6-15 決着

 この森はこんなに広かっただろうかと私は周囲を見回した。

 形勢不利、一度逃げて機をうかがおうとしたが奴らはしつこく追いかけてくる。センジュカも双月も私よりも遙かに荒事になれているらしく、木々の枝やら根がうねる森の中でも猿のように機敏に移動する。なんとかまけたのは奇跡に近いが、今度は森の出口が分からない。

 

 森に閉じ込められている。そう思った途端、私の額から嫌な汗が流れた。ここは狐山。狐の住む場所。お狐にとっては庭である。だからこそ山を削り、力をそぎ、弱ったところで食べてしまおうと思ったのに予想外の邪魔が入った。


 響の息子、彰の隣に立つ少女の姿を思い出して舌打ちする。流れを変えたのは間違いなく奴だ。突出した所もないただの子供だと気にしていなかったが、いつのまにかセンジュカが所属する組織と連絡をとり、響までこの場に引きずりだしてきた。


 油断したのは私の落ち度。それは分かっているが苛立ちに奥歯を噛みしめる。次あったら覚えておけ。いや、状況が落ち着いたなら必ず復讐してやる。そう決意を固めて足を進める。


 その時、ガサリと大きな音がした。音のした方向を向けば先ほどまで思い浮かべていた忌々しい少女が青い顔をして立っている。少女の隣に彰の姿はない。何らかの理由ではぐれたのだろう。少女は私に背を向け走り出す。一対一であれば私にかなわない。そんな恐怖に取り憑かれた動きだった。


 ガサガサという音が遠ざかるのを聞いているうちに私の口角は上がっていた。これはチャンスだ。殺したくて仕方ない獲物が自ら現れてくれた。このまま逃げるなんてあまりにも腹立たしい。響によく似た彰の顔を歪ませてやりたいという欲求がわき上がる。

 

 私は逃走には邪魔だと引っ込めていた斧を取り出して少女を追いかけた。少女の逃げるスピードが速くなるが人間の足と人間ではなくなった私の足では結果は明白。一度消えた背中が視界に映り、思わず笑みを浮かべる。あの体を思いっきり叩き切り、山の下にでも捨てておいたら彰はどんな顔をするだろう。他人に甘い響も自分の事のように嘆くに違いない。

 そんな想像をすると興奮で笑みが浮かぶ。

 人ではなくなったあの日、逃げ惑う村人の背を切りつけ、吹き出す血を眺めた夜の事を思い出し、興奮は最高潮に達した。もうすぐ日が沈み、夜がやってくる。そうなったら私の時間。狩りの時間だ。


「諦めなさい! 逃げられるはずがない!」


 踊り出したいような興奮の中、私は叫ぶ。少女は足を緩めない。こちらを振り返ることもなく必死に逃げ続ける。あまりにも必死な様子が少し哀れに思えてきて、早く終わらせてやろうと私は斧を構えると足に力を入れ地面を切った。宙を舞い、少女に向かって飛びかかり、勢いと共に柔らかい体に斧をたたきつける。そう思っていた私は突如、背後から受けた衝撃に体勢を崩し、地面にたたきつけられた。



 忌々しいセンジュカの声が聞こえ私は首を動かした。視界の端に森の中では場違いな真っ白い女が立っている。センジュカの背後がやけに赤い。いや、この一体が赤くなっている。異常事態に驚いたがセンジュカから聞いていた話を思い出す。幽霊を食べるための特殊空間を作る存在がいるという話。


 追っていたつもりが追い込まれていた。それに気づいた私は逃げようとするが、センジュカの能力のせいかで体が動かない。仕方なしに自由に動かせる目で周囲を見渡す。

 お狐の娘が荒々しい顔で私を睨み付けている。その怒りに呼応するようにグルグルという獣のうなり声が大きくなった。私の体を影の獣が押さえ付けている。先ほど感じた衝撃も背後から飛びかかられたものらしい。


「こんなあっさり引っかかるとは思わなかった」


 倒れる私を見下ろすのは彰。なぜか上半身裸で髪が短くなっていたが、そんなことよりも響とよく似た顔が癪に障った。同じ顔で、響であったら絶対に浮かべない、人を見下す表情を浮かべる姿に憎悪が吹き出す。


「絶対に殺してやるからなクソガキ」

「この状況で吠えるとか負け犬にしたって元気だねえ」


 そういって鼻で笑う姿が今度はリン様に重なって、私は怒りのあまり己の舌をかみ切りそうになった。



 ※※※



「よくやった!」


 全力疾走を終えた私がへたり込むのを見計らったようにお狐様の愉快な声が響く。疲れた体でなんとか顔を向ければ、少し顔色のよくなったお狐様が腕を組んでふんぞり返っている。褒められているようだが笑うたびに尖った牙が見えてちょっと怖い。

 私が返事をする間もなくお狐様は私ではなくセンジュカの能力と、子狐様の影の犬によって抑えつけられている深里へ視線を向ける。深里は目の前に立つ彰、それから自分たちを取り囲む存在を順番に睨み付けた。


