4-2 歪な兄弟

「俺はいったよな、比呂を見とけって。お前、何してた?」

「その……ちょっと……」


 一人称、口調まで変わった彰がリンさんをにらみつける。リンさんは青い顔で視線を泳がし、なぜかある一点を見つめてさらに青ざめた。私がリンさんの反応に違和感を覚えた瞬間、彰の怒気が膨れ上がる。

 殴る! とっさにそう思った私が彰を止めようと立ち上がろうとすると、


「お兄ちゃんがね、今日は一緒にいてくれるっていったの」


 どこから話を聞いていたのか比呂君がにっこり笑ってそういった。彰の怒気にやられたのかオセロのコマを持ったまま青い顔をした尾谷先輩を置いて、比呂君は彰へと近づいてくる。彰に対して一切の恐怖を抱いていない姿に私は驚いた。


「ケンカはダメなんでしょ?」


 比呂君が眉を寄せると彰はバツが悪そうな顔でリンさんの胸倉から手を放つ。リンさんが救いの神が現れたと言わんばかりの涙目で比呂君を見つめていた。


「そうだね……ごめんね」


 彰が謝ると比呂君は満足そうな顔で頷いて、彰に抱き着く。

 あれほど怖い姿を見ても比呂君にとって彰は「お兄ちゃん」でしかないらしい。膝の上にのって、嬉しそうに笑う姿は一段と輝いている。

 いつも比呂君は笑っていたけれど、その中でもとびきりの、心の底から安心していると分かる笑顔を見て、本当に彰は比呂君にとって大好きな兄なのだと言葉にされなくても伝わってきた。


 兄弟。その一言で片づけていいのか迷うような強い信頼。絆。

 血がつながってない。そういっていた彰の言葉が信じられなくなるが、並んだ比呂君と彰の顔は確かに似ていない。

 比呂君は彰が可愛いと連呼するだけあって将来有望そうではあるが、男の子という域には収まっている。中性的で、男か女か判断がつかない彰の顔立ちとは別系統だ。


 不思議な兄弟。

 彰に甘える比呂君と、比呂君が近くに戻ってきて安堵する彰を見て私はそう思う。溺愛していると思ったが、それともまた違う気がする。もしかすると彰は、比呂君に依存しているのかもしれない。すぐ近くにいて、ぬくもりを感じていないとどうしようもなく不安になる。それほどまでに依存しているのでは。そんな確証のないひらめきが浮かんで私は不安になる。

 仲睦まじい兄弟の姿をなぜか純粋に見ることが出来ない。


 香奈はそんな不安は抱かなかったらしく「よかったね」と穏やかに笑っている。リンさん以外は彰の変化に戸惑ったようで、表情に乏しい小野先輩と千鳥屋先輩ですら目を丸くしていた。


 そんな周囲の視線など完全に無視して、彰は比呂君の頭を愛おしそうに撫でている。この子がいれば後はどうでもいい。そんな風にも見えて、私は勘違いだと思いたい不安が膨れ上がるのを感じた。


「ところで、比呂ちゃん。お兄ちゃんが今日は一緒にいてくれるってどういう意味?」


 比呂君が戻ってきて落ち着いたのか、冷静さを取り戻した彰が不思議そうな顔をした。いつもの彰に戻ってくれた。そうリンさんが安心したように息を吐き出すが、私は未だにモヤモヤした気持ちが収まらない。

 それでも彰の質問の答えに私も興味があったので、きょとんとした顔をする比呂君を見つめた。


「あのねー、お兄ちゃんが今日は僕が一緒にいるからリンはいいっていったの。僕もお兄ちゃんと一緒は嬉しいから、いいよっていったの」

 満面の笑みを浮かべる比呂君に彰は顔をしかめる。


「……お兄ちゃん……?」

 誰だか分からない。そう表情で語る彰に私は戸惑う。


「岡倉さんのことじゃないの?」

「るいだったら比呂ちゃんから目を離すなんてありえない。たとえ冗談だろうと誘拐なんてされるはずないんだけど」


 ギロリと彰は尾谷先輩、小野先輩、千鳥屋先輩を順番に睨みつけた。尾谷先輩が青い顔をして頭を抱え、千鳥屋先輩は小野先輩の背後に隠れる。小野先輩は眉間にしわを寄せるだけにとどまった。ケンカ慣れしているだけあって強い。


