2-4 再出発

 ほんの数分だったのか、それとも数十分たってたのか。どうにか聞いた内容を整理しようとしていた私には分からない。

 人がいるとは思えないほど静まり返った生徒指導室のの前を、がやがやと笑い声を響かせて通り過ぎる生徒の気配。声からして男子生徒。

 学校に来た時は、早すぎる時間のために他の生徒の姿はなかった。となると、それなりに時間がたったということだ。


 そういえばまだ朝だったという事実にいきつく。同時に疲労で体が重たくなったような錯覚におちいった。

 これからいつも通りに授業を受けなければいけないのかと今日の時間割を頭に浮かべながら、帰っちゃダメかなと先生が目の前にいるとは思えないことを思う。

 

 同じく朝から疲れた顔をした百合先生を見て、許してくれないかと淡い期待を抱くが、ダメに決まってるだろと即答される未来が見える。

 外見はヤクザだし、口も悪いが百合先生は意外と真面目である。外見で損しているといっていいほどに、彰に比べればずいぶんマトモだ。

 そう自然に比較対象として彰の姿が浮かんで、余計に気分が滅入る。


 教室で彰の顔を見たら平静を装える自信がない。聡いやつのことだから、何かあったとすぐに気づく。百合先生と話すということは事前に伝えていたから、百合先生が何か言ったと結び付けてしまうかもしれない。

 そう思うと昨日のメールは軽率だった。そう後悔するけれど、こんな展開になるなんて予想できるかとやけくそ気味に心の中で叫ぶ。


「そろそろ戻らないとまずいな」


 先生として準備があるのだろう、百合先生がおっくうそうにいうと腰を上げる。それに合わせて私もノロノロと動き出し、香奈も神妙な顔をしながら席を立つ。


「一応確認しておくが、他に聞きたいことはないよな?」


 聞かれても分からない可能性の方が高いが。とは口に出さず、百合先生は本当に一応、形だけといった様子で聞いてきた。

 本当に私たちが知りたいことに百合先生は答えられない。それが分かっていても、教師という仕事柄か聞かずにはいられなかったのだろう。何とも難儀な性分だ。


 聞かれた私も一応、何かないかとほぼ停止した思考を動かす。

 先ほどから答えの出ない問題を考え続けているせいで、ずいぶん思考は鈍くなっている。だから条件反射のようなものだが、そういえばと引っかかっていたことを思い出した。


 だが、これは聞いていいのだろうか。そう私は眉を寄せる。香奈に視線を向けると香奈は不思議そうな顔でこちらをみた。


「答えられるかは別として、質問はいいぞ」


 さすが先生。香奈の時と同じく、私が迷っていると察したらしく、百合先生は話を聞く姿勢で私に向き直る。彰と言い百合先生といい、妙に察しがいいのは血筋なのだろうか。


「じゃあ、お言葉に甘えて聞きます。彰君って弟がいるんですよね」

「妹もいるぞ」


 忘れないでくれというように付け足された言葉に、そういえばそういっていたなと私は思い出す。

 彰が長男で双子の弟に妹の三兄妹。その事実に不思議な感覚を覚える。

 比呂君を可愛がっている彰は兄バカとしか言えない様子だったが、百合先生の話を聞く限り実の妹とは離れて暮らしている。存在を隠されたというのがどこまでの話だか分からないが、妹が彰のことを知らない可能性すらある。


 複雑すぎる家庭事情に私は眩暈をおぼえるが、何とか耐える。色々と聞きたい事、調べたいことはあるが一番気になっているのは、双子の弟のことだ。


「彰の双子の弟って……亡くなったって聞いたんですけど……」


 私の言葉に百合先生は目を見開いた。何でそれをと表情が語り、険しい顔で何故か周囲を見渡した。ぐるりと部屋の中を天井、床までくまなく見渡して、それから私と香奈に距離を詰める。

