三話 暴走の彰と自由な先輩

3-1 急転直下

 具体的な目標がわかれば、問題が山積みだろうと何とかなるもの。そう私は実感していた。

 

 すぐ帰りたいと思っていた授業も、今後の計画を練っていればあっという間にすぎた。HRに遅れて駆け込んできた私と香奈に彰は何か言いたげな顔をしていたが、昼休みに机を合わせ、黙々と情報整理をする私と香奈に何かを思ったのか、首をかしげるだけで何もいってはこなかった。


 待ちに待った放課後。こんなに放課後が待ち遠しかったのは小学生以来。そんなことを思いながらHR終わりの挨拶と同時に私は香奈へと視線を向ける。すでに鞄に荷物は詰め終えているので、準備万端。香奈も同じだったらしく深く頷き返してくる。


 いつもと変わらず、遅くもないが、早くもない。マイペースに鞄に教科書や筆記用具をつめている彰の元に移動すると、彰は怪訝な顔でこちらを見た。

 少しではあるが、未知のものに対する恐怖が見える。そんなに私は怖い態度をとっているか? と考えたが、まあいいやとすぐさま思考を放棄する。彰には今まで散々怖い思いをさせられているのだ。少しぐらいやり返してもいいだろう。


「彰、準備できた?」

「……できたけど……カナちゃん、ナナちゃん、どうかしたの?」


 いつの間にか私の背後に近づいていた香奈。そして私の顔を交互に見ながら、彰は眉を下げる。教室でなければ問い詰められただろうが、他のクラスメイトの目があるためにいつもの調子で言えないらしい。聞きたいけど、聞けないというかすかな苛立ちを感じる態度に私は笑顔で答えて彰の手を取った。


「いやいや、一緒に部活行こうと思っただけ。ねー香奈」

「そうだね」


 同じくにっこり笑う香奈を見て、彰の表情が引きつった。男とは思えない。もしかしたら私よりも細いかもしれない腕を掴んで、教室を出る。この細い腕で自分より大きな男を投げ飛ばしたりするんだから、見た目で人を判断してはいけない。

 前までの私だったらそれで終わっていたのに、今の私は彰の見た目とのギャップを笑えない。彰はきっと強くなければいけなかった。見た目通りの可愛くてか弱い子であったら生きてこれなかったのだ。


 掴んだ腕は暖かい。そこに佐藤彰という人間がいることを証明している。それなのに彰が生まれた家では「彰」はいない。

 聞いた話と目の前の現実がかみ合わなくて混乱する。もしかして百合先生は私たちに嘘をついたんじゃ。そんな不自然な希望にすがりたくなる。


「ねえ、何かあったの?」


 普段であれば文句の一つもいうであろう彰が、心配そうに私に問いかけた。何かあるのは私ではなく彰でしょとのど元まで出かかった言葉を飲み込む。

 百合先生に口止めされたわけではないが、口にだして問い詰めていい問題ではない。口に出した瞬間、少しずつ築き上げてきた彰との信頼が崩れる。そんな確信があって、私は無理矢理笑う。


「さっさと小野先輩の問題解決したいなと思っただけ」


 聡い彰が私の下手くそな作り笑いに気づかないはずもない。それでも彰は「……そっか」とつぶやくだけで、それ以上私を追求することはなかった。


 そういう奴なのだ。

 人の事情に無遠慮に踏み込んでいくように見えて、本当に踏み込んでほしくない境界線は心得ている。逆に解決してほしい。助けてほしい。そういう気持ちが少しでも見えれば、悪役になってまで本心を引きずり出そうとする。

 人の感情に対して彰はとても敏感だ。そして不器用だ。


 今なら彰が聡い理由もわかる。彰自身が踏み込んでほしくない事情があって、どこかで気づいて助けてほしいと望んでいる部分があるのだ。だから小宮先輩にも日下先輩に引かなかったし、無理矢理にでも解決してみせた。

 それなのに、今の私に彰を救う力はない。


「ちょっと、ナナちゃん痛いんだけど。気合入りすぎじゃない?」

「ごめん!」


 気付かないうちに力をこめていたらしく、彰は嫌そうに眉をひそめる。それでも振り払おうとはしない。私の気が済むまで付き合ってやろうという不器用な優しさが見えて、本当にこいつはと思う。

 もっと分かりやすい態度をとってくれれば、もっと早く気づけたのに。

 そんな八つ当たりにも近い感情に、唇をかむ。表情を見られないように前を向いて、わざと大きめな声をだした。


「とりあえず部室でいい?」

「他にどこいくの。祠の前とか?」

「たまにはいいかもしれないねえ。子狐様寂しがってたよ」


 香奈が自然と会話に加わってくれたことにホッとする。

 穏やかな香奈と彰の会話はいつもと変わらない。「お稲荷さんかお茶菓子もっていけば機嫌よくならないかな」と神様に対してというよりは、子供の機嫌を取る親のような会話。いつもと変わらない、日常の会話を聞いて安心する。それなのに、どこか心の奥はざわついた。

