6-6 本当の幕開け
「失礼なこと言わないでくれる。正真正銘、僕の可愛い弟だよ!」
奪われてなるものかというように彰が比呂君を抱きしめる。相変わらずのブラコンだと思いながら眺めていると、後ろから小野先輩が近づいてきた。
「……この方が噂に聞く子狐様?」
子狐様の姿を小野先輩は興味深げにまじまじと見つめる。幼い子供というか、女性に向ける視線としては不躾だが、子狐様は慣れているのか気にした様子はない。
「母上様の代理として現在山を管理しております」
「えっと、商店街にて八百屋の長男やってます。小野圭一です。よろしくお願いします」
子狐様に真面目に頭を下げる小野先輩。その様子を見て子狐様の表情が柔らかくなる。千鳥屋先輩に続き、小野先輩の事も気に入ったらしい。
それにしても小野先輩、実家は八百屋だったのか。似合わない。
「それで彰、今回は何で私たち呼び出したわけ?」
「子狐ちゃんに現状報告と、この間の事件の事情説明。は、したんでしょ?」
「これだけ時間あったら終わったよね」と彰は比呂君とは比べ物にならないムカツク笑顔を浮かべた。
やけにのんびり現れたと思ったら、私たちが状況を説明する時間を予想して現れたらしい。自分で説明するの面倒くさいからって押し付けるな。子狐様と契約してるのはお前だろと言いたくなるが、きょとんとしている比呂君の手前口には出さない。
「あとね、ちょっとしたお伺い。商店街にさ、もう一つ祠立てようとおもうんだけど、子狐ちゃんとしてはどう?」
「え?」
予想外の言葉に子狐様が固まった。先ほどまでは相変わらずですねと呆れた様子で彰と私のやり取りを見ていたが、完全に虚をつかれたらしく、いつもより表情が子供らしい。
「山の神は商店街も見守っているという目に見える証明が欲しいという意見が出たんだ」
「信仰心も集まるし、子狐ちゃんとしても悪い話じゃないでしょ。それにここの祠は正確に言えばお狐様のもの、子狐様自身のものはないでしょ?」
小野先輩と彰の言葉をぼう然と聞いていた子狐様の頬に徐々に赤みが増す。感情を抑えきれなかったのか、ぶわりと耳としっぽが現れた。かすかに動くしっぽに千鳥屋先輩が目を細め、小野先輩がおーと感嘆だか何だか分からない声をだす。比呂君は「狐さん!」と目を輝かせてはしゃいだ声をあげた。
「いいんですか、私のようなものに?」
「いや、聞くのはどちらかというと俺たちの方なんだが……何とか絶体絶命の危機は乗り越えたが、今後どうなるかは分からない。神様が満足できるような供物を用意できる保証もない」
「いいですよ。私は人間にそれほど期待していません」
子狐様は静かに告げる。一見すると冷たい言葉だが、その言葉を口にする子狐様の表情は柔らかい。母親が生まれたばかりの我が子を腕に抱いたときのような、慈愛に満ちた笑みで子狐様は私たちを見渡した。
「私は人間の子供が幸せな所を見るのが好きなだけです」
「そんなんだから消えかけるんだよ」
彰が呆れた顔でいうが、そういうわりには表情が柔らかい。仕方ないなあ。この神様はという確かな情を感じる表情を見て、子狐様は驚いた顔をし、それから嬉しそうにほほ笑んだ。
「人の生活をすぐ近くで見られるのであれば、これほどうれしい事はありません。それに私、自分の祠が欲しかったんですよ」
「これでやっと、半端ものではなくなる」そう小さくつぶやいた言葉が聞こえたのはすぐ隣に座っていた私だけだったのだと思う。それでよかったのだろう。神と呼ばれる存在の弱みなど、人間が知るべきではない。気のせいだったと忘れてしまえばいいのだ。
これも彰の計画通りかと私は何ともいえない顔で彰を見る。この男は一体どこまで考えているのか。最初は興味なさげだったというのに。
そう思いながら彰を見ると、ふと彰が抱きかかえた比呂君の首元にこの間はなかったものが見えた。小さな比呂君には大きめな、不格好な黒い塊。チョーカーというよりは首輪に見える子供には違和感のあるものを見て、私は眉を寄せた。
「彰……何それ?」
比呂君の首元を指さすと彰は不思議そうな顔をして、それからああっと納得した様子で声をあげた。
「るいに頼んで作ってもらったんだー。発信機つきなの」
次に彰の口から飛び出た、笑顔でいうにはあんまりの内容に私の意識が遠のきかける。香奈は目を見開いているし、子狐様と小野先輩は引いていた。千鳥屋先輩は何故か納得した顔をしている。何でだ千鳥屋先輩。似たような趣味とかやめてくれ!