 急に険しい顔の百合先生が近づいてきたから、私はとっさに後ずさりそうになった。香奈は私の制服の裾をつかむことで、何とか耐えたようだ。


「誰から聞いた?」

「一応、彰から……?」


 聞いたというよりは会話の流れで出たの方が正しい気がする。

 さらに正確にいうなら彰から直接聞いたというよりは、子狐様、クティさん、リンさんから少しずつ情報が付け足された結果ともいえる。そう改めて現状を確認したことで、彰を取り巻く状況が奇妙なことに気づく。

 なぜ彰のことだというのに、本人よりも周囲。しかも人外といえる存在の方が彰の事情に詳しいんだろう。


「……ってことは、まだ見えてはないんだな」


 ぼそりと呟かれた言葉に、沈みかけていた思考が浮き上がる。

 驚いて百合先生を見ると、百合先生はしまったという顔をした。その反応で私は気付く。百合先生は、クティさん、子狐様が見え、リンさんが隠したがっている彰の双子の弟が見えている。


「百合先生! 彰君の双子の弟って!」

「しー! 大声出すな。アイツどこで聞いてるか分かんねえんだよ」


 百合先生は大きな体を小さくすると、挙動不審に周囲を見渡す。先ほどの意味の分からない動きは、何かがいないか確認するためのもの。そう気づいた私はゾッとした。

 さっき百合先生は天井や床など、人がいるはずのない場所も見ていた。つまりはそういった所にいる可能性もあるということだ。

 幽霊だから。そう言われればそれまでだが、自分には見えない存在が天井や床から自分を見つめている。その姿を想像すると鳥肌が立つ。


 見えない。そう分かっているのに周囲を見渡すと香奈も同じ行動をとっていた。腕をさすっているところを見るに、同じ心境らしい。


「アイツに関しては……まあ、そのうちな」

 唯一見える百合先生が周囲を見渡してから、つぶやく。


「お前らはそのうち見えるだろうから、本人に直接聞いた方が早いと思うぞ。お前らならアイツも話すかもしれねえし」

「それってどういう……」


 幽霊が見える彰、幽霊を食べるマーゴさんに見えなかった。子狐様とクティさんは突然見えるようになった。そういった条件からいって私たちが急に見えるようになるのはあり得ない話じゃない。でもなぜ百合先生は、そのうち見えると確信しているのだろう。


「アイツの見える条件はちょっと特殊でな……条件当てはまったら霊感の有無に限らずに強制的に見えるようになる」

「なんですかそれ……」


 それなら偶然、本当に何も知らずに条件に当てはまった人間がいたら見えてしまう。そういうことだと私は気付いて、なんて迷惑なと思う。心の準備ができている私や香奈ならともかく、全く知らない人間が急に幽霊が見えるようになったら頭がおかしくなったとパニックに陥っても不思議ではない。


「条件についてはいわない。いうと意識しちまって見えるようになるかもしれねえ。それはお前らにとっても、アイツにとっても本意じゃねえだろう」


 百合先生の言葉に色々と聞きたいことはあったが私は口をつぐんだ。たしかに、今急に双子の弟の幽霊が見えるようになったら私は彰とまともに話せる気がしない。いきなり挙動不審になったら彰だって何事だと思うだろう。


「……彰君が見えないのは条件が当てはまってないから。ってことでいいんですよね?」

「……悲しいことにな」


 そこで百合先生は顔をゆがめた。妹のことを思い出す時に見せるものと同じ、深い悲しみの滲んだ表情に私は何でと思う。

 双子の弟の幽霊が見える条件。それは一体何なのか。そう聞きたくて仕方ないのに、聞いても答えてくれない。それが分かるから喉の奥に何かが引っかかったような、そんな落ち着かない気持ちになる。


