6-11 錯覚

「ずいぶんお疲れのご様子。


 微笑むセンジュカに深里が舌打ちした。今までに比べて動きが鈍い。呪詛の効果が少しずつ現れているらしい。畳みかけるなら今だと悟った双月が飛び出す。それに合わせて緒方さんが名前を呼ぶと双月のスピードが上がる。同じ組織に所属しているだけあって息の合った連携だ。


 深里が斧で双月を吹っ飛ばそうとすると影の犬が深里の腕と足に噛みついた。お狐様はふらふらの状態でなんとか立っている。子狐様が泣きそうな顔でお狐様を支えようとしているが、お狐様はそんなことはお構いなしに目を見開き、ただ深里を殺そうという殺意だけで能力を使い続けていた。

 お狐様と双月の猛攻、センジュカのサポートによって深里の体力は削られる。畳みかけられる攻撃に、入る隙をなくした彰は手持ち無沙汰気味だが、隙を見せたら彰にぶん殴られるというだけで深里にとっては相当なプレッシャーだろう。

 

 先ほどまで押されていた形成が逆転した。それに気づいた私は立ち上がると響さんの元へ全力で走る。今の深里に私を気にする余裕はないはずだ。

 走ってきた私に響さん、緒方さん、リンさんは驚いた顔をした。すぐさま「逃げろ」という響さんの手をつかんで首を左右に振る。


「響さん、一緒に来てください。この山に居る人を全員避難させなきゃいけないんです」


 私が何を言っているのか響さんは分からなかったようで目を見開いて固まっている。リンさんが私を凝視して、それから納得したように頷いた。おそらく感情を読んだのだ。

 緒方さんは双月の名前を呼びながらチラチラと私の様子をうかがう。私のことはいいから双月のバックアップに全力を注いで欲しい。


「深里は罪のない人を何十人も殺してます。これ以上被害者を出すわけにはいきません。だけど、子供の私たちが逃げてって言っても誰も聞いてくれない。響さんの力が必要なんです」


 状況を理解した響さんの表情が引き締まる。チラリと彰の方を見て、それから私に向き直った。


「これ以上、兄上に罪を重ねさせるわけにはいかない。君の言うとおりにしよう」

「ありがとうございます!」

「さっさとずらかるぞ。深里が手一杯の間に」


 リンさんがいつになく余裕のない表情でいう。私は頷くと状況を確認した。遠回りになるが深里にバレないように身を隠しながら迂回した方がいいか。そう考えていると、深里とバッチリ目が合ってしまった。


「響! 逃げるつもりか!」


 怨念染みた深里の声。今までになく荒々しい動きで斧を振り回し、体に噛みつく影の犬を引きずり、お狐様が放つ炎すらも無視して深里が響さんに体を向ける。今まで見てきた中で一番怖い。トキアよりも怖いと私は腰が抜けそうになるのをなんとか耐えた。


「許さないぞ! 絶対に! お前だけがすべてを手に入れるなど、絶対に許さない!」


 身勝手過ぎる深里の主張に誰も何も言えない。身勝手だろうと的外れだろうと強すぎる感情は人に突き刺さる。足手まといにはならないと決めていたのに私の体は動かず、緒方さんが私を庇うように抱きしめた。響さんのことはリンさんが。

 深里が憤怒を浮かべて私たちの方へ斧を振り上げる。人間である私は彰のように受け止められないし、避けられるほどの動体視力もない。彰の「ナナちゃん!」という悲鳴染みた声が聞こえる。やばい。死ぬかもと私が思ったところ、私たちと深里の間に何かが入り込んだ。


 深里の投げた斧が何かにはじかれて飛んでいく。遠くで何かに突き刺さる音がしたが私は目の前の光景から目が離せない。はじめ、目の前に広がった黄色いものがなんだか分からなかった。苦しそうな荒い息と共に黄色の何かが揺れる。それが尻尾だと気づいた時、目の前に立っているのがお狐様だと気づいた。艶めいていた尾は泥と草で汚れて血がにじんでいる。上物だと分かる着物は至る所がさけ、そこから血が流れる肌が見えた。