「は、発信機?」
「またしつけのなってない犬に誘拐されたら困るから」
彰はそう言いながら比呂君の頭を撫でる。おそらく自分の首につけられたものも、状況も、兄の異様な執着も気付いていない比呂君は嬉しそうに笑う。
だからこそ余計に歪んで見えて、鳥肌が立った。
「いくら、不安だからって発信機って……」
「用心しすぎるに越したことはないでしょ。だって人はさ……」
彰はそこで言葉を区切ってほほ笑んだ。泣き出す一歩手前みたいな、自信にあふれた彰らしくない儚げな笑み。
「死ぬときは一瞬だ」
その言葉は重かった。
私は気付く。気付きたくないことに気づいてしまう。
比呂君への彰の愛は重い。異様だ。そう思っていたが、それは一人に向けたものだと考えた場合の話。彰は最初から比呂君と、亡くなったという双子の弟、二人分の愛情を比呂君に捧げていた。二人分だと思えば人より重いのは仕方ない。そして、大事な弟を失ったという事実もプラスされれば、人よりも過保護になるのも仕方ないのだろう。
喪失感、寂しさ、後悔、懺悔。そして愛情。
全てが比呂君へ注がれている。何てそれは重たく歪んだ、悲しい愛だろう。
「アキラのせいじゃないんだけどな……」
「そうだよ……。彰君のせいじゃない」
彰のせいであるはずがない。人の死はどうにもならない。どんなにくやもうと変えられない。一人で罪を背負うべきものでもない。
そう思って自然と口から出た言葉だったが、なぜか彰は目を見開いた。その反応の意味が分からずに周囲を見渡すと香奈、小野先輩も戸惑った顔でこちらを見ている。
突然何をいいだしたんだともとれる反応に私は混乱し、さらに周囲を見渡すと、探るような視線を向ける千鳥屋先輩。なぜか同情の視線を送る子狐様と目があった。
そこでふと思う。そういえば私は誰の言葉に同意したんだろう。
気づいた瞬間に鳥肌がたった。寒気を振り払いたくて視線を動かすと、比呂君が私を見ていた。大きな瞳でじっと。
澄み切った瞳もは純粋な好奇心と、なぜか喜びが見える。その意味が分からなくて寒気が増した気がした。いったい比呂君は何に喜んでいるのか、何を期待して私を見ているのか。
それに、気のせいでなければもう一つ、私を見つめる視線がある。馴染んだものではない。無視したくても出来ない、まとわりつくような、巨大な獣が上から見下ろしているような。とにかく恐ろしい、初めて感じる感覚。
その視線はありえないことに私の頭上。空の上から注がれているような気がする。
おそるおそる、視線を動かす。まさかそんなはずがない。気のせいだ。そう縋るように、祈るようにゆっくりと顔を動かすと……。
ソレと目があった。
空中に子供が浮いていた。長い髪をなびかせ、やけに容姿の整った人形みたいな子供。丸みを帯びた体は発育しきっておらず、男にも女にも見える絶妙な時間でとまっている。大きな青い瞳が無表情に私を見下ろす。飲み込まれそうな青色に私が恐怖を覚えると、それは綺麗にほほ笑んだ。
比呂君と同じくらいの年齢だというのに、浮かべる表情は全く違う。
比呂君が世界の幸せを集めたとしたら、この子供は世界の不幸を煮詰めて飲み込んだに違いない。
「僕が見えるの?」
声変わり前の子供の高い声。甘く聞こえるその声は、誰かに似ている。声だけでなく、容姿も仕草も、何もかもが似ていた。
ソレは幼い佐藤彰に違いなかった。
「そっかー、僕が見えたか。ってことは君は彰に興味を抱いたわけだ」
思考が停止している私なんてお構いなしに、一人納得した様子でソレはクスクス笑う。かと思えば突如、距離を詰めてきた。鼻がくっつきそうなほどの距離。目を逸らすことなど許さないと、見開かれた瞳から圧を感じる。
彰と似た容姿、同じ瞳。それなのにまるで違う、もっと深く重く、煮えたぎった闇をのぞかせてソレは嗤う。
「恋愛感情だけは許さないんだけど、そこのところはどうなのかな? ナナちゃん?」
コテリと、しぐさだけは愛らしく首をかしげたソレを見て私は悟る。
この瞬間、逃げ道は完全に断たれた。
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