第3話
「何か問題があるなら、言っていただければ対応しますが」
「……いえ」
その女は、小さく首を振った。
「取り敢えずスレイピアを経由してアプダスレアの方に行く予定なのですが、恐らく、そのままの状態で別の国へ行くのは無謀かと……、少なくとも最低限の治療は受けないと」
「いえ、私のことは気にせずに……」
そうは言っても取り敢えず治療はしないと、と言いかけたところで、彼はその女が痩せこけていることに気がついた。
「食事だけでもしますか、取り敢えず。簡単なものですみませんが」
「……ええ」
彼はショルダーバッグの中からビスケットを取り出した。それを手渡した後、簡易かまどに鍋、そして非常用に蓄えていた薪を取り出した。
かまどに薪を組んでからそれに魔法で火をつけた彼は、中から別の魔法書を取り出し、魔法で鍋に水を張る。
「……取り敢えず、体は起こせそうですか?」
「……はい」
女が腕で支えるようにして体を起こしたのを見てから、彼は回復用の二冊の魔法書をショルダーバッグに戻し、鍋を火にかけ、食材や固形調味料を投げ込んだ。
「本当にすみません、なにもかも」
適当に煮えたところで、彼は取り出した食器にスープをよそった。
「……取り敢えず、温かいものでも」
女にスープを手渡して、彼は自分のスープに口をつけた。しかし、女はそれを食べようとはしなかった。
「……お口に合いませんでしたか?」
「……いえ」
女は、恐るおそるスープを飲んだ。
「すみません、味付けは苦手なもので……」
「いえっ、そんな……」
女は、彼を困らせないようにと思ったのだろうか、急ぎ目に食べ始めた。
「急がなくても大丈夫ですよ、まだ作れますから」
「いえっ、大丈夫です……」
「一応、ビスケットもありますから、もし足しになるなら」
「ありがとう、ございます……」
女がビスケットの袋を破って小動物のように一口ずつ食べるのを見ながら、彼は食器を置いた。
「一応、これからの行程を話しますね。ここから二時間、最大で半日かけてスレイピアに向かいます。ちなみにここから次に近い国でさらに一日かかるので、他の国に回るのは現実的ではありません。ただ、どうしてもスレイピアに寄りたくない、というのであれば……」
「いえ、そんなことはありません!」
女は、針に刺されている時のような、苦しそうな表情を浮かべながら答えた。
「無理はしなくていいんですよ、無理なら──」
「いえ、大丈夫です、大丈夫ですから……」
女は、首を振ってから必死そうに彼を見た。
「……わかりました。では、予定通りスレイピアの方に回ります。僕も仕事がありますので。いいですか?」
女は一瞬動きを止めた後、小さく頷いた。
─────────────────
スープの最後の一口を飲み干すと、彼は鍋に水を張るのに使った魔法書を取り出して食器を洗い出した。
「私も、これで十分です」
「……そうですか。では、残りは頂きますね」
彼は、鍋に僅かに残ったスープを食器に移し替えず、そのまま飲み干した。
「……それじゃあ、洗い物は、私が」
「いえ、今は体力回復に努めてください」
彼は、女の申し出を断って鍋や残りの食器を洗った。それを並べ、乾かしている間に彼は簡易かまどの火を消した。
「しかし、ここをどう登るかは、かなりの問題ですね」
片付けの作業をしつつ、彼は崖の上を仰ぎ見ながら呟いた。
「……そうですね、こうしましょうか」
彼は、降りてくるのに使ったロープを折るようにして重ね、もやい結びの要領で三つの輪っかを作り、それを引っ張って強度を確かめた。
「こうすれば、多分引き上げられますね」
食器を手早く片付けた後、彼は一つの輪っかが脇の下あたりを通るように、残りの二つが膝の下をくぐるようにして女の体にかけた。
「それでは、上に登ったら引き上げます。崖と接触しないように、壁を触っててくれると助かります」
身体強化魔法を使い、その感覚を確かめるようにその場で小さく飛び跳ねた後、彼はロープを伝い一気に崖の上まで登った。登り切った彼は、ゆっくりとロープを手繰り寄せた。
最初のうちはたるんだロープを引き上げるだけだったが、ロープの遊びの部分がなくなると、急に一人分の重みが彼の小さな腕にかかる。それを放さないように、更に身体強化魔法を使いながらロープを引っ張り続ける。
暫く引っ張るにつれて、崖の下を覆う霧の中からロープに吊るされた女が崖面に沿うようにして現れた。そして、女と崖の上との距離は少しずつ近づいていき、彼は最後の力を振り絞って女を崖の上に下ろした。
「ふぅ、中々きつかった」
「……本当にすみません、何だったら下に置いておいて頂いても良かったのに……」
「それは出来ませんよ、良心的に」
よろめきながらも、彼は木に巻きつけてあったロープを解き、束ねてショルダーバッグにしまった。
「少し休も……、と思いましたが、こんな所で休んでいたらさっきの猿に襲われてしまいますね、取り敢えず行きましょうか」
「いえ、歩けないので……」
「すみません、そうでしたね、忘れていました」
彼は、崖の下でも使った回復用の魔法書のうちの一冊を取り出して目的のページを開き、そして女の足の近くに置いた。
「……医者と医術師には怒られますけど、非常事態ですからね」
そして、弱めの蘇生魔法の魔法陣を起動する。その間、いつでも撃てるようにと、彼は右手で魔法銃の持ち手を握っていた。
「……えと、これは何を?」
「蘇生魔法は体を再生することが出来まして、それを利用して肩を貸せば歩ける程度まで回復させようと思いまして。見たところ、片方の足は何とかなりそうなので」
「……そう」
少しして、彼は魔法書から手を離した。
「一応終わりです、 曲がって付いていたらすみません、素人なので」
彼は、魔法書をショルダーバッグに投げ込むと、魔法銃L-251を森の方に向けながら茂みの中に入り、偶然見つけた、彼の肩の高さよりやや低いくらいの木の棒を二本拾って戻った。
「恐らく、これで足りると思います。行きましょうか」
「……それは?」
「もし、僕に何かあった時に、最低限自力で歩けるようにするために、杖代わりに木の棒があった方がいいかと思いまして。勿論、僕が持ちますので」
ショルダーバッグに棒を突っ込み、蓋を閉じたのを確認した彼は、女に肩を貸しながら、銃を森の方に向けたまま歩いた。
「あの、確認ですけど」
女が、弱々しい声で彼に訊く。彼は、銃身の向きを変えずに女の方を見た。
「本当に、スレイピアに行くんですよね?」
「……何か問題でも?」
「……いえ」
女は、申し訳なさそうに目を伏せる。彼にはそれが、スレイピアに行くのを嫌がっているように見えた。
「仕事があるので、必ず寄ります。本当に嫌なら外で待っていて頂くしかありませんが」
「いえ、それは……」
彼は首を傾げながらも、森の方へ目線を戻した。
「……銃はその一つだけですか?」
「いえ、もう一丁」
「そうですか。それなら、その一丁をショルダーバッグの中にしまう事は出来ませんか?」
突然の提案に、彼は思わず顔を顰める。
「……何故ですか?」
「いえ、理由までは……」
女は、苦しげに言葉を詰まらせた。彼は、顎に手を当てて少し考えた後、小さく溜め息をついた。
「……分かりました」
嫌そうではあったが、彼は女の言う通り魔法銃L-154をショルダーバッグの中に放り込んだ。
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