4-4 非日常は隣に
「彰君のことを知ったのは
意外な事実に私は腕を組んでうめいている尾谷先輩を見た。
えっなに? どういうこと? と必死で今の話を理解しようとしているようだが、見ている限り半分も分かっていなさそうだ。
とりあえずは放っておこうと私は小野先輩へと視線を戻す。
「浩治先輩が散々な目にあって百合先生に目をつけられた。そう愚痴ってきたんだが、事情を聴く限り自業自得すぎたので最初は無視していた」
先輩と読んでいるわりには雑な扱いに私は苦笑した。尾谷先輩だしといわれればそれまでの話ともいえる。
「だが、次に白猫カフェの話を聞いた。なんでも浩治先輩が慕っていた兄貴分が猫に魅了されて、わけわからない喫茶店でフリフリエプロンつけて働き始めたと。それにも彰君が関わっているらしい。意味がわからないとまた愚痴ってきた」
「尾谷先輩、宮後さんたちの知り合いだったんですか?」
私の言葉に唸り声をあげていた尾谷先輩は動きをとめた。話が理解できないというように目をまたたかせていたが、少しすると脳に情報がいきわたったらしい。鋭い目つきで彰をにらみつけた。
「そうだよ! 宮後の兄貴には何かとよくしてもらってたんだ! それがいきなり猫! 喫茶店の店長……! いや、猫達は可愛いけどな! なんだあのファンシーにフリルエプロン! 似合わないにもほどがあんだろ!」
一気にまくし立てた尾谷先輩の主張。こればかりは私も否定ができない。たしかにアレは似合わない。
猫たちが可愛いのは揺るぎない事実だし、出てくるデザートも美味しいし、最近作り始めたグッズも可愛いが、筋肉ムキムキの店員とフリルエプロンという図だけは何度通ってもなれない。
それが憧れた兄貴分だとしたら尾谷先輩の怒りも分からなくはない。
「あれ意外と好評なんだよ。シュール可愛いって女子高生に。女子高生の感性って理解不能だよね」
「あんたも意味わからないって思ってたの」
「思ってるけどそれが売り上げに結び付くんだったらやめられないでしょ。お店の経営はボランティアじゃないの。売り上げが出なければ継続できないの。今いる猫たちの面倒見れないし、新たに猫を保護することもできない。理想論、綺麗ごとだけで物事は回らないの」
涼しい顔で彰はいって手を付けていなかった麦茶を飲む。一息でしゃべって喉がかわいたのかもしれない。ぬるいと顔をしかめたが、それに関してはすぐに飲まなかった彰が悪い。
「ってことは、尾谷先輩の愚痴を聞いて僕の存在をしり、協力してくれっていうタイミングをうかがってたってこと?」
「そういうことだな」
彰の言葉に小野先輩は答え、千鳥屋先輩も頷く。悪びれない態度に彰はため息をつく。
「いっとくけどねえ、あそこの資金に関しては僕じゃなくて幼馴染のポケットマネーだからね。さすがに一店舗の運営資金は出せたって、商店街丸々は無理だよ」
いや、一店舗の運営資金をポケットマネーで出せるのも十分すごいけど。彰の金銭感覚おかしくないか? と私は顔をしかめた。それとも岡倉さんの金銭感覚がおかしいのだろうか。
「あなたの実家は?」
黙って話を聞いていた千鳥屋先輩が口を開く。その瞬間、なぜかリンさんのまとう空気が変わった。我関せずという様子で事の成り行きを見守っていたリンさんの目つきが、千鳥屋先輩を品定めするものへと変わる。
その変化にマーゴさんがビクリと肩を震わせ、香奈が不安そうに千鳥屋先輩を見つめた。
「それ聞くってことは、僕の出自にある程度予想はついてるわけだね?」
「分かる人ならすぐに分かるわ。忠犬もいるし、そちらの方は悪魔でしょう。本当に実在するとは思わなかったけど」
悪魔と呼ばれたのはリンさんだ。
言われたリンさんは否定することもなく、言葉を発することもなく千鳥屋先輩をじっと見つめている。心の内側の真意を見透かそうとしているような真剣な目を見て、リンさんは感情を食べるという事実と共に、容赦なく彰の体に手を突っ込んだ光景を思い出す。
