第10話 掃除

言葉にする度にノウンという名は現実味を増し、己の事なのだと認識するかの如く。

ノウンと名付けられた亜人の子には分からないだろうが、ミュールからすれば、その姿は過去のジョンと重なって見えた。親から生まれた子では無く、突然存在した己。自己認識などと安易に言われるが、結局のところそれは外部からの情報を身に纏い、形となした心。外部からの情報も無く、突然生まれ落ちた者にとって、名がどれ程の意味を持つか。この船においてその事を知るのは名付け親であるジョンぐらいなものか。そしてそれ故に、仮であれノウンという名を送ろうとしたのかも知れない。何処か生きようと足掻くかの様な仕草を見送り。

「・・・掃除の件ですが、代償行為では無く、己が成したいと思われた場合には許可致します。冷たい話になりますが、こんな有様でも問題はありません。言いかえるならば、生きていく為に必要な行為でも無いのです。ですが、それでもやりたいと思うならばお任せ致します・・・・ノウンさん」

それは冷たく突き放す言葉であったが、ノウンにとっては関係無いのか、瞳に意思の光りを宿しては鼻息荒く何かを決意する様子が見て取れた。きっとこのまま放置した所で意思は曲がらず、部屋を片付けだすのだろう。

それが亜人という性なのか、それともノウンの心なのか? 前者であれば仕方ないと納得し、後者であれば悲しい事だとミュールは思い、微かな燐光を残して掻き消えた。

 

ミュールに如何思われているかなど知らず、ノウンと呼ばれた亜人の子は部屋を見渡しては、一人思い耽る。

「やっぱり・・・綺麗な方がいいですよね」

と言うか、それ以外の方法を知らないと言うべきか。しかし、一つの方法さえ分かるならばそれを成さない理由も無い。散らばった衣服を掻き集め、洗濯カゴと思しき物に詰め込んでいく。

「ん~~~此れは如何すれば・・・・」

部屋を片付けるにしても、先に衣服を洗濯すべきかと一旦服を纏め終えると、如何したものかと辺りを見渡す。

そうした様子を何処かから見ているのか。

「―――わっ!?」

振り向く動きに合わせ、突如として目の前に何らかの絵が表示された。恐らく注意を引く為なのだろうが、絵の一点は緩やかに明滅を繰り返す。絵の全体像としては似た様な四角い枠が並んでおり、明滅する四角い枠と、自分が居る部屋とが似通った作りなのだと亜人特有の空間認識が訴える。

「・・・だとしたら、この部屋なのかな?」

疑問の答えが正解であるとでも言う様に明滅は激しくなり、光点は線を描いていく。線はそのままこの部屋を抜け出ると、縦に伸びる通路と思しき場所を抜け、新たな部屋を指し示した。

「もしかして・・・洗濯室なのかな?」

手に抱えた衣服の山。それを如何にか処理しなければならず、途方に暮れていた様を見かねたのだろう。ミュールと名乗った少女を思い出し、頭を下げると。

「―――よいしょ!」

と掛け声一つ。身の丈よりも大きな衣服の山を抱えて足取りも軽く部屋を駆けて行く。普通であればよろめいて然りな状況ではあったが、子供であっても亜人。肌に感じる空気の流れにより周囲の状況を把握し、視界が衣服で塞がれようとも関係無いとばかりに猫の様な耳を震わせて目的の場所へと至る。

「・・・多分、此処かな?」

頭の中に先程描かれた船内図を思い描き、位置を照らし合わせては一人頷いた。

「うん、此処だね」

完璧な空間認識を備える亜人にとっては不必要な確認作業ではあったが、過去幾度と無く大人達に怒られたせいか、確認する事が癖になってしまっていた。そのせいで兄弟からは仕事が遅いと言われ、大人達からは不良品と罵られたが、身についてしまったものは仕方ない。再度確認せず気持ちが悪いよりもましであろうと納得すると、そのまま門戸を開いた室内へと歩を進め、開かれた扉からは薄暗い室内が見て取れた。

室内からは微かな洗剤の匂いと、多少のすえた汗の匂い。匂いの元を辿れば自分の抱えた洗濯カゴと同じ物が二つ程放置されており、洗濯しようとしたのだろうか、衣服の山が出来ていた。一見して途中で諦めた様子から、ジョンと呼ばれた大人の人は洗濯が嫌いなのだと推察し、ノウンはそれらの山を一瞥しては尻尾を揺らし一人笑みを浮かべる。

きっと、傍から見れば可笑しな光景かもしれないが、それは満ち足りた人の感想。ノウンにとっては、自分に出来る事があるのだと、必要とされているのだと改めて認識し、自然と頬を緩ませた。

「あ、これ知ってる奴だ」

洗濯という行為は既に完成された技術なのか、過去にノウンが使用していた物と同じ洗濯機を眺め、微かな懐かしさと苦痛の思い出に笑みを漏らす。とは言え慣れた機種である事は助かった。一々質問をしてばかりではいつ何時怒りを買うかわからない。ミュールという少女に対しても色々と迷惑をかけてしまっているのだから、何とか迷惑をかけない様にしなければならないと思っていた矢先にこの幸運。知らず知らず笑みが漏れるのも仕方なく、鼻歌まじりに洗濯機の蓋を開き、汚れた衣服を詰め込んでいく。

「ん~~んん~~~ホイ、ホイ、ホイっと! これで完了っと。さてさて、洗濯が終わるまでに御主人の部屋を片付けないと」

言うが早いか、洗濯室より元居た部屋へと踵を返す。

寝室は先程と変らず汚れてはいたが、汚れた衣装を片付けた為かすえた匂いは薄まり、巻き上がった小さな埃は、船の空調設備を作動させ、吐き出された新鮮な空気が頬を撫でる。何時の間に現れたのか、足元には微かな音を立てて汚れを吸い取る自動掃除機の群れ。それらの機械は今こそ役目を果たす時とばかりに埃に群がり歓喜とばかりに吸い込んでいく。そうした様子を何処か羨ましそうに見つめ、負けるものかと気を吐いた。

「・・・・そうだよね、君たちも役目を果たしたいものね? でも僕も負けてられないぞ!」

掃除機達も突然の気勢に何事かと詰め寄るが。

「な、なんでも無いです・・・・御掃除を続けて下さい!!」

と、慌てて手を振るノウンの様子にやれやれとばかりに埃を吸い込んでいく。しかしながら未だに散らばるゴミの山。

何に使う物か分からない物も多く、勝手に捨てられる筈も無い。相反する矛盾に、折衷案として手近な箱に物を詰めるという方向で折り合いをつけた。後々確認が取れ次第ゴミとして廃棄する予定ではあったが、何とか体裁は整い、洗濯室への数度の往来の果て、ジョンの寝室は真新しい色を取り戻した。

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晦冥航路 紅龍 @kouryuu0319

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