6-7 御膳祭

「逃げろ!」


 緒方さんの怒声混じりの声が響く。すくむ私の手を引っ張ったのは彰だった。香奈の手も同時につかんだ彰は私たちを引っ張って学校の方へと走り出す。


「小野先輩! ここはいったん引こう!」


 彰の声に硬直していた小野先輩も動き出す。千鳥屋先輩の手を引くどころか抱き上げて走り出す様子は必死で、緊迫した状況なのだと私に現実を突きつける。彰に手を引かれるまま振り返れば再び深里に飛びかかる双月と双月の名を呼ぶ緒方さん、響さんを庇う位置に立つリンさんの姿が見えた。


「私たち、逃げていいの!?」

「僕はともかくナナちゃんたちがあの場にいても足手まといでしょ」


 それはその通りだ。双月やお狐様が操る影を軽々と吹っ飛ばした深里に普通の人間である私が対抗出来るわけがない。それが分かっていても私の頭にはいいのかという疑問が浮かぶ。深里を双月たちに押しつけて、自分たちだけ逃げて良いのだろうか。


「冷静になれ、香月。あんなの俺たちの手に負えない」


 小野先輩が千鳥屋先輩を抱えたまま冷静に告げる。祠から離れ、深里たちの姿が見えなくなったところで彰と小野先輩は立ち止まり祠の方を振り返る。遠くから刃物がぶつかり合うような音と大きな何かがぶつかる音、獣のうなり声が聞こえる。未だ戦闘は続いているのだとその音が私たちに告げていた。


「私達が足手まといなのは分かってます。分かってますけど、大丈夫なんですか」


 あの場に残ったメンバーに任せて本当に大丈夫なのだろうか。双月の実力がどれほどのものか私は知らない。お狐様の影はあっさり吹っ飛ばされた。リンさんは外レ者の中では上位に位置すると聞いているけど、戦闘はどうなのだろう。感情を食べるというのはクティさんと同じく戦闘向きの能力とは思えない。感情を抜く際に相手に触れなければいけないのだとしたら斧を使う深里相手には不利だ。

 考えれば考えるほど嫌なことばかり頭に浮かぶ。私は繋いだままの彰の手をぎゅっと握りしめた。


「私たちに出来る事と言ったら彼らを信じて、近くにいる人たちを逃がすことだけだわ」


 千鳥屋先輩の静かな声に下を向いていた私は顔を上げた。未だ小野先輩に抱きかかえられたままの千鳥屋先輩は険しい顔で戦闘が行われている方角を見る。


「逃がす?」

「御膳祭っていうのは羽澤家でずっと行われていた儀式らしいわ。それが響様の代で急に終わった」

「それがどうかしたのか?」


 小野先輩の疑問は私も感じたことだ。何度か御膳祭という言葉を口にしていた。双月、緒方さん、響さんの反応から見て良いものとは思えないが、今の状況に関係あるとも思えない。

 しかし千鳥屋先輩は険しい顔で祠の方角を睨み付けている。


「どんな祭りだったのかは分からない。深里の言い方からしてろくなものではなかったのでしょうね。でも最後のお祭りの顛末については噂で聞いたことがある。一夜にして羽澤の人間が二十人以上死んだって」


 息をのんだのは私だけじゃなかった。彰や香奈、小野先輩も目を見開いて千鳥屋先輩を凝視している。


「天然ガスのせいだと言われているけれど、どうにもきな臭いのよ。ガスが発生したのは羽澤内にある森。魔女の森と言われている羽澤家にとっては禁忌の場所。羽澤の人間は決して足を踏み入れないと言われているのに何でその日に限って二十人も、しかも夜に森の中に入ったのか」

「……変な話だとは思うが、今は関係ないだろ」


 小野先輩がいつになく小さな声を出す。不穏な話が現状とつながるのを恐れているようだ。それでも千鳥屋先輩は容赦なく、現実を突きつけるように小野先輩と目を合わせて告げた。


