第4話 趣味
「まったく、長いようで短い十年だったなぁ。結局この世界での生き方は理解したが、自分の事となると分からずじまい。まぁ、でもそれが普通か・・・・」
人にしても生きている目的など生きるという一点に絞られる。ならば、自身の正体を知った処で、目的は変らない。
少年の頃であれば、そんな事に納得できず、自身の過去を探ろうとしたのだろうが、大人になれば多少は変化する。
今を生きるという事に主眼を置けば、割と折り合いはつくもの、名無しの少年はジョン・ドゥ(名無し)と名乗り、少女はミュールと名乗った。ミュールにはこの船『ヴァルキュリア』を扱う上で、知識を有しており。それ故、付随する彼女は名を有していた。だが、当然少年に納得できる筈も無く、己の名を請うた処、ジョン・ドゥ(名無し)と付けられる始末。
名とも呼べぬ呼称ではあったが、呼称できる名が無ければ不便と、渋々受け入れ、今に至っていた。
そうした経緯ではあったが、今ではジョンという名前にも愛着を感じており、髭を剃った自分を見つめては、己はジョンだと認識する。
「・・・・あの子も俺等と同じなら、何とかしてやらないとな・・・・」
痩せ細り、枯れ木のようであった亜人の少年。今にも折れるのでは無いかと恐る恐る抱き上げたあの姿を思い浮かべては、身を案じた。過酷な体験をしたのだろうし、それ以外を知らない可能性は充分にある。外の世界を知らず、痛みや、苦しみが世界の全てだと勘違いさせられた者達。大概は亜人と呼ばれる人と扱われぬ被害者。そうした地獄を便利屋という仕事の過程で何度も見てきた。その内の何人かは、外の世界を知り、羽ばたいていったが、そうは成れない者達も居た。苦痛を友とし、地獄を日常と捉える者達。そう思わねば、心が砕けていた者達。異常に適応した者達は、悲しいかな外の世界を異常と捉え、適応する事無く心を砕かれた。それを心の弱さだと断じるのは強者の思考であり、持つ者の傲慢。ジョンにしても持つ者ではなかったが、勝手に作られ、消費される彼等に比べれば記憶の有無など贅沢に過ぎた。
「生きる事すら過酷な彼等に比べれば、俺の人生なんざ簡単なものだな・・・・。俺と同じなんてあの子が聞いたら怒られちまうな」
鬱々とした気持ちを溜息に混ぜて吐き出し、両手に溜めた湯を顔に叩き付けた。滴る湯水に洗い流され、体は清涼感を感じるが、その程度で洗い流せる程、胸の蟠りは軽く無く、諦めと共に、湯船へと再度飛び込んだ。
大きな湯船は波紋を打って、小波を放ち溢れた湯は、ジョンの心情とリンクするように流れて消えた。大人が子供の真似をしたところで、真に童心に返る事はできず、虚しい思いを胸に、水中より浮かび上がったジョンは水面を漂い、再度顔面を手で覆う。それは一種の懺悔であり、救えなかった者達に対する後悔・・・・そして、決意。
「・・・一度救ったのなら・・・・救ってやるさ・・・・」
誰に聞かすでも無く、己に放つ呪いとも思える言葉。過去の記憶を持たず、この十年を全ての記憶とするジョンにとって、この決意だけは本当の感情であり、掴み取った人格そのもの。そう、だからこそ、ジョンにとって違える事など出来る筈も無いのだから。
「なら、やる事は一つだな」
ミュールが風呂を勧めた理由は、こうした決意を促す意味かもしれなかったが、今だけはその掌に乗るのも悪くない。
身も心も洗い流すと、行動開始とばかりに勢い勇んで風呂場の扉を開き・・・・・固まった。
「・・・・ん?」
「―――っひぃ!!」
脅かすつもりは無かったのだが、勢い良く開け放たれた扉は『ピシャリ』と、物音を立て、眼前の少年を驚かせてしまった。亜人の少年は、不安に揺れる瞳をジョンへと向け、顔の半分をジョンが脱ぎ散らかした衣服で覆っていた。
恐らく、そうした清掃の仕事なども行っていたのだろう、そうした事を役目だとでも思ったのか、はたまた、やらねば怒られるとでも思ったのか、後者であれば再度湯船に顔を突っ込みたいところではあったが、そんな事をしても変るのは、自分の気持ちのみ。少年の事を思えば、言葉の一つでも掛けてやるべきだろうと、慌てて口を開く。
「す、すまない、何時もの癖で脱ぎ散らかしてしまった。俺だけが利用する場合は、機械が勝手に掃除してくれるもので、決して君が後で入って来るだろうから、掃除を任せようとかそう思った訳では無いんだ。だから、その汚い服はそこらに捨ててくれて構わない。と言うか、捨ててくれ」