「母上様!」


 子狐様の悲痛な声が聞こえる。泣きそうな声からお狐様が危ないことが伝わってきた。それでもお狐様は私たちの前から離れない。


「私が護る場所で、私の前の前るで、子供が殺されるのを黙っているなど私の矜持きょうじに関わる!」


 振り返ったお狐様の額からは血が流れていた。理事長室で優雅にふんぞり返っていたとは思えないボロボロの姿。それでも美しく見えるのは本人の言うとおり、お狐様に譲れない矜持があるからだろう。


「逃げろ! あの男に誰一人殺させるな!」

「雄介! 響を護れ! 俺はなんとかなする!」


 お狐様の後に双月が叫ぶ。私は響さんの手をつかむと走り出した。私たちを護るようにリンさんと緒方さんも続く。


「行かせるか!」

「少しは兄らしくしろよ! クソ野郎!」


 彰の怒声と共に大きな音がした。振り返って確認する暇もなく私たちは走る。ここは一気に駆け抜けるべきだ。そう分かっているのに彰の「子狐ちゃん!」という声に体が反応し足を止めてしまう。


 倒れるお狐様の前に子狐様が両手を広げて立っていた。その前には巨大な斧を構えた深里の姿。今にも深里は斧を子狐様に向けて振り下ろそうとしている。しかし子狐様は逃げない。逃げたらお狐様が殺されてると分かっているから。


「私に構わず行ってください!」


 立ち止まった私を見て子狐様が叫ぶ。それを聞いたリンさんは響さんを連れて走りだす。緒方さんは立ち止まった私を引っ張って行こうとするが私は地面に根が生えたように動かない。

 

 祠の前で何度も子狐様が入れたお茶を飲んだ。美味しいいなり寿司を用意すると喜んでくれた。訪れてくれる人が増えたと嬉しそうに話してくれた。

 そんな今までの他愛ない日常が頭に浮かぶ。それが走馬灯のようで嫌だった。もう会えないのだと突きつけてくるようで、何も出来ないとしりながら私の足は子狐様の方へ向かって走り出そうとする。緒方さんが「ダメだ」と叫んだが、私の心が嫌だという。このまま子狐様とお別れなんて絶対に嫌だ。


 無情にも深里の斧は子狐様に向かって振り下ろされる。その動きがやけにゆっくり見えて、私は必死に子狐様に向かって手を伸ばそうとした。視界のはしに私と同じく駆け寄る彰の姿が見える。子狐様を助けられる距離に誰もいない。それが分かっているのに、誰かと声にならない声で叫ぶ。

 子狐様は覚悟を決めたのかきつく目をつぶったのが見えた。それでも一歩も引かないのが健気で嫌になる。状況に気づいたものの動けないお狐様が「逃げろ」と叫ぶが、すべてが遅い。



 その声は突如上から振ってきた。スローモーションだった世界が完全に停止する。いや、深里だけがピタリと止まる。センジュカかと思ったが、センジュカは人を殺しそうな顔で何かを睨みつけていた。


「本当は出てきたくなかったんだけど、仕方ないねえ。子狐ちゃんが死んじゃうと目覚め悪いし。アキラへのフォローはなんとかよろしく」


 のんき過ぎる声に私は驚き顔を動かす。痛みがやってこないことに戸惑いそろそろと顔を上げる子狐ちゃんの肩に子供の手が置かれた。ふわりと体重を感じさせない動きで天から舞い降りてきたトキアは場違いなほどニコニコと笑っている。


「君たちが精神ぐちゃぐちゃにしてくれたおかげで効いたよ。ありがと」

 そう笑うトキアが本物の天使に見えたのは目の錯覚だが、その錯覚すら今は嬉しかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る