2-3 真実は腹の中
「知らないって、どういうことですか?」
「……彰は俺の妹の息子。それは間違いない」
小宮先輩の愛猫を探したときに見せてもらった写真。そこに移っていた彰の母親だという女性は彰にとてもよく似ていた。彰が女であったなら、少なくとも外見だけは瓜二つに育っただろう。
あの写真から見ても、血がつながっていないとは考えられない。というのに、百合先生は険しい顔をしたままだ。
「俺は妹からアキラって息子がいるって話を生前聞いたことがねえんだ」
「は?」
一瞬言葉の意味が理解できなかった。何とか百合先生の言った言葉を思い出し、かみ砕き、飲み込んで、それでも意味が分からない。
「えっと、それは子供が生まれたことを隠されていたっていう……」
「それなら、なんとか、まだ理解もできる。そんなことうちの天使がするわけねえけど、嫁いだ先がアレだしな……」
アレという言葉に百合先生は隠さない憎悪をにじませた。
百合先生の強面になれたと思っていたが、その表情に息が止まる。香奈はひぃっと声をあげて、私に抱き着いた。
どういう事なのか聞きたいが、あまりにも強い感情を前に私は口を開くことができない。きっと百合先生だって私たちを怖がらせようとしているわけじゃない。これは感情が抑えきれずに漏れ出たもの。そう思えば、余計に触れるべきことじゃない。
「……まだ、子どもの存在を丸々隠してたなら理解ができる。けどな、彰以外の子供。双子の弟と末娘が生まれたってことはちゃんと報告がきたし、会ったこともある。彰の存在だけを俺は知らなかった」
何だそれ。
それが正直な感想だった。
「なんで、彰君だけ?」
眉をよせた香奈の言葉に私は内心同意した。それが本当に分からない。
「知らねえよ……手紙には詳しいことは書いてなかった」
「手紙?」
「妹が死んだ後に、妹から手紙が届いたんだ。自分が死んだら出してくれるように誰かに頼んでいたんだろうな」
写真でみた可憐で優しい印象が少しだけ変わる。見た目に反して賢く、聡く、先を見通して行動する女性だったらしい。
外見とのギャップと思ったところで彰を思い出し、親子なのだと感じた。
彰が八歳の時に亡くなったと聞いたから、一緒にいた時間は少ない。それでも血の繋がりは確かに残っている。それが他人だというのに少しだけ嬉しい。
「その手紙になんて書いてあったんですか?」
「先に死んでごめんって謝罪。今までの感謝。それに……幸せだったって……」
百合先生は文面を思い出したのか泣きそうな顔をする。もう何年もたっているのになんて口が裂けても言えなかった。それだけ百合先生にとって妹の死はつらく悲しく、忘れられないものなのだと言葉から、表情から伝わってくる。
百合先生はいったん落ち着くためか深呼吸する。それから少し間を開けて、今度は盛大に顔をしかめた。
「……そこまでだったら、感動で話は終わるんだけどな……。妹は最後のお願いだって妙な事を書いてたんだ」
いくら考えても解けない問題を前にしたような、不可解そうな顔をして百合先生はテーブルをにらみつけた。
「まず自分には子供がニ人ではなく三人いる。長男で、名前はアキラ。アキラは事情があって世間的には居ないことになっている。本当は嫌だったけど、アキラや他の子たちの安全のためにも従うしかなかった。私は幸せだったけど、アキラのことだけが心配。もし家を出ることをアキラが選択したらかくまってあげてほしい。そう書かれてた」
想像もしていなかった言葉に私は何もいえない。香奈はどうだろうと視線を向けると大きな目をこぼれんばかりに見開いて、少し間を開けてから私の方を見る。互いに顔を見合わせるが、言葉が出てこない。
「彰は家の事情でいるのに、いないことにされてて、その家から逃げて百合先生のところにきた。そういうことですか?」
「簡単にまとめるとそういうことだな……」
百合先生はらしからぬ弱り切った顔をした。それに対して私は新鮮さを覚える余裕もない。おそらく私も似たような顔をしているだろうから。
「四月に教室にいなかったのは……」
「彰ってどうやったって目立つだろ。小学校、中学校と目立たないようにしてたみたいだけど、あの性格だしな……いっそ籍だけ入れて出ない方が楽なんじゃねえかって話になったんだよ」
「じゃ、じゃあ! もしかして、私たちと会わなかったら、子狐様の事件がなかったら、彰君は……!」
「今もお前らのクラスは空席だった。来年も、再来年も。それでも高校卒業って証明書は出してもらえる。そういう条件で彰は入学した」
信じられない言葉に私は言葉を失った。
祠の事件が解決した後、一週間かけて説得したと笑いながら教室に現れた彰を思い出す。その時はなんて自由なやつだくらいにしか思っていなかった。
けれど、その選択は彰にとっては軽いことではなく、今後の人生すらも左右するような大きな選択だったんじゃないか。
分かりにくいやつだとは思っていたが、分かりにくすぎる。なんでもっと重要そうな反応をしないんだ! こんなの気づくはずがない!