「お前には死なれては困る。だが生きていられても困る」


 お狐様がそういうと深里を囲むように狐火がともる。ボッ、ボッと音を立てて灯る狐火の下にはいつのまにか魔方陣のようなものが描かれていた。少々準備があるというのはこれのことだったのだろう。


 彰が魔方陣の前から出ると不味いと思ったのか深里の抵抗が強くなる。上にのって抑えつけている影犬をものともせず、震える体に力を入れ、無理矢理立ち上がろうとした。すかさずセンジュカが「貴方は立ち上がれません!」とさらなる追い打ちをかけるが、それでも深里は諦めない。


「往生際が悪い!」


 双月が腕から生やした刃を切り離すと深里の体を地面に縫い付けるように突き刺した。あまりにグロテスクな映像に私の喉が引きつる。彰が気を利かせて前に立ってくれたが悲しいことに彰よりも私の方が背が高い。バッチリ見えた。


 お狐様が魔方陣に向かって両手を向けながら何かを告げる。口は動いているし声も聞こえるが何を言っているのか理解出来ない。それでもファンタジーでいうところの呪文であることは分かった。

 お狐様が呪文を口にするほど狐火は燃え上がり、深里を囲んでグルグルと回る。それに合わせて地面に書かれた魔方陣が光り、手のようなものが生えてきたかと思えば深里の体を掴んで地面の中へと引きずり込む。


「なぜだ、なぜ私の望みは叶えられない!」


 深里の体がズブズブと沈んで行く。それでも深里は諦めずに叫んだ。刃物で体を地面に縫い付けられ、獣に抑えられ、能力で動けない状況にされながらも深里の頭に諦めるという言葉はないようだ。動くたびに人ではなくなった証である角が揺れる。血走る目はとても正気とは思えず、私は前に立つ彰の腕を思わず握りしめた。


「あなたの望みは多くの人を不幸にするからです!」

 子狐様が叫ぶ。それに対して深里は血走った目を向け、叫んだ。


「それの何が悪い! 自分の幸せが一番だろう! お前たちは自分の望みのために人を殺める人間を私よりも多く見てきたはずだ!」


 深里の怒声に子狐様は縮こまった。だが、すぐさま頭を左右に振り、一瞬でもひるんでしまった自分を責めるように深里と向き直る。


「そうです。私はたくさんの人間を見てきました。その中には貴方のように人を不幸にする者もたくさんいました」

「ならば、なぜ私だけが罰せられなければならない! お前の隣にいるセンジュカも手を汚しているだろう! 双月だって何十人と殺している!」


 深里の主張にセンジュカはピクリとも反応しなかった。それが何かといっているようでもあり、あえて無表情を取り繕っているようでもある。センジュカとの付き合いが浅い私には何を考えているかは分からない。

 双月に至ってはあきらかに動揺して見せたが、すぐさま唇を噛みしめて深里を睨み付ける。お前と一緒にするなとその目が告げていた。


「私が罰せられるのであればお前だって罰せられるべきだろう。佐藤彰! 呪われた双子の上! お前のせいで我が一族はずっと呪われてきたんだ! お前こそ責任を取るべきだろう!」


 もはや誰に対して怒っているのか分からない深里の主張に彰は体をこわばらせる。彰の後ろに立つ私には彰の表情は見えなかった。変わりにつかんでいた腕に力を込める。彰が悪いわけじゃないという気持ちを込めて彰の腕を強く握った。


「そうだ。俺は責任をとるべきかもしれない」


 彰の言葉に深里が笑う。そうだろという顔で。私は慌てて彰を止めようとしたが、それよりも先に彰が顔だけでこちらを振り返った。いつものかわい子ぶった顔ではなく、男らしい、決意を秘めた表情。取り繕ったものじゃない素の顔を見て、彰がなにかを決断してしまったのだと私には分かった。


「俺は責任を取って、お前を封じ込める!」

 彰の宣言に深里が目を見開いた。


「お前はいったよな。親の罪は子供の罪。お前がそうなった原因が俺の親にあるなら、子供の俺が責任もってお前に引導渡してやる。せいぜい、ここに一生封印されてろ。二度と出てくんな。このヤンデレ執着クソ野郎!」

「言い過ぎ!」


 思わず言ってしまったが、言い過ぎでもない気がする。むしろ良い足りない? もっとカスとかゴミとか鬼畜とかつけていいかもと私は妙に冷静になった。


「絶対に許さない、呪ってやる! お前もその周囲も不幸になるがいい!」

「好きなだけ呪えば? 生まれた時から呪われてるんだから、お前の呪い一つ増えたくらいじゃどうってことないし」


 彰は余裕の表情で腕を組み鼻で笑う。全く羨ましくないが呪いに対しての耐性やら慣れでいったら彰に勝てるものはいない。まさしく年期が違う。深里はあと何百回か人生やり直さなければ同じ土俵にすら立てないのだ。