 一度知ってしまったら、知らない前には戻れない。その事実を私は噛みしめる。


「子狐ちゃんにも会いたいけど、今日は部室待機かな。花音先輩くるかもしれないし」


 そう彰が言ったと同時、周囲がざわついた。昇降口まで進んでいたため、帰宅する生徒。部活に行く生徒と周辺にはそれなりに人がいる。といっても、それはいつもの事。それだけの人数がいれば騒がしいのも自然なことなのだが、そのざわめきは普段とは違ったものに聞こえた。


 何かに周囲の人間が驚いている。

 彰と香奈も不思議に思ったらしく、歩いてきた方向を振り返る。私もそれにならって、ざわめきの正体を確かめようと視線を動かした。


 見慣れた学校の廊下を学校には不釣り合いなゴシックロリータを着た少女が走っている。高い位置で結ったツインテールが走るたびに飛び跳ね、室内だというのに無意味にさした傘が揺れる。

 傘にぶつかりそうになった生徒や、その異様さに驚いた生徒が必要以上に距離をとり、廊下には不自然な空間が出来上がる。そのせいで学校の廊下を疾走するゴスロリ少女という怪談みたいな存在から目を離すことが出来ない。


「千鳥屋……先輩?」


 会いに来るかも。来なかったら会いに行こうと思っていた人物の登場だが、登場の仕方が異様すぎて素直に喜べない。正直逃げたいし、色々突っ込みたい。

 とりあえず走りにくそうだし、傘は閉じた方がいい。危ないと口にだす間もなく、思ったよりも俊敏な動きで近づいてきた花音先輩は彰に詰め寄った。


 さすがの彰も反応に困ったのか、引きつった顔で体を微妙にのけぞらせる。

 あの彰にこんな反応をさせるとは、千鳥屋先輩強い。なんて思っている余裕もない。


「か、花音先輩……なにかありました?」


 彰がなんとか平静を保とうと笑みを浮かべるが、普段の彰に比べると表情が硬い。頬が不自然に引きつっている。


 私と香奈はもちろん、実際には関係のない。その場に居合わせただけの人間も噂の美少年と美人な変人の邂逅を見守っている。誰も何も言えず、動けない。妙な緊張感の中、呼吸を整えた千鳥屋先輩は彰に真剣な顔を向けた。


「我が眷属が劣悪なる駄犬と共に、青の天使の秘宝を奪取したと天命を受けた」

「は?」


 思わず声を出してしまったのは私だけではなかった。固唾をのんで見守っていた多くの人間の頭に、はてなマークが浮かんでみえる。

 何言ってんだコイツという空気が周囲に満ちるなか、彰だけが瞳を揺らして、わなわなと体を震わせる。今まで見たこともないほどに青ざめた表情をした彰は、離すタイミングを失った私の手を振り払うと、目にもとまらない速さで鞄から携帯電話を取りだした。


 短縮で電話をかけた彰は、普段の猫かぶりが嘘のような苛立った、凶悪な顔つきで電話の相手が出るのを待つ。周囲に多くの人がいるなんてどうでもいい。自分の本性が知られようとどうでもいい。そう分かる、普段の彰であればありえない態度に私は何の反応もできない。

 香奈も同じだったらしく、驚きと戸惑いがないまぜになった表情で動くこともできずに彰の様子を見つめている。


「おい、リン!」


 電話がつながった瞬間に彰は怒鳴った。

 病弱で可愛らしい美少年。そのイメージを崩壊させる威圧的な口調に、周囲の人間は自分が叫ばれたわけでもないのに縮こまる。慣れている私と香奈でさえ、一瞬ビクッと身をすくませてしまったほどだ。


