3-2 千鳥屋のお嬢様
急いでいる。そう分かっているはずなのにマイペースを崩さず、器用に日傘を回しながら千鳥屋先輩は歩く。千鳥屋先輩が進むたびに、前方を歩く生徒が驚き、戸惑い、嫌悪など様々な感情を浮かべて道をあけるのは見ていて面白い。が、のんきに眺めている余裕などない。
「先輩! ちょっとは急いでくださいよ!」
「若者よ。時に惑わされることなかれ」
「一歳差でしょ! っていうか、通訳いないんですから普通に話してください!」
千鳥屋先輩の独特な厨二言語を翻訳できるのは彰のみ。その彰がかぶっていた猫すら放り投げていなくなってしまった。私では千鳥屋先輩の対処はしきれない。
隣まで移動し、不満を込めて睨む。千鳥屋先輩は少しだけ考えるそぶりを見せたが、すぐに納得したようだ。回していた傘を止め「そうね」と一言つぶやいた。
「私の素を知っているあなたたちに、今更な話ね。正直私も考えるの面倒だし」
「面倒だったんですか……」
香奈の言葉に千鳥屋先輩はうなずく。その表情は相変わらず動きがなく、ウソなのか本音なのか判断がつかない。
「面倒なのに何で……」
「面倒だけど、素で行動するよりはマシなのよ。重さの違う面倒事、どちらかを必ず選ばなければいけないとしたら、軽い方の面倒事をとる。それだけの話」
「厨二病の変人って周囲に遠巻きにされる方がまだマシってことですか?」
千鳥屋先輩はかすかに笑みを浮かべてうなずいた。
私には想像できない世界だ。現状の千鳥屋先輩よりも面倒なこと。それは一体どんなことだろう。そう想像してみたものの、とっかかりすら思いつかない。
「彰君と一緒にいるあなた方なら、少しは理解できるんじゃないかしら? 彰君もそうでしょう」
考えが顔に出ていたのか、千鳥屋先輩はそんなことを言う。
「彰君もそう……?」
「彰君だってさっきまで大きな猫をかぶっていたじゃない。それと似たようなものよ。いえ、私よりもよっぽど彼の方が面倒でしょうねえ……」
表情は変わらないのだが、どこかここではない遠くを見るような、そんな目で千鳥屋先輩は前を向く。手持無沙汰に傘をクルクル回す姿は先ほどと変わらないように見えて、空気が違う。
「……千鳥屋先輩は、彰君のこと……」
後ろにいた香奈が恐る恐るといった様子で声をかける。千鳥屋先輩は香奈の方へと体を向け、香奈の瞳をじっと見つめた。単純に興味があるというのではなく品定めしている。そんな風にも見えて、私は身構える。
この人はやはり、何かを知っている。
私が確信したのと同時、香奈も同じことを思ったのだろう。知らない人と目を合わせるのを苦手とする香奈が、千鳥屋先輩から目を離さない。それでも緊張はしているらしく、スカートを握り締めていた。
そんな香奈の様子をみて千鳥屋先輩はふっと笑う。バカにしたわけではない、柔らかくて優しい笑み。
何でそんな風に笑うのか分からず私と香奈が戸惑っていると、千鳥屋先輩が速足で歩きだす。そんなに早く歩けるならもっと早く動いてくれ。そう私が文句を言おうとしたとき、目に見慣れないものが飛び込んできた。
いや、大きなくくりでいえばよく見たものである。
ただ、山の上に建つ学校。その正門にあるには不釣り合いすぎる高級車が目の前にとまっている。
車には詳しくない私でも見たことがあるほど有名な高級車。黒く光沢あるボディー。疎い私ですら手入れが行き届いていると分かる圧倒的な輝き。
私たちに遅れて、存在に気づいたらしい生徒のざわめきが聞こえる。
「お嬢様。おかえりなさいませ」
高級車の片割れに恭しく頭をさげるスーツ姿の男性が立っていた。年齢と経験も重ねた深い皺。何事にも動じないと思われる落ち着いた雰囲気。
執事。そう表現するにふさわしい人間が、千鳥屋先輩が近づくと自然な動作でドアをあけ、千鳥屋先輩が持っていた日傘を受け取る。それに対応する千鳥屋先輩も慣れたもので、その姿はまさしくお嬢様。