 お狐様の声が大きくなる。それと呼応し狐火の炎が勢いを増し、柱のように天に向かって伸びる。マーゴさんが作った赤い空間の中、美しく輝く青白い炎は神秘的で、これが封印の儀だということを忘れて見とれてしまう。

 いよいよ後がないと悟ったのか深里の抵抗が大きくなる。どんどん地面に沈んでいく体を必死に動かし、川で溺れる人のように空中に向かって手を伸ばした。


「まったくもー、諦めが悪くて嫌になるね。さすが僕の子供っていうか、嫌なとこだけ似たっていうか」


 いつのまにか深里の真上に現れたトキアが肩をすくめてそういった。深里は一瞬抵抗も忘れてトキアを凝視し、彰以外の人間も不意を突かれたように動かなくなる。呪文に集中しているお狐様だけはトキアが現れたことにも気づかず呪文を唱え続けていた。


宿


 トキアはそういうと深里の額をトンッと押した。それほど強い力には見えなかったが、深里は今までの抵抗が嘘のように地面の中に沈んで行く。唖然とした深里の顔をトキアはただ見送った。それは呆れを含みながらも慈愛を感じる母親のような顔で、深里には最後まで意味の分からないものだったと思う。


 お狐様が大きな声を張る。それが最後の呪文だと理解すると同時、空に向かって伸びていた火柱が今度は地面に向かって吸い込まれていく。地面が揺れ、突風が吹き抜ける。疲れもあってよろめく私を彰が支えてくれたが、彰の目はじっと深里が居た場所を見つめていた。


 揺れと風が収まり、静寂が戻ってくる。その場にいた誰もが言葉を発せずに消え去った魔方陣の跡を見つめているとお狐様が大きく肩を回しながら息を吐いた。


「これにて封印完了。まあ、百年ぐらいは出てこないだろ」

「えっ、百年たったら出てくるんですか?」

「そこら辺は深里の気合いによる」


 いつの間にか近づいてきたトキアが当たり前のように彰の首に腕を回しつつ、洒落にならないことをいった。

 気合い。なんと曖昧な言葉だろう。許さないと叫んでいた深里の姿を思い浮かべ私の頬は引きつった。こんなに苦労したのに、あっさり復活しそうで怖い。


「お前は気に病むことじゃないだろ。百年後なら死んでいるだろうし」


 お狐様はあっけらかんという。いや確かに私は死んでいるがお狐様は生きているだろうし、子狐様だって現役でしょう。いいんですかと喉元まで出かかったが、気にしてもしょうがないということかと私は肩を落とした。

 トキアが最後にいった「呪詛が消えるまで眠れ」というのが上手く作用することを祈るほかない。


「あぁ、でも終わったぁ!」


 私はそういって叫ぶと地面の上に倒れた。お行儀が悪いと言われても知るものか。深里と追いつかれたら即死の鬼ごっこをしたこともあり、全身が鉛のように重い。


 事が終わったのを察したマーゴさんが空間を解いてくれたらしく、慣れ親しんだ浮遊感の後に見慣れた空が戻ってきた。祠に集まった頃は青かった空にオレンジ色が混ざっている。ここでぼんやりしていたらあっという間に暗くなるだろう。


「ナナちゃーん、気持ちは分かるけど立ち上がって。まだ後始末残ってるんだから」


 彰があきれた顔で私を見下ろす。夕日が当たってその姿が妙に様になる。性格はアレだが彰の容姿は文句なし。だが、今はいつもよりもボロボロだ。髪は不揃いだし、上半身裸だし、埃やら泥で汚れている。そんな彰を見上げて私は笑った。


「無事に生き残れてよかったね、彰くん」

 彰は私の言葉に少し驚いた顔をしてから満足そうに笑う。


「ナナちゃんが死ななくて良かったよ」


 彰が差し出す手をとって私は立ち上がった。

 まだ周辺は慌ただしい。いつのまにか特視の面々には大鷲さんが合流していて、どこかに慌ただしく電話をかけている。影ながら協力してくれたクティさんとマーゴさんの姿はない。これ以上面倒ごとに巻き込まれる前にさっさと逃げたのかもしれない。

 子狐様は全力を出したせいか疲労が滲むお狐様を支えている。


 みんな疲れてはいるが死んではいない。その事実にとても安心した。


「七海ちゃん!」


 遠くから香奈の呼ぶ声がした。声のした方を見れば草木をかき分けて泣きそうな顔をした香奈が飛び出してくる。周囲をぐるりと見回した香奈は私に気づくと初めて見るスピードで駆け寄ってきた。その後ろには千鳥屋先輩、小野先輩、リンさんと響さん、百合先生の姿も見える。


「良かった!」

 

 泣きながら香奈は勢いよく私と彰に飛びついてきて、せっかく立ち上がったのに私たちは再び地面に倒れることになった。香奈は大泣きするし、勢いよく倒れたので体痛いし、疲労で指一本すら動かす気にならないが、不思議と気持ちは晴れやかだった。

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