 というのにこの事態を引き起こした千鳥屋先輩だけは余裕の表情。先ほど走っていたとは思えない無表情で、傘をクルクルと回している。

 おい。お前。説明しろと感情のままにガラ悪く問い詰めそうになった瞬間、彰が叫んだ。


「ほんっとお前つかえねえぇ! 今すぐ来いよ。来なかったら八つ裂きにする。いや、来ても比呂ちゃん見つけたら八つ裂きにする! 逃げたら分かってんだろうなぁ?」


 ドスの聞いた脅し言葉が終わるか終わらないかのタイミングで、電話の向こうから何かが崩れるような、ぶつかるような。とにかく大きな音が聞えた。

 リンさんが慌てて動き出し、慌てすぎた結果何かにぶつかった。その図が脳内にうかぶ。おそらく顔は真っ青だろう。直接言われたわけではない私ですら真っ青なのだから。


「百合の鬼。その血族なだけはある」


 そうぼそりとつぶやいた千鳥屋先輩。それは「さすが百合先生の甥」ってことでいいんだろうか。

 一々意味を考えなきゃいけないの面倒だから普通にしゃべてくれと言いたいが、それよりも前に彰が千鳥屋先輩に詰め寄った。


「どこだ」

「……天命では商売の神が集いし神道と」

「商店街だな!」


 よくわかったなと私が脳内で突っ込む時間すら与えず、彰は下駄箱から靴をひっつかむと走りながら靴をはくという大変器用なことをしながら、校舎の外へと走り出した。


 「比呂ちゃん! 待っててね! お兄ちゃんが助けに行くから!」という絶叫がずいぶん遠くの方から聞こえる。姿はもう見えないし、音の響きからいってずいぶん遠くへ走って行ってしまったらしい。

 足が速いにもほどがある。何だアイツ。本当に人間か。もしかして彰も人外? なんて私は混乱したまま思った。

 たとえ人外だったとしても驚かない。それくらい人間離れした動きだった。


 あまりの驚きから静寂につつまれた周囲が、少しずつざわめき始まる。口々に驚きや恐怖、ショックなどという言葉が語られていくのを聞くと、今まで彰が築きあげてきた病弱な可愛い子という印象が消え去ったのが分かる。

 今見たのは夢だった。そう現実を受け止めきれていない人間もいるようだが、これだけの人数が目撃したとなれば、さすがの彰も誤魔化しきれないだろう。


 普段の彰であればこんなミスを犯すはずがない。徹底的に猫をかぶってきたのだ。面倒くさいといいながらも、その方が都合がいいからと。それを今になって、こんなにあっさりバラすような冷静さのかいた行動。そして最後に聞こえた「比呂ちゃん」という言葉。


 私は嫌な予感がして、事の成り行きを静かに見守っていた千鳥屋先輩に向き直る。

 周囲のざわめき、混乱の中で、やはり千鳥屋先輩だけは一人、涼しい顔でそこに立っている。違う次元にたっているとすら思える温度差は、千鳥屋先輩の神経が図太いというのもあるだろうが、他の人間に比べて事情を把握しているからこその余裕に見えた。


「先輩! どういうことですか!」


 私が詰め寄ると周囲の視線が集まったのが分かった。事の真相を知りたいなら私と同じく千鳥屋先輩の答えを聞いた方がいい。そう思ったのだろう。彰が豹変したのは千鳥屋先輩が言った言葉が原因だ。


「青の天使は究極の秘宝をうばわれ、錯乱し、正気を失った。我と同じ闇の世界に堕ちるのも時間の問題……」

「えっと、青の天使っていうのは彰で……。いやもう、面倒だし時間がないので普通にしゃべってくださいよ!」


 「先輩の厨二言語を解読している時間ないんですよ!」と叫ぶと千鳥屋先輩は少し考えるそぶりを見せる。細くしなやかな手を口元そえ、首をかしげる。綺麗な長い髪がさらりと流れて、学校内で日傘。ゴシックロリータに眼帯という視覚効果がなければ美少女に見えるのにと、残念な気持ちになりつつも、私は待つ。


「そうねえ。あの勢いでは駄犬はともかく圭一まで危なそうだし、事情を説明した方がいいわね」


 そう勿体ぶったわりには流れるように発せられた言葉が、周囲に新たな衝撃を放ったのが分かった。「しゃべった!?」「普通にしゃべった!?」と人に向けるにはおかしい感想がざわざわと広まっていく。気持ちは分かるがそれに同意している時間はない。早く彰の奇行の正体を知らなければ、二次災害、三次災害まで起こりそうだ。


「わかりやすくいうなら、彰君が溺愛している比呂君を駄犬、尾谷浩治と信じたくないけど圭一が誘拐し、いまは商店街にいるという情報を掴んだ。ってことね」


 さらりと告げられた言葉に私は固まり、香奈と顔を見合わせる。少しの間をおいて浸透した言葉の意味に気づいた私は、


「早く、もっと分かりやすくいってくださいよ!」


 そう叫びながら彰と同じく靴を乱暴に下駄箱から掴んだ。彰みたいに走りながら履くなんて器用なまねができないのが悔しい。背後から香奈も慌てて動き出す気配がする。


 商店街までどのくらいかかる。あの勢いの彰だったらとっくについてそうだ。っていうか尾谷先輩と小野先輩は何をやらかしてくれたんだ。犯罪だぞと心の中で罵りながら慌てて靴を履き終えると、


「そう慌てなくても、迎えをよんだから商店街まで送るわよ」


 そういつのまにか靴を履き替えた千鳥屋先輩が、日傘をクルクル回しながら昇降口を出ていく後姿が見えた。


「何でそう自由なんですかぁあ!」

 私の懇親の叫びに、いくつもの同情の視線が突き刺さった。

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