ゴシックロリータ服が、初めて状況に溶け込んでみえた。コスプレというには道に入った着こなしだとは思っていたが、正真正銘のお嬢様であるならば違和感がないのも納得だ。
「急いでいるんでしょう。早くいきましょう」
千鳥屋先輩が私たちの方を見て、なんでもない事のようにいう。千鳥屋先輩の言葉でドアを閉めようとしていた執事が動きを止め、私と香奈へと視線を向けた。何者か品定めするような鋭い視線を感じたが、瞬きする間に霧散する。
「お嬢様のお知合いですか?」
「後輩よ」
そう会話する執事には柔らかな雰囲気が戻っており、プロだ……と私はよく分からない感動を覚える。
物語の中だけの存在だと思っていたが、いるのか執事。現実に存在してたのかと変に高揚している私と、単純に驚いて固まっているらしい香奈。
動かない私たちを見て千鳥屋先輩は少しだけ呆れた顔をした。
「彰君のこと、知りたいんでしょ?」
その言葉を聞くと同時に、固まっていた思考が動き出す。というよりは、衝撃にさらなる衝撃を上塗りされ無理矢理動かされた。
「あまり人に聞かせる話でもないから、聞きたいなら乗りなさい。商店街につくまでの短い時間だけど」
そう言われてしまえば私たちに拒否という選択はない。千鳥屋先輩に話を聞くチャンスがこんなにも早く訪れたのだ。このチャンスを逃してしまったら、次はいつ来るか分からない。
「えっと……いいんですか?」
それでも高級車。お嬢様という情報にしり込みする。車に近づいたものの不安になって、側に立つ執事さんを見つめた。
「どうぞ、ゆっくりなさってくださいませ。お嬢様が後輩様をお連れしたのは初めてのことでして、私としてもお嬢様の交友が広がることは喜ばしい事でございます」
にこにこと目じりをさげて柔らかい表情を浮かべる執事さん。それが本心だと私には分かるが、先ほどの鋭い視線が気にかかる。
もしかして私を一瞬男と見間違えたという仮説が浮かんで、私はその考えを封じ込めることにした。言及するとお互いにとってよろしくない結果になりそうだ。
執事さんは私たちの分まで車のドアを開けてくれた。一般庶民の私と香奈は戸惑いが先にたち、わたわたと落ち着きない動作で意味もなく頭を何度も下げながら車に乗り込んだ。執事さんにとても柔らかな視線を向けられて、いたたまれない。
その間千鳥屋先輩は車にのっていたクマのぬいぐるみを撫でていた。本当にマイペースな人だ。
人見知りの香奈が千鳥屋先輩の隣はつらいだろうと、後部座席の真ん中に座る。香奈が座ったのを確認してから執事さんはドアを閉めて、運転席へと移動した。
「場所は商店街でよろしいですね?」
「ええ」
シートベルトを着用し、ハンドルに手をかけた執事さんが千鳥屋先輩に確認をとる。事前に話は聞いていたようで、念のためという軽いものだった。そのやりとりを聞いて私は少し引っ掛かりを覚える。やけに用意がいい気がする。
緩やかに車は動き出し、いつもは歩いて登り降りする景色があっという間に通り過ぎていく。広いとはお世辞にもいえない道路だが運転はスムーズで、執事さんの運転技術が高いことがうかがえた。
今後乗る機会がなさそうな高級車をまじまじと観察していた私は重要なことを聞きそびれていたことに気付いた。
「千鳥屋先輩、比呂君が誘拐されたって本当の事なんですか?」
私と同じく高級車に気をとられていた香奈がハッとした顔で私と千鳥屋先輩の方を見る。相変わらずクマのぬいぐるみをなでている千鳥屋先輩はチラリと私に視線を向けた。
「私が嘘をついているとでも?」
「……いえ、ただ、どこから話を聞いたのかと」
「……それを不思議に思うのは仕方ないかもしれないわね」
千鳥屋先輩はそういうと口元に手を置いた。考え事をするときの癖なのかもしれないが、お嬢様と分かったからか、乗っているのが高級車だからか、妙に様になる。
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