6-12 一難去って

 トキアと叫びそうになってなんとか言葉を飲み込んだ。彰がいるのにトキアの名前を出せるはずがない。相変わらず面倒くさいなこの双子と思いながら彰を見れば、彰は突然動きをとめた深里をいぶかしげに見つめていた。

 

 トキアの姿も声も聞こえない彰からすれば不自然に深里が硬直したように見えるのだ。センジュカが何かしたのかと先ほどの私のように視線を向けるが、センジュカは無言でトキアを睨み付けている。トキアが見えない彰からすれば深里を睨み付けているように見えるようで、彰の中ではセンジュカの仕業という結論が出たらしい。


「……なんで、お前が」


 驚きの滲んだ深里の声で私は深里にトキアが見えているのだと悟った。トキアが見える条件は彰に一定以上の感情を向けていること。殺したいと思っていた深里は十分条件を満たしていたらしい。予想通りだが嬉しくない。


「なんで僕が生きてるのか分からないよね。所詮君は脇役。僕らや響の引き立て役でしかないからね」


 両手を広げた状態で動かない、いや、動けない子狐様の首に後ろから手を回しながらトキアはうっそり笑う。八歳の子供が浮かべているとは思えない妖艶な笑みに深里が戸惑っているのが分かった。

 深里からすれば生前のトキアはただの子供だったに違いない。普通の子供に比べれば頭が良かっただろうが、優秀な子供が生まれやすい羽澤家ではよくあること。ましてや、嫌いな弟の息子として見ていた深里からすれば人柄などどうでもよい。この分だと話したこともなかったようだ。


 彰が戸惑った視線を周囲に向ける。深里が動かない状況は絶好の機会だというのに、センジュカも双月も子狐様も石になったように動かない。トキアが見えなくても異様な状況だと察したらしく、彰は眉を寄せながら周囲を見渡し、私と目が合うと表情で「どういうこと?」と問いかけてきた。私はジェスチャーで「ちょっと待ってて」と示す。めちゃくちゃ不満そうな顔をされたが彰はひとまず言うことを聞いてくれるようだ。


「僕もちょっと悪かったかなとは思ってるんだよ。君がリンに気持ち悪い執着向けてるのは気づいてたし、リンもリンで適当に甘やかしとけばいいのにお子ちゃまだから君のこと放置して関係が泥沼化しちゃったし」


 トキアは子狐様に肘を乗せ(るような仕草を見せて)、ため息をつく。やれやれと場違いに肩をすくめてみせるトキアに対し、トキアの肘起きになっている子狐様は顔面蒼白である。深里に殺されそうになった時よりも青い顔でプルプル震えている。

 そりゃそうだ。すべての元凶である元祖執着系弟と新生粘着系ヤンデレに挟まれているのだ。私があの位置だったら即逃げただろうが、子狐様の後ろには重傷のお狐様が倒れたまま。子狐様にお狐様を置き去りにして逃げるという選択肢はない。


「でもさあ、これはやりすぎだよね。君がそうなったのは僕の責任も多少はあるし」


 多少どころか思いっきり原因だろうと言いたいところだが、言い始めるとややこしくなるので黙っている。顔をしかめた双月とセンジュカも同じ事を思っているようだ。


「君は責任をとるべきだ」

「死ねと言っているのか?」


 何の脈略もなく深里がしゃべり出したように見える彰が、戸惑いの視線を私にむけた。説明してくれと表情で伝えられるが説明できない。ジェスチャーでちょっとまってと伝えてみるとすごい顔をしかめながら口をへの字にした。状況は分からないが説明する時間がないことは察したらしい。さすが彰。


「そうだねえ。決着としてはそのへんかなあ。君の能力は危険すぎるし」


 そういってトキアが目を細めた瞬間、深里は後ろに飛び退いた。トキアを相手にするのはまずいと本能的に悟ったようだ。

 深里はぐるりと周囲を見渡し、すでに姿を消している響さんとリンさんに気づくと舌打ちする。それから両腕から刃を生やし、今にも深里に飛びかかろうとする双月とトキアに向けられない鬱憤も含めて深里を睨み付けるセンジュカを見て、「クソ」と悪態をついた。


「あなたですね、こいつらを連れてきたのは」


 深里の視線が私に固定される。刺すような殺気に私は思わず緒方さんを盾にした。緒方さんは何もいわずに私を庇ってくれる。なんて頼れる大人だろう。


「彰だけ注意しておけばいいと、あなた方を侮っていた私の落ち度です。今回は負けを認めてあげましょう」


 ギリギリと奥歯を噛みしめる音がする。そのまま自分の歯をかみ砕いてしまいそうなほど強く噛みしめた深里は私を人にらみしてから踵を返した。完全に「その顔覚えたからな。次は覚えてろ」である。彰だけじゃなく私もブラックリスト入りしてしまったのだろうか。やめてくれ。彰と違って私はうっかり人外との接点が増えただけの普通の女子高生なんだから!


「待て!」


 このまま逃がしてなるかと双月が後を追う。トキアもチラリと彰、そしてお狐様と子狐様を見てから深里の後を追った。このまま深里を逃がしてはまた大がかりな暗殺計画を企てられる。今のうちに始末しておくのが最善だと思ったのだろう。

 トキアが深里の後を追ったのを見てセンジュカもその背を追った。それが深里を追ったのか、トキアを追ったのか分からないのが不安だが、いくらセンジュカでも空気を読んでくれると思いたい。


 とりあえずの危険がさって私は息を吐いた。死ぬかと思ったがなんとか皆生きている。いや、後を追った双月とセンジュカはまだ危険だが、トキアは一回死んでるし、二回、三回死んでもなんとかなるだろという謎の安心がある。

 あとはトキアたちがなんとかしてくれるだろうし、私の出番はここまでかと肩の荷を下ろしたところ悲痛な声が耳に届いた。


「母上様!」


 子狐様の今にも泣き出しそうな声。トキアと深里から解放された子狐様は倒れているお狐様にすがりつくようにその体を揺すっている。怪我人の体を揺すってはいけないと子狐様であれば知っていそうなものなのに冷静な判断が出来ないらしい。

 止めようと思って近づいた私は地面に生えた緑の草がじわじわと赤く染まっていることに気がついた。それが血だと気づいて慌ててお狐様に走り寄る。


 近づけば近づくほど血の匂いが強くなった。ゼェゼェという荒い息も。

 トキアが現れてから何も言わないと思っていたが、いう余裕がなかったようだ。いつになく慌てる子狐様の隣に膝をつくもののどうすればいいのか分からない。


「これは不味いかも」


 いつの間にか隣に来ていた彰が険しい顔でお狐様を見下ろす。その言葉に子狐様が泣きそうな顔で彰を見上げた。否定して欲しいと子狐様の表情が告げているが、目の前の現実は変わらない。


「包帯とか、なにか巻けるもの!」


 こういうとき漫画のヒロインだと長いスカートを破いたりするものなのだが、あいにく破けるほどスカートが長くない。いくら緊急事態でも下着丸出しは避けたい。いろんな意味で私も周囲も集中できないだろうから。

 学校に行ってとってくるか。それまで耐えてくれるだろうかと嫌な予感を覚えつつ、走りだそうとした彰が突然制服を脱ぎ始め、白いYシャツを迷いなく破り始めた。


「あ、彰くん、男前……いや、ヒロイン?」

「男前は認めるけどヒロインはおかしいでしょ」


 そういいながら彰は遠慮なくお狐様の衣服を剥ぎ取ろうとして、子狐様に止められた。彰もいくら緊急事態とはいえと思ったのか、子狐様に細切れになったYシャツを渡した。

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