第9話 ノウン
「・・・・成る程、対価を支払おうとする姿勢。やはり、精神抑制はされていない様ですね・・・。良いでしょう、ではこの部屋の掃除を任せます」
何だか理解不能な言葉を言い放つと、少女を写したモニターは燐光を放ち掻き消える。何時の間にか胸元に添えていた手からは、「ドッドッド」と、鼓動を早めた心臓が早鐘を打ち、緊張していたのだと知れた。
「・・・ふぅ」
額に浮かんだ汗を拭い、立ち上がったベッドから周囲を見渡していく。部屋にはベッドを中心に衣服が散らばっており、多少汗ばんだ匂いが室内に満ちていた。しかしながらあの船の亜人部屋も相当な環境。掃除をしたくとも水も無く、冷えた鉄の檻が乱立するのみ。それに比べれば天国と言っても過言ではない光景に意思の光りを瞳に宿す。
さて片付けようと、腕まくりをした瞬間。再度少女の幻影が現れては問い掛ける。
「・・・失礼、お名前を伺っても?」
「うっわぁあああ!!」
当然、突然現れた幻影に仰け反らせ飛び退いた。身体もそれに追従し、引いた筈の汗が噴出し、心臓も早鐘を打ち鳴らす。悪戯ともとれるそうした行動に、少女の顔を見つめるが、先と変らぬ無表情。ならば名を問う事は必要な事なのかと、呼ばれた事も無い名について再度頭を悩ませる。あの船で亜人が呼ばれる時は往々にして「おい!」だの、「そこの!」や、「お前!」で済む話であり、僕の名前は「それら」ですと言った処で問題ないのだが、少女がそうした答えを求めていないのだろう。唯一名前と思しき記号は『実験』の最中の記憶。そう、僕の名前は確か―――。
「確か―――NDK3098・・・・」
「―――結構です」
「・・・・っひ!」
心の臓に釘でも打ち込まれたかの如く、冷えた言葉が突き刺さる。元より無表情であった少女の顔は、まるで精巧に作られた人形めいて見えた。何か間違った答えでもしたのだろうかと、尻尾を抱えて様子を伺う。
しかしながら、何時もならば飛んでくる拳も無く、如何すれば良いのかと心底頭を悩ませた。殴るという行為は、人にとって楽しい事なのだろう、常日頃からこうした態度をとっては罰を受けた。だが、今となっては、少し分かる気がするのも事実。きっと傍から見ればおどおどとした姿に吐き気がするのだろう。当然、気持ちの悪さを解消する為に、兄弟達は殴られ、笑う事を強要され。笑わなかった者は『実験』へと送られた。そうした経験から殊更怯えを示すのは普通の事であり、科学者? と呼ばれる人達が言うには、成功なのだそうだ。
きっとそれこそが、少女の言った『精神抑制』とか言う行為なのだろう。怯えや怒りや痛み等の強い感情は『事象改変装置』を動かす動力になるらしく、精神を抑制されたままでは充分な精神力が働かず、動かす事が出来ないのだと『実験』で聞かされていた。つまるところ、亜人らしくも無い僕の行動に少女は怒りを覚えたのだと納得し、改めて悔しさに尻尾を齧る。
「っむ~~~」
「・・・痛くは無いのですか?」
少女の声に再度飛び上がると、自身の行為に顔が熱を持つのを感じた。昔からの癖で恥ずかしさを誤魔化す代償行為だと大人の人達に言われていた事を思い出す。簡単に聞いたところ、痛みで恥を忘れるという行為らしく、慌てて尻尾を手放し恥ずかしさに顔を手で覆う。全部が全部失敗の連続。やはり僕は失敗作なんだと、うな垂れる背に少女が声を投げ掛けた。
「ごめんなさい・・・・辛い思いをさせてしまって」
「・・・え?」
角の取れた柔和な声に、何事かと振り向くなり奇異な姿を目にする事となった。無表情であろうと想像していた彼女の表情に、笑おうとする仕草を見つけてしまい、如何したものかと間抜けな声を上げる。
少女にとってそれは最大限の謝罪だったのか、苦しげに表情を変えようと苦心するのが見受けられた。
理解不能な状況に、また失敗したのだと尻尾に伸びる手を制し、謝罪の言葉が重なった。
「―――不躾でした」
「い、いえいえいえいえ!!」
映像も合わせて頭を下げられれば、僕としては慌てる他無く、首と手を出鱈目に振っては否定する。
そうした行為が暫く続き、どちらとも無く。
「っふ――――」
「あ・・・ははは・・・」
と、笑みを浮かべては、場の空気を取り繕う。
「如何やらジョンの見立ては正しかったという事ですね・・・。改めまして、私の名前はミュールと申します。以後お見知りおきを、――――ノウンさん」
「・・・ノウン?」
言われた事も無い名称に当然ながら首を捻る。番号は流石に面倒だと理解していたし、僕としても“お前”と呼ばれるのだろうと理解していたところにこの名称。何か意味があるのだろうかと疑問の表情を浮かべるが、そうした様子にミュールと名乗った少女は一人得心し。
「失礼ながらジョンが命名した名前でして、勝手な事ですから気に入らない事もあるでしょうが、暫定的な仮の名として呼ばせて頂ければ幸いです。私としても名を呼ぶ時に番号を羅列するのは避けたいもので、何か良い名を思い浮かべば直ぐにでも変更して頂いて結構です。円滑な会話を進める為の潤滑剤であるとだけ理解して頂ければ」
すらすらと語られる情報の波。恐らく僕の事を“それ”等と呼びたくないという事に尽きるのだろうが、初めて受け取った「ノウン」という呼称に、特別な名称に胸の奥がドクンと高鳴るのを感じた。僕は大量に製造された一体じゃ無くて、ノウンという個体なのだと。この世界に存在するのだと初めて言われた様で、頭の奥からツンとした変な感覚が体を突き抜けた。
「――――ノ・・・ウン・・・・僕の名前は・・・ノウン・・・」
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