そう叫びだしたい気持ちを私は拳を握り締めて耐えた。今ここで百合先生にぶつけたってどうにもならない。ぶつけるならば彰に直接ぶつけなければ。
そこまで考えて私は冷静になる。いえるのか? だって、彰は何も悪くない。家の事情に振り回された被害者。きっと私たちと会ったあの日も、嘘ではなく本当に散歩をしていたのだ。
家にいても暇だけど、学校に行くこともできないから。
「彰君はずっと隠れ続けないといけないんですか?」
香奈の質問に百合先生は答えなかった。ただ顔をしかめただけだったが、それは肯定したようなものだ。
子狐様は彰は契約した一族の末裔といっていた。同時に魔女に呪われた一族ともいっていた。千鳥屋先輩も何かを知っている様子だった。
僕の家、色々と面倒なんだよ。そう言って口を閉ざした彰を思い出す。
面倒なんて話ではない。何で大事なことを言わず、誤解されても訂正せず、何も問題ないみたいな顔をしてるんだ。
そんな理不尽ともいえる怒りと悲しみ。ほかにも色んなものがごちゃまぜになった強い感情を抱く。そんなに私たちは信用できないか。そう思って、それも仕方ないと冷静な部分が告げる。
だって私と彰が出会って数か月しかたっていない。ずっと時間を共にしたわけじゃない。彰がどういう環境で育ち、どういう事情を抱えているのかまるで知らない。
知っているのは規格外で、分かりにくくて、天邪鬼。でも根っ子の部分では人を見捨てられない不器用なやつ。そのくらい。
そんな奴にこんな重たい事情を話せない。彰の性格からいって巻き込みたくない。そう思っているのも分かる。それでも、それでもだ。何で何も言ってくれないんだ。そうぐるぐると感情がめぐって、喉の奥が熱い。
ここまでの感情を抱くのは生まれて初めてだ。
「隠し子……とかそういう……」
「単純に考えればそうなんだけどなあ……どうにもそれだけじゃなさそうなんだよな……」
百合先生はそういって苦虫をかみつぶしたような顔をした。
「彰を引き取ってから調べてはみたんだが、調べれば調べるほどうさんくせえ話が山ほど出てくる。出てきすぎて逆に分からねえ」
「どんな家なんですかそれ……」
私が聞くと百合先生は少し迷うそぶりを見せてから、唇を引き結ぶ。
「ここまできて教えてくれないんですか!」
「うるせえ! 大人のやさしさだ! 関わらねえほうがいいんだよ、あんな家!」
「そういってますけど、うちの学校の理事長って彰の遠縁なんでしょ! 先生教えてくれないなら調べますからね!」
叫びながら思う。そうだ、分からないなら調べればいい。こっちには調べものが得意な香奈がいる。そう思って私は期待に胸を膨らませるが、百合先生の視線は冷たいものだった。
「調べたいなら調べればいい。どうせ何も出てこねえ」
「そんなわけ……」
「ある。俺だって関本理事長が遠縁だって聞いて繋がりを調べたけどな、手がかりすら見つからなかった」
そういうと百合先生はふてくされたようにテーブルに肘をついた。苛立っても見える態度は子供じみていて百合先生らしくないが、指摘する余裕がない。
「じゃあ、百合先生、なんでこの学校選んだんですか」
「俺が選んだんじゃねえ、リンに言われたんだ。ここだったら遠縁で融通が効くし、隠れ蓑にもってこい。面白いものもいるし退屈しねえだろって」
予想外の人物の名前があがって私は固まった。
何でリンさんがそんなことを知っているのか。人ではないから。それは短絡すぎる答えではあるが、全くの見当違いでもない気がする。だが、本当にそれだけなのか。
そもそもリンさんは、何で彰と一緒にいるんだろう。同じ存在であるクティさんは人を嫌っているし、マーゴさんは友好的であるけれど人と話すのは久しぶりと言っていた。つまり人と行動はともにしていないという事だ。
というのにリンさんは人と共にいる。
そういえば、クティさんは言っていた。リンさんは「ずっと魔女のところにひきこもっていた」と。
「百合先生……魔女に呪われた一族って何なんですか」
答えが返ってくる望みは薄い。そう知りつつも聞かずに入られない。胸の奥にたまったもやもやを吐き出したくて仕方なかった。
香奈もすがるような目で百合先生を見つめている。
私と香奈、ニ人の視線を受け止めた百合先生は勘弁してくれというように、弱々しく息を吐き出した。
「俺が教えてほしいくらいだ……」
迷子の子供のような不安げな声と揺れる瞳で気付く。百合先生も私たちと同じ立場なのだと。
ヒントも何もなく、このままでは迷宮入りしそうだ。そう思って私が置き場のない気持ちをどうしようかと悩んでいると、百合先生はポツリと言葉を落とす。
「ただな……リンが何か……いや、おそらく全て知ってるはずなんだ……」
「リンさんが?」
「妹の手紙にはもう一つお願いがかかれてた。リンと名乗る全身黒尽くめの個性的な人が来ても、怪しい人じゃないから協力してあげてほしいって」
リンさんを個性的な人で済ませる豪胆さに、さすが彰の母親と私はまた一つ繋がりを発見する。いいのか悪いのは置いといて。
呆れている私とは違い、百合先生はあくまで真剣な表情で言葉をつづけた。
「リンは必ずアキラを助けてくれるから、信じて。そう書いてあってんだよ……」
「助けてくれる……」
マーゴさんが作り出した赤い景色。歪でゆがんだ赤の中、そんな赤よりもさらに禍々しい、血のような色の瞳をしたリンさんが、彰の胸に手を突っ込んだあの情景を思い出す。彰から取り出した何かを口に放り込んだ、化け物じみた。いや、化け物に違いない姿。
たしかに、彰を救おうとした。そうには違いない。記憶を消すことで、彰は悲しみから解放されて元気に過ごしている。
でもそれは、本当に救いと言えるのだろうか。
「……分からない事だらけで頭が痛い……」
「全くだ……」
私の言葉に百合先生が同意して、香奈が顔をしかめる。思わずもれたため息はニ人分余計に聞こえた。
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