痴漢の冤罪を証明するかの如き稚拙な弁明ではあったが、多少の効果は見て取れた。
少年は慌ててジョンの衣服を後ろ手に隠し、顔を赤く染め、手近な洗濯篭へと歩みより、ジョンの衣服を丁寧に納めていく。ゴミにも近い薄汚れたジョンの衣服。そのようにする必要も無いのだが、篭を手にして部屋の隅へと下がる。
そうした様子は傍から見れば主従のそれ。ジョンとしても途方に暮れて、片手で顔を覆う。
とは言え、このままでも仕方無く、ストックしてあった衣服を急いで着込むなり。
「少し此処で待っていてくれ」
と、少年に向けて言葉を呟いた。少年は少年で顔を多少捻り、疑問を露に固まるが、答えを待つよりも実行する方が早かろうと、ジョンは足早に自分の自室へと駆け込み、汚れた室内より、過去の思い出を引っ張り出した。
少年が不安に思っていないだろうかと、慌てて風呂場へと戻ったのだがそれも杞憂か。少年は未だに顔を捻り、尻尾を漂わせ、疑問の表情を浮かべていた。
「・・・・待たせたな」
ジョンはそう言うと、手にした子供服を少年に手渡し、洗濯篭を奪い取る。少年は少年で、何か怒らせたのだろうかとでも思ったか、瞳は潤み、尻尾は小刻みに揺れる。そうした光景は、ジョンの心を抉るが、何も悪い事はしていないのだと自身を律して、誤魔化すように少年の頭を撫でた。少年は少年で理解不能な行為に。
「――っひゃぁは!!」
等と声を上げては、風呂場へと駆け込んで行く。常識の無い行動ではあったが、常識すら学ぶ事も無かったであろう人生を鑑みて、溜息と共に言葉を投げ掛けた。
「此処をお前の家だと思ってくれて構わない。その服は俺が子供の頃に使っていた奴だが、今の服よりはましだろう。ゆっくり風呂に浸かって、気持ちの整理がついたら顔を出すと良い・・・・では、後でな」
これ以上の言葉は野暮であろうと、選択篭を手に風呂場より退出する。大人として満点とは言えない行動ではあったが、未熟な自分ではこの程度がせいぜい。人付き合い等も億劫であると、避けていた付けが回った結果ではあったが。
「如何かしましたか?」
「・・・いや、何も」
会話の相手が自身に輪を掛けて人間味の無いミュールでは仕方の無い事。何時までも洗濯篭を抱えるのも不恰好であろうと、全自動洗濯機へ汚れた衣服を叩き込み、厨房へと足を進める。『ヴァルキュリア』は小型船である為、生活に必要な場所は近くに併設されており、風呂場の横は洗濯室。その対面は厨房となっており、寝る以外の生活はこの空間で済ます事が出来た。
「料理・・・ですか?」
ミュールが久方ぶりの光景に疑問の声を上げるが、それも当然の事。この世界において料理を作るという事は無駄そのもの。食材を切るだけでも水を使うし、食材の皮も出る。そして何より時間が掛かる。それならば、多少の動力を使用し、事象改変機関で料理を創造する方が全てに勝る。美味い料理を事象改変にて作り出す場合、それなりの使用料を請求されるが、味に拘らなければ食に困る事も無く、一般的な食事ならば料金も割安。生活に必要なライフラインである為、その辺りは優遇されていた。そうした理由もあり、食材そのものを生み出すよりも、料理その物を生み出せてしまう為、料理をする者は少なく、ある種の娯楽であった。合理的とも思える淘汰の先に、果実を除く食物を生み出す意味は薄く、食材に対しては異常とも思える使用料を要求されるようになっていた。
その為、厨房という存在その物が必要では無く、使う事も稀。足を踏み入れただけでも料理なのだと知れてしまう。
「亜人の子がどんな物が好きなのか分からんが、体も弱っているだろうし、粥でも作ってやろうかとな」
勿論、『万能の手』にでも頼めば、数千種類の粥の中から、好みに合った物を抽出するだろうが、それだと何か悲しく思えたのだ。合理性の中から物として生み出されたのだと突きつけられた少年に、時間と手間を掛けて作り出した食べ物で何かを伝えたかったのかもしれない。それはただの感傷であろうが、ジョンは自分の為にもそうしてやりたいと思ってしまった。
「・・・・お好きにどうぞ。そもそも、外見にお金を掛けず、食べ物にお金を掛けているのですから、今こそ無駄に磨かれた料理の腕を振るう時でしょう」
「酷い言われ様(よう)だな・・・」
「事実では?」
「・・・・・・」
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