「比呂ちゃん。知らない人について言っちゃダメって僕いったよね?」

「知らない人じゃなくて、彰お兄ちゃんの知り合いだって言ってたよ」


 比呂君は不思議そうに首をかしげた。自分が悪いことをしたとは思っていない態度。今までの様子を見るに聞き分けもいいし、頭もよい比呂君らしからぬ反応に私は違和感を覚えた。

 彰も私と同じような感覚を覚えたようだ。眉間にしわを寄せ、わけが分からない。という顔をする。それから何かを考えるように黙り込んでいたが、何かに気づいたらしくリンさんをにらみつけた。


「……リン……比呂ちゃんに変なの近づいたら言えっていったよな。無害に見えたって、何があるか分かんねえんだから」


 彰はそういうと比呂ちゃんの体を抱きしめる。リンさんは最初何を言われたのか分からないという顔をしていたが、言葉を理解すると微妙な顔をした。


「いや……そのだな……色々と俺にも事情があってだな……」

「お前の事情なんて知るか。お前が死んでも比呂ちゃんは守れ」

「ひでえ!」


 叫ぶリンさんを無視して、彰は比呂君の頬を両手でつかみ顔を覗き込んでいる。「ケガしてない?」と聞く声は、先ほどまで殺気を放っていた人間とは思えないほど柔らかい。

 男だというのに母性を感じてしまって、私の頭が混乱した。


「えっと、どういう……」

「比呂君、彰さんと同じで見える体質なんだろうね」


 いつの間にか背後に移動していたマーゴさんが、小さな声で私たちに告げた。気配もなく移動するのをやめてくれと言いたいところだが、それよりマーゴさんからの情報が気になった。私はマーゴさんに顔を向ける。


「見えるって……幽霊?」

 私の言葉にマーゴさんはうなずいた。


 つまり比呂君はよく知った幽霊と一緒にいて、よく知った幽霊が「お兄ちゃんの知り合いだよ」といったから疑いもなくついてきた。そういうことか。

 比呂君の中では筋が通っているのだろう。生きている人間と見分けがつかないほどにハッキリ見える人間もいると聞く。比呂君もそうなのかもしれない。まだ小学生ということを踏まえれば、「知っている人」の判断が甘くなってしまうのも仕方ない。


「あとそういうのに好まれそうな匂いがしてる。だから彰さん過保護なのかもね」


 好まれそうな匂いなんてものあるのかと私は顔をしかめつつ、それならば彰の反応も一応は筋が通っている。と言えなくもない。生きている人間だけでも厄介なのに、死んでいる存在すら注意しなければいけないのだ。人の倍気を使っているといえなくもない。


 事情が分かっても、それにしたってという気持ちはある。だが、それを今問い詰めることではない。まずは小野先輩にさらに詳しい話を聞くのが先だろう。


「それで、小野先輩。比呂君を巻き込んでまで彰君に何をしてもらいたかったんですか」


 問題はそこだ。こんな強引な手を使ってまで彰に協力してほしい願い事。おそらくは彰にしかできない願い事。それは一体何なのか。

 比呂君の頭をなでていた彰が小野先輩へと視線をむける。鋭さを取り戻した視線を小野先輩はそらすことなく受け止めて、再び深々と頭を下げた。


「どうか、うちの商店街の活性化計画にご協力ください」

「は?」


 予想外すぎる言葉に私と彰の声が綺麗に重なった。

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