第2話 漂流者

「―――っ!」

もう何度目だろうか、容赦無く、ミュールより叩き起こされる感覚に辟易しつつ、目頭を押さえる。

悪態の一つでも吐こうかとも思ったが、それよりは生存者の確認であろうと、エインが手にしたポットを見る。

ポットの外観に損傷は見られず、ジョンも安堵の息を漏らしては操縦席の扉を開ける。

それを見て、昇降機が操縦席へと迫るが、無重力ならば必要は無く、エインを蹴り、反動でポットに手を掛ける。

ジョンが床に足を着けたのを見計らい、ミュールが重力を発生させる。宇宙空間であれば重力が無い方が作業もしやすかったが、それに慣れてしまうと体が鈍ってしまう。その為、ヴァルキュリアは戦闘時を除き、1Gを保っていた。

微かに掛かる倦怠感に、ジョンは首を鳴らし、ポットに敷設された緊急脱出レバーを引き上げる。

すると、「プシュ!」という空気の音を響かせ、中から匂いが放たれた。

「っう・・・臭っ!!」

船という密閉された環境。常に空気を循環させ、ろ過されたそれでは匂う事の無い腐臭に、ジョンは鼻を手で押さえ、感想を漏らす。余りの臭気に、空気清浄機が、「ゴンゴン」と、唸りを上げて空気を吸い上げ、宙に浮くミュールの画像は何処か不機嫌であった。

(・・・・まぁ、自分の体に匂いを付けられたようなものだから当然か)

ミュールのそうした所作に溜飲が下がるのを感じて、ジョンは静かに微笑する。とは言え、事態を知る為には生存者の証言が必要。ジョンは手にしたペンライトをポットの中へと当てる。

「・・・・ん、んん~~~」

するとそこには人らしき者が一人。ペンライトの光に顔を顰め、周囲には吐き散らしたのか、匂いを放つ異臭の正体。

「まぁ、あんな無茶苦茶な挙動すればそうなるはな」

脱出ポットは人を守るという観点から、内部は柔らかい素材で覆われている。しかし、だからといって衝撃を殺せるものでは無い。先程のように上下左右、前後不覚に陥る程の挙動では、そうなるのも当然の事。

死んでいない方が不思議なぐらいなのだから。

「おっと、そうだった。ミュール・・・生存者の状態は?」

何処か嫌々ながらといった空気を放ちつつ、生存者へ向けて壁面に設えたセンサーが駆動する。

多種多様な検査が可能なそれが暫く駆動し、検査完了とばかりにミュールを映す画面がジョンへと迫る。

「如何やら疲労や、栄養失調等が要因のようです・・・」

「・・・つまり?」

「命に別状は無いという事です」

「っふ~~~」

死に直結する状態では無いのだと知り、ジョンも胸中にわだかまる不安を吐き出した。結果として護衛は失敗したが、内部の事までは管轄外。もし、依頼主が複数の護衛を依頼していれば、このような事態は防げただろうがそれを言っても仕方ない。此れが彼等の運命だったのだと生きたジョンは吐き捨て、後悔を頭の隅に追いやった。

(・・・・こんな事ばかり上手くなりやがる。此れが大人になるって事なのかねぇ)

自身の傷にならないように目を逸らす。それは生きる為には必要な行為ではあったが、慣れていく自分に多少の嫌悪も感じていた。そんな穢れた自身が触れるのはどうかとも思ったが、このままでは可哀そうかと、汚物に汚れた救護者をポットから抱え出す。それを見たミュールは「汚れます」と、忠告するが、それはどちらの事やら。

ジョンは抱えた救護者の軽さと、身なりの乱雑さ、そしてその特異な容姿に言葉を漏らす。

「・・・おっと? 亜人か?」

「恐らく愛玩用や特殊な実験に使われるタイプでしょう」

ミュールが告げる残酷な発言に、ジョンも「やれやれ」と天を仰いだ。

「襲われるだけの理由があった・・・・てか?」

「その様ですね」

ジョンが向けた視線の先には、気を失い、浅く呼吸を繰り返す薄汚れた亜人の子供。人と獣を合成したタイプのようで、頭頂部には猫のような耳と、尾のような物が衣服の裾より垂れていた。この子を取り巻く環境は、相当劣悪だったのだろう、先程の匂いは吐き出した汚物というよりも、身につけたボロ切れや、体から剥離する垢から放たれたものが大半。

どの様な状況に置かれればこのようになるのか想像もしたくは無い。だが、だからと言って護衛対象が死んで当然だとも思えぬ辺り、自分は愚かなのだろうとまたしても溜息を漏らす。

「まったく、汚れすぎて元の色がわかりゃぁしねえ・・・・。ミュール、『万能工房(ファクトリー)』を使わせてもらうぞ」

「・・・・承知しました」

数秒の逡巡の後、ミュールがジョンの発言に同意を示す。確約を貰えば此方のものとばかりに歩を進め、格納庫の扉を過ぎた先、右手にある万能工房と書かれた部屋の扉を開く。

万能工房と呼ばれる部屋には、大きな台が一つ設えられており、ジョンはそこまで進むと、亜人の子供を台に乗せた。

それと同時に状態を表すかの如く、空中にモニターが乱立し、対象に対する処置を提示する。

【栄養素補充、洗浄、治癒・・・・】

幾重にも重なる承認要求に、煩わしいとばかりにジョンは咆える。

「悪いところを全部治せ!」

粗暴とも思えるその言い分に万能工房を統べる人工知能『万能の手(アルケー)』も呆れたか。

【・・・・了承】

と、呆れ気味に文章を明滅させた。

「・・・・亜人・・・か・・・」

万能の手により癒される亜人の子供。その様子を見て、ジョンは気が滅入るのを感じた。そもそも亜人自体が歪な存在であり、人の罪を象徴する証。人は事象改変装置を手に入れた事で神にでもなったと錯覚し、己が手で新たな命を創造した。最初は動物を変化させていき、常識という常識が塗りつぶされた頃、人は人を作り変えようと模索した。

