第6話 食事

「それで、あの子の名前は如何するのですか?」

支度が整ったのを見計らってミュールがそう問い掛ける。人に対してこのような会話をすれば侮辱以外の何ものでも無かったが、亜人にとっては別の話。名を持つという事は人だと認める事に他ならず、番号で呼ばれる事が常。

従って、あの少年もその例に漏れず、名を問うたところで返って来るのは虚しい番号の羅列。

少年を救うと覚悟したのだから、常に番号で呼ぶなど願い下げ。そうした要因を排除せんとした言葉に、思考の隅に追いやっていた暗い感情が浮かび上がる。

(まったく・・・神ってのは不条理な奴だ。事象改変装置なんて代物が作られても神は観測できなかった。人は、神と呼称される存在から手を離されたのだろうか? それとも・・・・)

「・・・・聞いていますか?」

「ん? 名前だったか?」

頭に浮かんだ暗い思考を、頭を振って打ち消し、殊更冗談めかして笑みを浮かべる。神に縋るなんて子供のような思考に、成長していないのは自分かと頭を掻いては、溜息を吐いた。

「そうだな、正体不明って事でアンノウンから取って、ノウンとか如何よ? 中々力強くて良い名前だと思うんだがな」

「・・・力強い? アンでは無くて、ノウンですか?」

「ん? 何か変か?」

「・・・・いえ、別に」

やはり安直に過ぎたのか、ミュールからは手放しの賛同を得ることは出来ず、曖昧な頷きのみ。しかしそれも当然か、自分と同じく名無しだと好きに名乗る者など居る筈も無く、別の名前を考えようとするが、そうした思考を開かれた扉の音が遮断する。

「あ、あのぉ・・・・次は何をすれば宜しいでしょうか?」

亜人の少年は扉から控えめに顔を出すと、人に奉仕せんとする亜人の性か、外見を笑みで取り繕い、そう問い掛ける。

湯船を浴び、すす汚れた容姿は輝き、薄汚れ茶色く変色した頭髪は、今は燃えるように赤く、人ならざる者だと指し示した。相貌にしても輝き、美少年と呼ぶに相応しく、人の様な自然に作られた産物を逸脱し、そうした種の亜人が持つ完璧な容姿を備えていた。有体に言うならば、超が付く程の美少年ではあったが、それ故に人では無い。

人が夢想する完璧な人形それが彼等であり、その為、被造物である彼等には人権は無いのだ。

「綺麗になったようだな。では、此方に来て飯でも食いな」

ジョンが指し示した先には、標準的なテーブルと、並べられた四つの椅子。基本的に食事を取ると言っても、必要とするのはジョンのみであり、必要の無い物ではあったが、一つポツリと置くよりはましかと、設置した物。

こうした機会が訪れなければ役にも立たないガラクタであったが、今日ばかりは主役。見てくれは質素ではあったが、その実、目の飛び出んばかりの高級品を所狭しと並べられ、テーブルはその役目を十全に果たしていた。

少年は静々とテーブルへ歩み寄ると、『粥』を見て。

「あ! 此れ何時も食べてました」

と、既知の食べ物だと訴えた。そんな大層な物を与えられていたのかと首を傾げ、『粥』の形状に似通った物を思い浮かべ、溜息を吐いた。

「まさかそれって、『基礎栄養食』とか言わないか?」

「・・・はい、たしか大人の人達がそう言ってました!」

「やっぱりか・・・・」

基礎栄養食と比べられる現実に、報われない苦労と消費した金額に別れを告げ、粥を椀に盛り付ける。少年にとっては別段変った光景でも無いのか、ドロドロとしたそれらを眺めては、両手で皿を作り手で貰おうと、手を伸ばす。

「ば、馬鹿か!」

「―――ひっひぃ!!」

何か不味い事をしたのかと、少年は猫の様な耳と尻尾を逆立てる。とは言え、最悪な事態を免れたのも事実。

如何したものかと呼吸を漏らし、手にしたスプーンを少年へと向ける。

「食った事も無いだろうから分からんだろうが、此れは結構熱いんだ。だから、食べる時は此れを使え。亜人だから怪我をしたところで、すぐ治るだろうが、見ていて気持ちの良いものじゃないからな」

「・・・は、はい・・・すみません」

少年は静かに頭を下げると、ジョンの手よりスプーンを受け取った。スプーンという物の使い方すら知らないのか、それを見つめては、匂いを嗅ぎ、舐めては、齧る。しなしなと力を無くす尻尾からも残念という感情が見て取れた。

「・・・・舌がピリピリします」

「そりゃ、鉄を思いっきり齧ればそうなるさ」

そうした様子からも、『基礎栄養食』以外の食事をしていなかった事が伺えた。劣悪という言い方こそ相応しい少年の過去。その事を思えば、『粥』では無く、別の何かにするべきであったが、今はもう遅い。それに味も自慢の一品。

食してみよとばかりに満たした粥に梅干を載せる。少年も空腹を覚えたのか、『グー』と、腹を鳴らし、尻尾はそわそわと宙を泳ぐ。まるで待てと言われた子猫の様で、何故か感じる罪悪感から。

「食べていいぞ」

と、自然に言葉が口より漏れた。言うが早いか、空腹の赴くままに、スプーンを逆手に構えた少年は、粥を掬っては、咀嚼し、驚きに目を見開いては、流し込む。未知というスパイスと、美味という味覚を糧に、一杯目の粥を征服しては、ジョンに対して期待を込めた視線を放つ。

「あ、あのぉ・・・・ご主人様? そのぉ・・・・」

だが、亜人が人に何かを求めるなど許されざる行為。未知の甘露に、本能は更に更にと求めるが、理性がそれを食い止める。そうした逡巡する気持ちが、言葉となってあやふやに漏れては、否定せよと顔を振る。次第には我慢できなくなったのか、己の尻尾を齧りだす始末。あまりの光景にジョンも呆然としてしまい、慌てて粥をよそっては、少年に差し出した。

「いや、すまんな・・・・意地悪をした訳では無いんだが、亜人にしては感情豊かだと思ってな。すまん、すまん」

精神の大部分を抑制された亜人として奇異な姿に、言い訳じみた言葉を放つが、そうした事は右から左。少年は粥を見つめては、瞳に涙を浮かべて、ある言葉のみを待っていた。それだけは亜人の性だと象徴するかの様な意思に、ジョンは何度目か分からぬ溜息を吐いて。

「食べて良いぞ」

と、呟いた。

「はっむむむ・・・はむ」

先ほどは食わずに取っていたのだろう、梅干と漬物を口に納めては、粥と同時に流し込む。そして、それと共に訪れる更なる味の奔流に目を輝かせては、椅子の上で飛び跳ねる。行儀云々の遥か彼方。注意する以前の行為ではあったが、楽しんでいるならばそれで良いと、ジョンも久方ぶりの他人との食事に心が柔らかくなるのを感じていた。

それから何度そうした行為を続けただろうか、大量に作った筈の粥は忽然と姿を消し、椅子の上で猫の如く丸くなる少年が一匹。腹が膨れて眠くなったのだろう、「っみゃぁ・・・」等と寝息を立て、幸せそうに眠っていた。

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