3-3 ヒントは日常に
妙な空気に香奈が慌てた気配を感じる。バックミラー越しにこちらを見る執事さんの視線にも気づいたが、ここまで来て負けるわけにはいかないと内心緊張しながら言葉を待った。
千鳥屋先輩はたっぷり間を開けてから、クマのぬいぐるみを膝の上に乗せ、私へと顔を向ける。
「内緒」
「……えぇ……」
あれだけ間を持たせてからそれか。っていうか、内緒ってことは言えない何かがあるって受け取っていいんですかとじと目を向ければ千鳥屋先輩は優雅な微笑を浮かべている。
顔がいいというのは得だ。
彰もそうだが、容姿が整っている人間は微笑むだけでも妙な力がある。引き込まれるというか、魅入られるというか。ほほ笑み一つで前後にあった事柄がどうでもよくなる。そんな摩訶不思議な特殊能力を持っている。
彰は意図的にそれを使うが、千鳥屋先輩もそのタイプらしい。「困ったときはとびっきりに可愛い顔して笑ってれば、向こうが勝手に勘違いしてくれる。ナナちゃんとカナちゃんも覚えといた方が便利だよ」と前に彰がいっていた。
たしかに、効果はある。実際にできるかと言われたら無理だが。
「……さすが彰君になれているだけあって、あっさり誤魔化されてくれない」
「……やっぱり分かっててやってますね……」
「あなた達としてはこんなことに時間をとられるよりも、もっと重要な質問があるんじゃないかしら」
ごまかしが通じないと分かると千鳥屋先輩の視線はクマのぬいぐるみに戻る。顔の部分をぐにぐにと引っ張ったり、つぶしたりともてあそんでいる姿は千鳥屋先輩の表情が動かないために少し不気味だ。
「彰君のことですか?」
「そう。あなたは佐藤彰が何者か。気になっているんでしょう?」
千鳥屋先輩は視線を上げない。香奈をチラリとみると、不安そうな顔で私を見返す。踏み込んでいいのか迷う表情を見て、私も自分が怖気づいているのだと気付く。
知りたい。そう思ってきたのに、いざ答えが目の前に来ると怖気づく。そんな弱い自分に私は顔をしかめた。
「そんなに身構えなくても、大したことじゃないわ。私も全ては分からない」
「は?」
あっさり告げられた言葉に私は思わずそんな声を漏らした。香奈が目を丸くしている。
「正確にいうとある程度予想はついているけれど、確証がもてない。さらにいうなら、私の予想が正解ならば関わるべきか、気付かないふりをすべきか悩んでいる」
続けて告げられた言葉に私は混乱する。それはどういう意味なのだろう。
「あなた達が彰君と親しくしているのは知っている。彰君があなた達のことは特別信頼しているのも見れば分かる。同じ猫をかぶっているもの同士だから、間違っていないと思うわ」
方向性は違うが周囲に偽りの自分を見せている。それに関して千鳥屋先輩と彰は共通している。だからこそ彰は千鳥屋先輩の謎の言語が分かるのかもしれない。
呆れはしていたが千鳥屋先輩に対しての彰の態度は優しかったように思う。あれは同類だと感じ取ったから。そう言われれば、納得いく部分もある。
日下先輩にもそうだったが、彰は自分の仲間と認めれば態度がやさしくなる。警戒心は強いが、懐にいれてしまえば甘い。そういう性格なのだ。
「でも距離が近いからこそ、あなた達が知るべきかどうかの判断が私にはできない。私の予想が正しければ、あなた達は無関係ではいられない。彰君と今後も仲良くしたい。そう思うならば、必ず障害があらわれる」
「それが、彰君が実家ではいないことになってることと関係があるんですか?」
思わずといった様子で香奈が口をはさんだ。握り締めた両手が震えている。怒りなのか、悲しみなのか。香奈が何を考えているのか私には分からなかったが、強い感情が小さな体にうずまいている。それだけはよく分かる。
「……知っていたのね。百合先生から聞いたの?」
「はい」
「実家については?」
「関わらない方がいいって教えてくれませんでした」
「正しい判断だわ。後ろ盾もない一般庶民が手を出せるような相手じゃない」
その言葉で彰の実家が相当な権力者であるという仮説が確かなものになり、私は膝の上に乗せた手を握り締めた。
「だいたい察しはついていると思うけど、私の家、千鳥屋は古くから続く家柄。一言でいえばお金持ち」
自慢するという雰囲気ではなく、事実を淡々と述べる千鳥屋先輩。自分の生まれに対しての興味はないように思えた。むしろ、面倒と思っているようで声に抑揚がない。
「その私が彰君の事情に察しがついた。それは十分なヒントだといえない?」
「実家に関してのヒントは……」
「十分ヒントは与えたと思うわよ」
私の言葉に千鳥屋先輩はあっさりと答えた。これ以上言うつもりはない。そう窓の向こうを見てしまった態度から物語っている。
これ以上聞いても無駄だ。そう思った私が背もたれに寄りかかろうとしたとき、香奈が口を開く。
「それって、言ったら私たちでも分かるくらい有名な家ってことですか?」
その香奈の言葉に窓の外を見ていた千鳥屋先輩は振り返った。あまり動かない千鳥屋先輩の瞳が見開かれて、驚きをあらわにしている。私はそんな千鳥屋先輩の反応に驚いたが、それ以上に香奈のいう事が気にかかった。
言われてみれば、千鳥屋先輩も百合先生も不自然なほどに情報を出ししぶっている。金持ちの事情など、一般庶民の私には分からない事の方が多い。
言っても理解してもらえないから、説明する時間が無駄だと思われていると私は判断していたが詳しく説明すると気付かれるゆえに何も言えなかったともとれる。
そんな香奈の予想は千鳥屋先輩の反応からしてアタリだ。
「……さすが、あの一族が気に入るだけあるのね」
千鳥屋先輩は綺麗にほほ笑んだ。誤魔化しのない純粋な笑みは心の底から香奈を讃えているように見える。
「気になるなら調べてみたらいいんじゃないかしら。言ったでしょう。ヒントは十分与えたわ。あなたは噂によるとオカルトが好きなんでしょ。だったらたどり着くかもしれないわ」
「え?」
オカルトが好きだとたどり着く? それは一体どういうことなのかと私は首をかしげる。香奈も分からなかったらしく、千鳥屋先輩を凝視した。
どういう意味か。そう声にだして聞こうとした瞬間、車が緩やかに止まる。
「商店街につきました」
話に熱中するあまり、存在すら忘れていた執事さんの声。目的地の到着と共に話の終わりを告げる言葉に、千鳥屋先輩はほほ笑みを浮かべた。
彰の意味深な笑みを見慣れた私には分かる。最初に宣言していた通り、この後は何を聞いても千鳥屋先輩は答えてくれない。
時間切れ。というやつだ。
「さてと、手遅れになってないといいけど」
言葉と裏腹にのんびりな口調でそういうと、千鳥屋先輩はクマのぬいぐるみを定位置に戻した。自分からドアを開ける気がなく、執事さんが開けてくれるのを待つ姿に私は顔をしかめた。
千鳥屋先輩を見ていると急ぐのがバカらしくなってきたのもあるが、自分で開けてもいいのかとオロオロする香奈を見ているとせかす気になれない。
私は執事さんがドアを開けてくれるまでの間、平和に終わりますようにと身近な神様に無茶なお願いをした。
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