7-2 祠の前で

 学校が始まるまで関係者以外立ち入り禁止となっている山だが、私たちは十分に関係者と言えるだろう。理事長と寮母さんだって怒らないはずだ。

 というわけで商店街で店番をしていた小野先輩と合流し、私たちは山を登っている。何回登ってもこの坂は疲れる。元運動部でロードワークが趣味となっている私と違い香奈は校門につくなり膝に手を置いて、荒い息を整えていた。

 同じく体力がなさそうな千鳥屋先輩はいつのまにか小野先輩に背負ってもらっていた。羞恥心なく人におんぶされる千鳥屋先輩もすごいが、人を背負って普通に山を登ってくる小野先輩もすごい。さては、初めてじゃないな。


「あ、彰くん、何の用……だろうね」


 息も絶え絶えな香奈がなんとか声を絞り出す。こうなるだろうと山を登る前に用意していた水を差し出すとごくごくと勢いよく飲んだ。


「経過報告かなあ?」


 そういいながら私は祠の方を見る。

 平日だというのに人気のない校舎は妙な感じだが壊れた所は何もない。あと数日もすれば学校が始まり、生徒の笑い声や話し声があふれる場所になるだろう。それを想像して私は嬉しくなった。中学時代、学校に行くのが億劫だった私が、今や学校の再開を心待ちにしている。一年もたっていないというのになんと大きな変化だろう。


 人気のない校舎を眺めながら森へ向かって歩き出す。息を整えた香奈が隣に並び、いつのまにか小野先輩から降りた千鳥屋先輩は日傘をクルクル回しながら歩く。その隣に並んだ小野先輩は千鳥屋先輩と同じく無人の校舎を眺めていた。


「千鳥屋先輩、彰くんから連絡きてます?」

「来てないわ。七海ちゃんと香奈ちゃんも?」

「来てないです」


 小野先輩に確認の意味で視線を向ければ頭を左右に振られた。ということは彰は誰にも連絡していないということだ。


「彰のことだからメール打つの面倒で呼び出したのかも」

「彰くんらしいわねえ」


 私のつぶやきに千鳥屋先輩が苦笑する。彰はメールも電話も面倒臭がる。対面の方が相手の反応が分かりやすいと前に言っていたし、大事なことは対面で伝えたいタイプなのだろう。だからといって何かあるたびにこちらを呼び出すのもどうかと思うのだが。

 

 会わない間の近況報告をしながら森へとゆっくり歩く。彰には「行く」とは伝えたものの何時とは伝えていない。時間を指定されなかったから急ぎではないはずだ。


 小野先輩によると商店街の人たちはお狐様と子狐様のことをずいぶん心配していたらしい。小野先輩は商店街に戻るや否や質問責めにあったという。お疲れ様だ。

 森で起こったことをざっくり伝えたところ、お狐様と子狐様のために山の祠の整備、商店街の祠の新設を急ぐことに決まったようだ。まだ報告していなかったので彰が祠に呼び出してくれたのはちょうど良かったと小野先輩は言う。

 

 のんびり話しながら歩いている間に森にたどり着いた。事件の次の日も事情聴取で訪れたのに、あれからずいぶん時間がたったように感じる。森の中に一歩足を踏み入れると空気が変わったような気がした。深里が居たときとは違う、神聖さを感じる清々しい空気を胸いっぱいに吸い込んでから足を進める。

 香奈や千鳥屋先輩、小野先輩たちも思うところがあったのか森の中をじっと見渡してから私の後に続いた。


 森を抜け、祠がある空き地が見えてくると祠の前に彰が立っているのが見えた。彰の他にも人影がある。子狐様にお狐様、意外なことにリンさんと響さんの姿もあった。彰に何かを話しかけていた響さんは私たちが現れたのを見ると話を止め、私たちに向かって笑顔で手を振ってくれる。

 造形は一緒だが彰とも深里とも違う、純粋無垢な笑顔だ。彰の父親ということを考えると三十代後半のはずだが二十代前半と言われても違和感がない。羽澤の人間は呪いの影響で老いにくいという話を思い出し、私は内心苦笑した。多くの女性は大喜びしそうな効果だが、羽澤家の呪いがどういうものか知っている私としては全く羨ましくない。むしろ恐ろしい。


 しかし、響さんはそれを知らない。緒方さんと双月さんに事情聴取と共に説明されたのだが、響さんは羽澤の呪いについて詳しいことは知らないらしい。自分の子供の中身が最初の双子に変わっていることも、自分が彰とトキアを誕生させるために育てられた人間であることも、何もかも知らないだという。だからこその笑顔で、だからこその無邪気さなのだろう。全てを知っていたらあんなに屈託なく笑えない。

 少しだけ何も話さなかったトキアや、都合の悪い記憶を消したリンさんの気持ちが分かった。知らずにいることで幸せでいられるのであれば、知らなくて良いことは確かに存在する。少なくともリンさん、そして響さんと友人らしい緒方さんと双月さんは響さんの表情を曇らせたくなかったのだろう。


「響様がどうしてこちらに?」


 千鳥屋家の人間として聞かずにはいられなかったのだろう。いつのまにか日傘を閉じた千鳥屋先輩が、普段よりも心なしか背筋を伸ばして問いかける。小野先輩も千鳥屋先輩に釣られて姿勢を正した。


「彰に今後のことを話したいといったらこの場所に来いといわれたんだ。君たちが集まってからじゃないと話さないとも」


 響さんはそう言いながら困った顔をして彰を見た。彰は響さんの視線を完全に無視して私たちの方を見つめている。造り笑いの豊富な彰らしくない無表情だ。彰も久しぶりにあった実の父親に対する態度をどうすればいいのか迷っているらしい。

 そんなぎこちない親子を見てリンさんはらしくなくオロオロしていた。全くリンさんらしくない反応にお狐様と子狐様が微妙な反応をしている。その顔があまりにもそっくりで私は笑いそうになるのを必死に我慢した。


「今後の話っていうのは?」


 香奈が恐る恐るという様子で口を開き響さんと彰の様子を交互に見る。私は皆の反応を見ることに集中していたので響さんの言葉は聞き流していたが、言われてみれば今後とは何だろう。


「私は彰を自分の息子として育てたい。百合さんには本人が承諾したらいいと許可をもらっている」

 予想外の言葉に私は目を見開いた。思わず彰を凝視すると彰はふてくされた顔をしていた。


「息子として育てるってことは、彰くん、転校するの?」


 羽澤家の人間は羽澤が運営する学校に入学すると聞いた。一般の学校とはレベルが桁違いという話だし、彰の学力を考えればうちの学校よりもレベルの高い所に通った方がいいのは分かる。分かるが、それは彰とのお別れを意味していた。

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