「私たちになら、彰君の弟も話してくれるんですか?」

「可能性はある……と思う。俺よりは」


 香奈の問いに百合先生は眉を寄せた。なぜ? と私が視線で訴えかけると、表現しがたい顔をして、うめき声ともいえる声を出す。


「アイツはなあ、良くも悪くも彰が第一だ。彰のためになると思ったら何でもするし、ためにならないと思ったらどんなものでも排除する。そういう過激な奴なんだよ」


 思ったよりも恐ろしい評価に私は表情が引きつった。ぼんやりと抱いていた印象が打ち砕かれる。彰の事が心配で現世にとどまり続け、背後で見守っている双子の弟。

 不気味さと同時に悲しさも感じていたというのに、百合先生の話を聞くと悪霊の類のような気がしてくる。


 そう思ったところで子狐様、クティさんの反応を思い出す。あの時の彼女らの反応を見れば、たしかに悪霊を前に逃げだしたように見えなくもない。


「だから、お前らが彰と一緒にいるのを許されている。ってことは望みがあるってことだ」

「……全く安心できないんですけど……」


 出会ってから今まで彰に規格外。常識外れ。自由人。なんて散々な評価をしてきたが、もしかして弟の方がマズいのではないか。考えてみれば、成仏せずに彰の背後にずっとくっ付いているのだ。それだけでだいぶ怖い。


「見えるようになったら教えてくれ。あと何か重要情報きけたときも教えてくれ」


 何とも言えない微妙な顔で百合先生を見てしまったのだろう、百合先生は苦笑して私、そして香奈の頭を乱暴になでた。

 普段だったらセクハラですくらいいうところだが、いう元気もない。

 朝から本当に疲れた。


「そろそろお前らも教室に行け」


 そういうと百合先生は先に生徒指導室を出ていった。私たちにゆっくり考える時間をくれたのかもしれない。

 しばし生徒指導室の中でぼんやりと考えてみるが、考えはまとまらない。


「……なんか、すごいこと聞いちゃったね……」

「ほんとね……」


 彰が今まではぐらかしてきた理由も分かる。こんなことを気軽に話せるはずもない。

 それに彰自身も百合先生と同じように、分かっていないことの方が多いのかもしれない。双子の弟が背後にいる。その事実をリンさんが教えていないことから考えても、リンさんはさらに多くの事を彰に隠しているのだろう。


 それは彰を守るため。救うためなのだとは分かるが、どうにも引っかかる。傷つけないために真実を隠す。それは本当に良い事なのだろうか。それで彰は幸せになれるのか。


「……百合先生は調べても分からなかったっていってたけど、諦めたらそこで終わりだよね」


 行きつく先に予想もつかない真実が待っている。それは分かる。何しろ人間一人を隠すほどの秘密だ。彰が生まれた家の事情は全く分からないが、単純な話ではないだろう。

 だから気づかないふりをした方が私は平穏に生きられる。でもそれは、彰を見捨てるのと同じこと。そう私には思えてならない。


 きっと彰は私のことをバカというだろう。力もないのに、解決するすべも持たないのに、突っ込むのは愚か者がすること。そういうに違いない。

 私だって自分の事をバカだと思う。愚かだと思う。だけど、そう分かっていても譲れないものというものが世の中にはあるのだ。


「全く手がかりがないわけじゃないよ」

 静かに情報を整理していたらしい香奈が私の目を見ていった。


「何か知っていそうな子狐様、クティさん、リンさんは話してくれない。でも、まだ岡倉さん。それに千鳥屋先輩もいる」


 魔女の血族と呟いた千鳥屋先輩を思い出す。彰の幼馴染だという岡倉さんが話してくれる可能性は低そうだが、千鳥屋先輩はもしかしたら話してくれるかもしれない。


「……ってなると、千鳥屋先輩の信用度をあげるためにも小野先輩の問題を解決しないといけないわけだね……」

「そうなるね」


 千鳥屋先輩は癖が強い。バカ正直に教えてくださいといってもはぐらかされる気がする。だが、小野先輩への態度からいって情がないわけではない。情に訴えられるくらいの結果を出せばあるいは……。


「目の前の問題からコツコツとってやつだね」

「きっと、何とかなるよ!」


 決意の表れのように両手を胸の前で握り締める香奈。その姿を見て、私は大きく頷いた。

 現状は分からない事ばかりだが、絡まった糸も一つ一つ、諦めずに解いていけば答えに行きつくはずだ。

 私は新たな目標を胸に香奈と頷きあうと、生徒指導室を後にした。


 ほどなくなった朝のHR開始を告げるチャイムに、慌てて走り出す。

 重苦しい感情はチャイムの音と共に消えていき、残ったのは強い決意だけだった。

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