「深里は言った。御膳祭の犠牲者は二十人ほど。今回はもっと多くの御膳が用意できる。ナナちゃんが連れてきた特視の方々に対して御膳といった。リンさんに捧げられたとも言ったわ。つまり、御膳とは人。リンさんに食べさせるために用意した生贄」


 ゴクリとツバを飲み込んだ。これは深里の言動から推測したものに過ぎない。それでもあり得ると思ってしまった。羽澤家が呪われた家であることも、呪いを解くためにありとあらゆる手段を試したことも分かっている。トキアは彰の呪いを解くために自分の娘すらも犠牲にしたのだ。血を分けた一族を犠牲にすることをためらうはずもない。


「深里はリンさんを食べたいといった。でも食べるには力が足りないとも。クティさんたちのような存在が強くなるには食べることが重要だと聞いたことがある。ナナちゃんの話によればすでに深里は何十人もの人を殺している。今更人を殺すことを躊躇するとは思えない」

「つまり、もっと多くの御膳というのは……」

 千鳥屋先輩は小野先輩から目を離し私たちを見回した。


「私たちを含めたこの学校の生徒、校門に集まっている地域住民」


 最悪な展開を想像して血の気が失せる。今は双月たちが深里を抑えてくれている。けれど双月が負けて深里が森から出たら。その時何も知らない一般人が近くにいたら。山鬼の集落で起こったことがここでも繰り返される。


「早く皆を非難させなくちゃ!」

「この状況をどうやって伝えるのさ。不審者が出たっていっても学校の生徒全員が逃げてくれるとは思えない」


 香奈の悲鳴混じりの声に対して彰は冷静だった。冷静だからこそ絶望感が増す。このまま私たちが校舎まで走って逃げてと叫んだところで真面目に受け取ってもらえるだろうか。冗談として聞き流されないだろうか。


「百合先生、日下先輩と小林先生は? たしか一条先生も協力してくれていたよな」

「三人にはすぐに連絡がとれますけど……」


 私は彰の手を握ったまま、もう片方の手で携帯電話を取りだし唇を噛みしめた。連絡はとれるけれど、ただ逃げて下さいといって三人が納得してくれる自信がない。一条先生はともかく、百合先生と日下先輩、小林先生は現状を確認するために祠に来ると言い出しそうだ。百合先生と日下先輩は人外がいるといえば信じてくれるだろうが小林先生が信じてくれるとは思えない。


「雪江さんから理事長に伝えてもらえば!」

「寮母さんは信じてくれるかもしれないけど理事長が動くか分からない」


 ひらめいたという顔をした香奈は千鳥野先輩の冷静な指摘に肩を落とす。

 理事長は深里に怯えきっていたし、気弱な事なかれ主義という印象だ。緊急事態といって聞いてくれるか分からない。だからといって寮母さんや先生たち、生徒会長だけでは弱い。全校生徒と校門に集まっている地域住民、念のために山の麓に集まってくれている人たちも全員避難してもらうには、多くの人を従わせられる権力者が必要だ。

 子供の根拠のない主張だけでは大人は動かない。


「……理事長が避難っていったら皆避難してくれるよね?」


 彰がポツリとつぶやいた。その通りだがそれが難しいのだと私が口にしようとしたところで彰が祠の方を見つめていることに気づいた。

 未だ大きな音は途切れない。双月かお狐様が戦い続けているのだ。


「羽澤響が言えば、理事長は言うことを聞く」


 彰の言葉に私たちは目を見開いた。彰の言うとおり気弱な理事長であれば羽澤家現当主のお願いを拒否することは出来ないだろう。理由が分からなくても後先考えずに従いそうだ。


「それに、前の御膳祭は天然ガスが発生したって事になってるんだよね?」

 彰の問いに千鳥屋先輩が頷いた。


「有毒ガスが発生したって言ったら皆スムーズに避難してくれるかもしれない」

「それだ!」


 思わず大声が出る。八方塞がりだと思っていた状況が好転して表情も明るくなる。香奈や先輩たちも顔を見合わせ頷き合った。

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