第8話 奉仕
◆
「・・・よいしょ、よいしょ」
何処か遠くでそんな声が響いては消えた。
何事かと動き出そうとするが、今だ感覚はぼんやりとしており何処となく夢うつつ。
聞こえてくる声の主にも心当たりがあり、そもそも船の中であればミュールが如何にかするだろうと意識を手放した。
その様に多少警戒されているとは知らず、亜人の子は、お姫様宜しくジョンを両手に抱えてジョンの部屋へと歩む。
それは子供が大人を抱える様な異常な光景ではあったが、作られた種としての力か、さして力を加えるでも無く、悠々と抱える様は余裕そのもの。物を運ぶ様な無遠慮な行進では無く、眠りを妨げぬ為に衝撃を逃がすあたり、ジョンに対する敬意が推して知れた。とは言え、子供に抱えられる大人の姿など笑いの対象でしか無かったのだが。
しかし、そんな考えは頭の中に無いのか、ジョンの部屋へと辿りつくなり抱えたジョンをベッドへと横たえる。
「・・・んぁ・・・」
「っわぁわわわわ」
少しばかり衝撃が強すぎたのかと慌てるが、ジョンが再度寝息を立てた事で胸を撫で下ろす。
ジョンをベッドへと運ぶという仕事を終えた事で、改めて周囲を見渡し、尻尾を揺らす。
「―――よし!」
大事な仕事をこなし、一つ気合を入れては、少し前の事を思い出す。
目覚めた当初は、この部屋の有様に夢だったのかと思ったものだが、如何やらそうでは無い様で、目覚めるなりモニターが点滅し、見知った銀髪の少女が現れた。
「・・・おはようございます」
「お、おはようございます!!」
慌てて返した返答ではあったが、少女も気にした様子も無く、淡々とした表情で僕を見下ろしていた。元々無表情で、先程もこの様な表情であったと思うのだが、亜人の本能が違うと告げていた。何が違うのかと問われれば、熱と言うべきなのだろうか、何か大事な事の為には小事を切り捨てる事が出来る冷たさの様な物を感じ、体を震わせる。
「そ、そのぉ・・・・」
「心配しなくても大丈夫です」
「は、はひぃ!」
怯えた心の影響か、呂律の回らぬ返答に僕は恥ずかしさに顔を手で覆う。手から伝わる熱より、赤面しているのだろうと思うなり益々熱は増し、布団を被って蹲りたい衝動に駆られた。しかし、そんな事が亜人に許される筈も無く、恥ずかしさを押し殺し、少女へと顔を向ける。
「あ、あのぉ・・・此処は何処なのでしょう?」
少女は値踏みする様に僕を見下ろし、部屋を眺めると、溜息混じりに口を開いた。
「・・・はぁ。確かに此処の状況を見れば、不安がるのも当然の事。口に出すのも恥ずかしい話ですが、唯一寝室としての機能を備え・・・いえ、保っているのがこの部屋なのです。元々、人を乗せる様な船でもありませんし、他に部屋は有るには有るのですが、物置と化しているので止む終えず自室を開放したのでしょう・・・が、この惨状。もう大人なので言うまでも無いと思っていた私が愚かでした。ジョンを叩き起こして片付けさせましょう」
無表情の中に多少の怒りを宿し、モニターに映る少女が飛翔する。きっとこのままあの人を叩き起こしに行くのだろう。それは少女にとって日常なのだろうが、僕にとっては違った話。美味しい物まで頂いた上、寝床まで奪っておいてこの始末では生きた心地がせず、慌てて飛び起きモニターに縋る。
「だ、大丈夫です!! い、いえ・・・そのぉ・・・」
慌てて行動したものの、何を言えばあの人の為になるのかと頭を捻り。
「む、むむむ・・・・」
と、声が漏れる。モニターの少女も何か思う処があったか、無表情な表情で僕を見下ろしていた。はっきり言って背筋が凍る恐ろしさではあったが、誤魔化す為に尻尾を握り締め。
「・・・・あ!」
降って湧いた答えに声を上げる。何でこんな事が気づかないのかと過去の自分を殴ってやりたかったが、此れならばきっとあの人の役に立つ筈だ。
「お・・・お掃除・・・・しても良いですか?」
「・・・・・・・」
流石に突飛過ぎたのか、少女は固まり、不思議な生物でも見るかの如く。恐らく、あの人は掃除などをしないのかもしれず、不思議だったのかもしれない。だけど僕達、亜人にとっては普通の事。あの船に居た時から掃除は僕達の仕事であり、糧を得る為の誇り。上の兄弟達がよく言ったものだ、「埃を拭って誇りを手に入れよう」だけど僕にとってはいまいち意味が分からず、意味を知っている筈の兄弟に聞いたところで、「寒い、寒い」と、尻尾を抱く始末。
とは言え、何だか痛い『実験』を受けずに済む御掃除は楽しかったのも事実。きっとこの後、白い服を着た人達が迎えに来て、『実験』されるのだろうが、その前に楽しい掃除で役に立ちたかった。僕を蹴ったり、殴ったりしない人に会ったのは此れが初めてだったので、何か返せるものは無いかと考えてみてもやはり思いつくのはこの程度。
もっと勉強して役に立てれば良かったと心底、悔やんだが『実験』が失敗すれば終わる命。ならばせめて掃除だけでもと、そうした言葉が口をつく。
しかし、少女は少し訝しむと、顎に手を当て思考に耽る。
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