簡単な整形美容は当然の事、能力の拡張、獣との配合や、新たな可能性の開花。それだけを聞けば何が悪いのかと思うが、光あるところには闇もある。技術の発展と称して、人は虐げても良い人種を作り出した。今では亜人と呼ばれ、人や獣など様々な者達を混ぜた異形の混合種などを差して呼び。彼等は人として扱われず、様々な実験、過酷な労働にあてられた。

起源は同じ人であるにも関わらず、人に作られたのだという事実が人権を剥奪し、亜人と差別されるに至った。

そして、目の前の亜人の少年もその一人なのだろう。迫害を受けた証と言わんばかりに衰弱し、表示される状態(ステータス)は餓死寸前。目を覆う状況に、今ぐらいは寝かせてやろうと、ジョンは静かに扉から外へと脱する。

人という種の悪の側面を覗き見、ジョンは誤魔化すように頭を掻く。そうした様子を船内カメラで見ていたか、正面のモニターが点灯し、ミュールの顔が映る。ジョンとしては恥ずかしい処を見られたと手で顔を遮るが、それすらもお見通しとばかりに、視線は刺さり、誤魔化す為に顔を背ける。

「暫くすれば傷も癒えるでしょう。貴方も万能の手に体を弄られたくなければ、そろそろ清潔にして貰えませんか?」

彼女の体内とも言える船内で、流石に不潔過ぎたか、先程の戦闘で汗をかいた事も考慮すると自分も少年とそう変らないのだろう。少年が目覚める前に此方も済ますかと、ミュールの声に同意する。

「確かに此れは不味いわな、今の内に風呂でも浴びてくるよ」

「そうして下さい」

「・・・へいへい」

ミュールとしても我慢の限界だったのか、刺々しい言葉が刺さる。針のむしろから逃れるように、ジョンは風呂場へと駆け込んだ。風呂場は流石にプライベート空間である為、ミュールに見られる事も無く、「やれやれ」と、息を吐き、数日着込んだ衣服を脱ぎ散らかす。

風呂場は小型艦には不相応な程大きく、湯船に湯を張れば、十人が浸かれる程。ミュールが気を利かしたか、既に湯船には湯が張られ、湯煙を上げていた。ジョンは湯気で曇った扉を開け放ち、体を乱雑に洗うなり湯船に体を浸す。

「っふ~~~~」

首筋を湯船の縁に預け、息を漏らす。目を閉じると不意に眠気により意識を失い。

「っぼばぁあああ」

と、湯船の中で暴れる事となったが、眠気覚ましには丁度いいかと体を捻り、骨を鳴らす。このまま長風呂を楽しむのも悪くないかとも思ったが、先の事を考えると憂鬱になり、湯船を抜け出し、体を洗う。

古代の風呂であれば、湯船に浸かる前に体を洗うものだが、今は湯船自体に洗浄機能が付いており、湯船に浸かるだけで問題ない。とは言え、それだけでは味気なく、そうしたジョンのような者達は、こうして体を洗う事もしばしば。

非効率ではあったが、人の生そのものが非効率。ならば、楽しめる事は楽しむべきかと今では癖になっていた。

「ん~~~~。髭・・・剃るか?」

頭を洗い、鏡に映し出される自身の姿を見て呟く。便利屋という職業柄、粗暴な相手とも付き合わねばならず、その者達に舐められないようにと生やした髭・・・。などでは無く、大半が面倒だから放置している不精髭ではあった為、何の拘(こだわ)りも無く、風呂に入ったのなら剃っておくかと手をあてる。多少ごわごわとする感触に触発され、髭を剃る。

この行為もそもそもが無駄であり、『万能の手』に頼めば一瞬で済む作業であったが、髭剃りを操り、髭を剃る。

時間にして数分。散らばった髭は纏めて排水溝に飲まれると、再生タンクへと捨てられる。事象改変機構を搭載する船ならでは、再生タンクに捨てられた物を改変する事で、ヴァルキュリアは一切の寄港を必要とせず、半永久的に航海する事が可能。しかし、人はまた別の話。こうして無駄な行為にジョンが没頭するように、人は無駄を好む生き物。

船がそうして先鋭化されるに反比例し、人は不便を求めた。いや、不便を感じる事で生きているのだと、自覚できるのだと言うべきか。

「・・・っ」

そうした弊害か、操りなれぬ剃刀で肌を浅く切りつけ、血が頬を伝う。思ったよりも深く切りつけたか、縫わねば治らぬ傷であったが、指で血を拭った後には傷口は無く、血の跡だけが残る。

「・・・・本当に、俺は誰なんだろうな? わかる事は人とは思えぬ再生能力と、技の記憶。力にしても人とは掛離れているが、事象改変を受けた形跡は無し。そもそも、こんな無茶な性能を軍以外が許す筈も無い。ならば、軍所属かと思ったが・・・・あれからもう十年か・・・」

走った痛みがそうさせるのか、不意に過去の記憶が呼び覚まされた。

 

                 ◆

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る