誰とも一切の面識がない。



 ガルニエ家断絶は、王国内騒然の前代未聞の事件であるし、絶後ぜつご、つまりは今後も起こり得ないであろうと言われている程の大事件だった。



 その事件というのは、当主であるジロの父が、ジロの祖父マニー・ガルニエの綿密な計画と指導の元、ガルニエの領地・領民を捨て、新天地へと一族の大半が、光り輝くリゾート地を数多く持つ金持ち隣国へと亡命した事にある。


 ガルニエが保有していた大半の領地は国王に接収後に、ほぼ全てがガルニエ家とは敵対していた他の大貴族派閥の所領となった。



 ジロはその事について、今は「いやいや、別に置いて行かれたわけじゃない。自らの意志で残ったんだ」と、前向きに考えている。


 そう考えてはいたものの、祖父、父、母、ジロの兄、そしてジロの五人が奇跡的に揃った、夕食会の最中にマニーがさらりとした発言を、いつもの冗談だと思い、笑い飛ばした俺が悪いわけではない。っとジロは今でも思っている。


 それほど重大な事案を、マニーが人払いもせずに給仕の奉公人の前で朗々と語っていたことも、冗談だと思った一因であった。まさかその奉公人ごとその室内にいたジロ以外の人間がすべて亡命するとは思ってもいなかった。



 ジロが冗談だと思った亡命計画発表の一ヶ月後、ジロはその頃、所属していた親衛隊内の『第五十五部隊』という、王国において重要な数字とされる、地続きのナンバリングではない、宣伝部隊ともいうべき隊の隊長を務めていた。


 この第五十五部隊長職は、代々栄誉職であり、実質的な仕事は皆無であったため、親衛隊であるのに、王の居る王都を長期に渡って空ける事さえ許される。


 隊は王都内にあったが、次の視察地の選定といういかにも貴族じみた名目の元、ジロは自分の隊を従者もろともほっぽりだして地方に赴いていた。


 そしてジロがその当時親しくしていた恋人と風光明媚ふうこうめいび湖畔こはんの避暑地の別荘で、公務という名の怠惰で堕落し退廃的で淫蕩な休暇を楽しんでいた。



 そんなある日、ガルニエ一族とは対立関係にあり、六年前の聖女事件を境にジロ個人も憎悪の念を抱いた近衛このえ騎士団の近衛騎士隊経由の出頭命令を受け、城に連れ戻されて投獄された。



 その時から、ジロは一族、総亡命の大罪や批判を一身に受ける事となった。



 ジロに対して即座に王の名の下に正式な拷問を開始するという行動は、ジロのシンパの手により免れたが、牢に放り込まれた一日目に早くも出された夕食に毒が盛られた。


 元々、近衛騎士団を憎悪していたジロは近衛騎士が運んできた食事に魔法をかけ、その毒を看破した。


 それを回避しても、毎日のように見張りの近衛騎士からは、暇つぶしに槍の石突いしづきで体を手ひどく小突かれ、砂の棍棒で殴打を受けた。それによってジロの体には常に無数の打撲痕が残された。


 そんな状況に陥ったのは、連行時のまずいジロの行動もかなりの影響があった。


 ジロが連行される時に、詳しい事情の説明を受けなかったため、休暇を邪魔されたさ晴らしにと、別荘に乗り込んできた場違いで無粋で、喧嘩けんか腰の近衛騎士を相当数、気絶させた。


 事の重大さを知らぬジロは連行中にも「暴漢だと間違えた」「近衛騎士は鍛錬が足りないのではないのか?」「地方騎士たちの方が強かった」等と、散々にせせら笑った。


 特に目を回した全員がいけ好かないエリートの近衛隊だけで、実際に取り押さえた無傷の騎士達の全員が湖畔の領地の地方騎士達であったという事実が、余計に近衛騎士団と、近衛隊の上層部を怒らせた。




 牢に閉じこめられていた期間は、楽観的なジロでさえ、遊び半分で略章を付けていた近衛騎士だけを選別して倒していた自分の不明を呪ったが、放免となった今はまったく気にしていない。

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