6-13 消えた重荷

「傷が塞がっても、おそらく一時しのぎにしかならないぞ」


 少し離れた所から様子をうかがっていた緒方さんが近づいてきて、お狐様の様子をのぞき込みながら苦い顔をする。薄々察してはいたが特視として私よりも長く外レ者に関わってきた人の言葉は重い。


「母上様は助からないんですか!」


 彰が千切ったYシャツを傷口に巻きながら子狐様が泣きそうな声で叫ぶ。それに緒方さんは痛ましそうに顔をしかめ言葉を続けた。


「深里の攻撃はお狐様とは相性が悪い。深里は存在そのものが呪詛みたいなものだ。深里の能力によって作り出された斧もおそらく同じような性質を持っている」

「あの斧に切られただけで呪われるってこと?」


 彰の問いに緒方さんは頷いた。


「センジュカ、双月の二人は呪詛耐性があるから切られたところでそれほどの深手にはならないが、お狐様は切られた場所から毒が回るような状態だ」


 緒方さんの説明に子狐様は目に涙を浮かべ、ぐったりと動かないお狐様を見下ろした。息は荒いし、大粒の汗が噴き出している。苦しそうにうめく姿から見ても緒方さんのいうことは正しく思えた。ほんと厄介なヤンデレである。


「深里は自分の体質に気づいていたのかもしれない。山鬼もお狐様と同じく守り神としての性質が強い方だったから、傷を負わせればお狐様のように弱っただろう。それで味をしめたのか………」

「油断したところで攻撃して、じわじわ弱らせてから食べようと思っていたんですね」

 清々しいほどの最低野郎だ。


「母上様はもう、助からないんですか……?」


 お狐様の手を両手で握りしめながら、今にも零れ落ちそうな涙を浮かべて子狐様は緒方さんを見上げる。緒方さんは苦しげに息をのんだが何も言わずに視線をそらした。重い沈黙が場を包み、子狐様の瞳からこらえきれない涙がこぼれ落ち、頬、そして地面を濡らす。


 弱々しい姿に胸が締め付けられるが慰める言葉も出てこない。お狐様を救える力もない。こういうとき無力な自分が嫌になる。私に特別な力があったら、漫画のヒーローやヒロインのような力があればお狐様を救えたのかもしれないのに。


「……ねえ、僕ってさあ、外レた存在からしたら美味しそうなんだよね?」


 唐突に彰がそんなことをいった。こんなときに何の話だと顔を向ければ、いつのまにか双月さんの折られた刃を手に持っていた。間近で見るそれは包丁のように鋭く、素手で持っている彰に私は慌ててしまった。


「何持ってんの、彰くん!」

「ナナちゃんは黙ってて。僕は子狐様に聞いてるの」

「えっと……」


 子狐様は戸惑った顔で彰を見上げた。驚きすぎて涙も止まっている。緒方さんも眉を寄せて彰を見つめていたが、彰は私たちの困惑も驚きも気にせずただじっと子狐様の答えを待っていた。


「美味しいものを食べると力に変わる。君たちはそういう存在だよね?」

「……簡単にいうとそうですね」

「じゃあ僕を食べたら体力回復するし、弱った力もきっと復活するよね」


 彰の発言に私たちは目をむいた。急に何を言い出すんだ。そうやってすぐ自己犠牲に走るのどうにかしろと私は怒鳴りそうになって、あまりの激情に言葉が出ずに口をパクパクと開閉する。トキアが散々苦労したのも納得だ。隙を見せるとすぐに自分を犠牲にする。

 私の反応を見た彰は苦笑した。


「あのねえ、さすがに僕の死体を食べてとか、腕なら二本あるし片方あげるよとか言わないよ」

「言ったらぶん殴った」

「こわっ」


 彰はケラケラと笑っているがお前の場合洒落にならない。この場にトキアとリンさんがいたら「またか!」と絶叫していたに違いない。


「お狐様としては肉の方が嬉しいんだろうけど、一度切り落としたら生えてこないものをあげるのは抵抗があるからさ」


 そういうと彰は双月の刃を振り上げて、こちらが止める隙もなく長い髪をバッサリと切り落とした。

 彰のトレードマークといったら長い髪だ。女子力が欠けている私ですら思わず見つめてしまうほどの綺麗な髪。それをひるがえして歩く姿はなんとも絵になる。多くの女子は可愛らしい容姿と美しい髪、両方に羨望の視線を送っていた。それが今、あまりにもあっさり切り落とされた。


 無造作に切ったために整わない髪はなんとも不格好で、身なりに気をつけている彰らしくない。それでも彰はなにか憑きものが落ちたような、肩の荷が下ろせたような満足そうな顔をして、ゴムで結ばれたために束になった長い髪を子狐様に向かって差し出した。


「髪食べるって抵抗ありそうだけど、緊急事態ってことで我慢してもらって」


 子狐様は差し出された髪を両手で受け取った。たかが髪。それなのになんだか神聖なもののように見えてくる。ただの人間である私からしてもそうなのだから、彰がどういう存在であるか知っている子狐様からすればさらに輝いてみえたのかもしれない。


「母上様の文句は私が受け止めます」


 子狐様は未だ涙に濡れた頬のまま目尻をつり上げ、髪を地面につけないように掲げながら頭を下げた。


「母上様を救ってくださってありがとうございます」

「髪なんてまた伸びてくるんだから、大げさなことしないでよ。それに僕らはお狐様に救ってもらったわけだし。ねえ、ナナちゃん」


 彰の言葉に私は深く頷いた。お狐様が庇ってくれなければ私は間違いなく死んでいた。響さんはリンさんが庇っただろうが無事に逃げられたかは分からない。

 私たちの返答を聞いて子狐様はもう一度頭を下げるとお狐様へと向き直った。どういう風に髪を食べさせるかは分からないが、重傷の(見た目は)人間の口に髪をねじ込む姿は見たくないので私は彰へ顔を向ける。


「でも彰いいの? 髪伸ばしてたんでしょ?」

「伸ばしてたっていうか……切れなかったってだけだから、吹っ切るのにもちょうど良い機会かなって」


 私と同じくお狐様の様子を見るのには抵抗があったのか、緒方さんがチラリと彰に視線を向ける。彰はその視線に気づいているのかいないのか、不揃いに短くなった髪をなでながら呟いた。


「弟が髪長かったからさ、髪伸ばしてれば弟と一緒に居られる気がして。でも、鏡見るのは怖かったんだよね。弟が生きてたらこんな感じだったのかもって考えちゃって」


 予想外な言葉に私は何も言えなかった。

 彰とトキアの容姿はそっくりだ。トキアが生きていれば彰とうり二つになったのは間違いない。だからこそ鏡を見れば彰はどうしてもトキアの姿を自分に重ねてしまう。

 見たいのに見たくない。切りたいのに切りたくない。まさしくトキアを連想させる長髪は彰にとって重荷だった。


「切って正解。きっと弟さんは彰くんの重荷になりたいとは思ってないよ」

「ナナちゃん、僕の弟に会ったことないのに知ったようなこというね」

 彰の言葉に緒方さんが視線をそらした。私も夕焼けが近づく空を見上げながら答える。


「知らないけど、彰くんとそっくりなことは想像できるし」


 実は彰よりもトキアのことを知っているのだが、そんなのは口に出さなくて良いだろう。やっと弟のことを吹っ切って、彰が前に進もうとしているのだし。トキアは間違いなく前に進む彰を祝福するだろうから。

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