千鳥屋先輩に何かするんじゃ。そう私は不安になる。間に入るべきか悩んでいると、彰がリンさんの体を後ろへと押した。手をだすな。そう言葉に出さずに態度で告げた彰は、嫌な笑みを浮かべていた。
「事情が分かってるなら、なおさら関わり合いにはなりたくないんじゃない。嫌でしょ。化け物なんかと関わるの」
「同じ化け物くくりで扱われてるマーゴさんとは小さい頃から一緒にいる。今更よ」
「えっ俺化け物くくりなの」とマーゴさんが悲し気な声を出す。香奈が何とかフォローしようとしているようなので任せた。私からすると千鳥屋先輩の言う通り化け物枠なので、何も言えない。
「それに私はどうしてもこの商店街を守りたい。ここは私が圭一と出会った場所。新しい自分になれた場所。今の私があるのは圭一とこの商店街があったおかげ。自分を救ってくれた場所をどんな手を使っても守りたい。貴方に恨まれようと」
彰の嫌な笑みも、リンさんの探るような視線もはねのけて千鳥屋先輩は姿勢を正し、堂々とそこに座っていた。小野先輩の後ろに隠れていた時とはまるで違う。大切なものを守りたい。そんな強い決意を感じる姿。凛とした美しさに私は目を奪われた。
「なるほどねえ……」
千鳥屋先輩をしばし見つめていた彰は折れないと気づくと口の端を上げてニヤリと笑う。悪役じみた彰の顔に小野先輩は眉を寄せ、マーゴさんが不安げに彰とリンさんの顔色をうかがう。
リンさんは千鳥屋先輩の真意を読み終えたのか、無表情で彰の様子をうかがっていた。彰の決断に従う。そう決めたようだった。
「何としてでも守りたいもの。それには僕だって覚えがある」
そういうと彰は膝の上にのった比呂君を抱きしめる。相変わらず空中を見つめていた比呂君は彰の動きに不思議そうな顔をした。
「だから、その守りたいものを傷つけようとした君たちを許せっていわれたら無茶だってわかるでしょ? たとえ未遂だとしてもさ」
その言葉に小野先輩と千鳥屋先輩は顔をしかめた。大事な部分を見誤ってしまったという後悔がうかがえる表情。交渉は決裂か。そう私が思った時、彰は射抜くような視線を和らげて楽し気に笑う。
「でも、先輩たちの意気込みは面白いから協力してあげてもいいよ。ただし、千鳥屋。借りはいつか返してもらうからね」
彰の言葉に千鳥屋先輩は表情をこわばらせた。だが、すぐに決意のこもった顔で頷く。
千鳥屋。それは千鳥屋花音という一個人を示したのではなく「千鳥屋家」という一族を示したのだと何となく分かった。何気なく見えるこのやり取りは、簡単に見えて重たいものを互いに受け渡した契約。
千鳥屋先輩は思い出の場所を守るために。彰は大事な弟を守るために。
それを感じ取っているのは彰と千鳥屋先輩以外では私だけのようだった。香奈は丸く収まった商談に安心したようだし、マーゴさんも「よかったあ」とのん気な声をあげている。小野先輩は何となく感じるものはあるようだが、おそらく情報が足りない。比呂君はまだ幼く、尾谷先輩は論外。
「彰に武器が増えるのは良い事だな……」
ポツリと。気の抜けた空気に溶け込むようにリンさんがつぶやいた。小さな声だったが、妙に私の耳には響いて聞えて、リンさんに視線を向ける。リンさんは私の視線に気づくと口角をあげ、目を細める。品定めするように赤い瞳で私を見下ろすと、彰なんか足元に及ばない嫌な笑みを浮かべる。
前言撤回。
リンさんも先ほどの会話の意味を理解している。私よりも。もしかしたら、言葉を交わした千鳥屋先輩と彰よりも深く。
「これから忙しくなるなあ」
陽気に笑った化け物は、彰の背を乱暴にたたく。彰がやり返したことで空気が張り詰めたものから、日常へと戻った。そんな周囲の空気を感じながら私だけは戻れずにいる。比呂君は相変わらず空中を見上げて楽し気に笑っていた。そこに自分をあやす何かがいるように。
「境界線があいまいになっている気がする……」
何かがじわり、じわりと、音を立てずに浸食してきているような不快さに、私は一人腕をさすった。
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