2-4 一定量の好奇心

「おい、ガキ」


 すぐ近くから低い声が聞こえて、私と香奈は同時にビクリと肩を揺らす。完全に表情が抜け落ちたリンさんが子狐様を見つめている。ずっと笑っていただけに、無表情が恐ろしい。


 さっきまで勘違いかと思っていたプレッシャーが、肌を刺す。ぞくぞくと悪寒が走り、ドッと冷や汗が流れるのを感じた。狐様が本気で怒った、あの時よりも怖い。


 それを一身に向けられた子狐様は、青い顔をさらに青くした。過呼吸になるのではと心配になるくらい、不規則な息を吐いて、それでもリンさんからは視線をそらせずにいる。

 その姿は可哀想だったが、私にはリンさんを抑える力などない。


 香奈は今にも泣き出しそうな顔で、彰に抱き着いていた。もともとは彰を落ち着かせるために来たはずだが、今やその立場も形無しだ。


「リン……八つ当たりすんな」


 空気を変えたのは彰だった。大きく息を吐いて呼吸を整えると、じっとリンさんを見つめる。顔は未だに青いが、震えは収まったらしく、無言でリンさんを見つめる目は力強い。いつもの彰だ。


「僕としては、何の説明もしてないのに双子かって聞かれる状況の方が説明がほしいんだけど。そんなに広まってるわけ? プライバシーとかないの?」


 いつもよりも不機嫌そうではあるが、彰らしい軽口。

 少しだけホッとしつつ、同時に無理しているのではと心配になる。無理しないで。という気持ちも込めて背をなでると、彰がちらりと私に視線を向け、何ともいえない顔をした。

 

 お礼をいうべきか、言わないべきか迷っているような。照れているようにも見えれば、見られたくないところを見られたという恥ずかしさをごまかしているような。

 とにかく内心は複雑なようだ。


「……相手も有名だったし、ずいぶん長くかかったからな……。それなりに長く生きてるやつは皆知ってんじゃねえか」

「……他人事だと思って面白がって」


 彰は不機嫌そうに舌打ちした。彰らしからぬ荒っぽい口調に低い声、相当お怒りなことは分かる。


「ねえ、彰……双子って……?」


 聞かないふりをするべきだったのかもしれない。そう理性は告げているが、好奇心が邪魔をする。彰のあの過剰ともいえる反応を見ると、見て見ぬふりをするのは難しい。


 彰は一瞬固まるが、すぐに体の力を抜いた。いつも通りに見えるが、先ほどの姿を見た後だと嘘くさい。自然すぎて逆に不自然だ。どうにか自然に見えるよう、気を使っているようにしか見えない。

 

 その様子を見て、私はすぐに後悔した。

 やはり、聞かない方がよかったのではないか。そう思い、誤魔化そうとしたところで鋭い視線を感じた。


 先ほどまで子狐様に向けていた冷たい視線が、今度は私へと向けられていた。

 心臓を突き刺されているような冷たさ。私は凍り付くが、リンさんは無表情でこちらを見てくる。今だ青い顔で震えている子狐様の気持ちが、痛いほどよくわかった。

 この人は逆らってはいけない存在だ。


「だからリン、子狐ちゃんとナナちゃんいじめないで。大人げなさ過ぎでしょ」


 凍り付いた空気を壊したのは、またしても彰で私はホッとする。リンさんは不本意そうではあるが、彰が止めると視線を緩めた。よくわからないが、リンさんの中では彰が最上位らしい。逆に言えば、彰以外はどうでもいいのだろう。子狐様に対しても、私に対しても一切の容赦がない。


 彰の背をなで続けていた香奈にお礼をいうと、ふぅっと息を吐き出した。

 気持ちを落ち着かせているようだ。


「情けないことに、ちょっとしたトラウマがあってね」


 そういって彰はぎこちなく笑う。私の疑問に対する答えだと、少し間を置いて気が付いた。笑おうとして失敗した、ぎこちない笑顔が彰らしくなくて痛々しい。そんな顔をさせて知った事に、私は胸の辺りが締め付けられた気がした。

 普段が傍若無人なだけでに、弱っている姿を見ると落ち着かない。


「子狐ちゃんの予想通り、僕は双子の弟がいたよ」


 いた。彰はそういって悲しげな笑みを浮かべた。

 過去形の言葉に私と香奈は同時に息をのみ、それ以上何もいえなかった。


 いたということは、つまり、彰の双子の弟は死んでいるんだろう。

 母親もすでに亡くなっていると聞いていただけに、衝撃が大きい。なぜ、母親どころか弟まで。いったい彰の過去に何があったんだという疑問がわくが、気軽に聞ける話ではない。


「弟……?」


 何も言えず、静まり返った空間に子狐様のつぶやきが響いた。未だに青い顔のままだが、それでも困惑しているのが分かる。その反応があまりにも場違いで、私は違和感を覚えた。

 彰に双子の弟がいた。しかも、もう死んでいる。衝撃的な事実ではあるが、それに対して同情することはあったとしても、困惑する理由がわからない。


「ということは彰様が兄……? でも……、それならば呪いは……」


 そこまでつぶやいたところで、子狐様が再び目を見開いて固まった。見開かれた目は真っすぐに彰を見ている。少しだけ赤みが戻っていた顔は、先ほど以上に真っ青になり、ガタガタと身体が震え始める。


 その反応に困惑したのは私と香奈、そして彰だった。

 彰は突然の子狐様の反応に、不可解そうに顔をしかめるが、子狐様はそんな彰に気づいていない。

 ただ一点、彰をじっと見つめている。


 いや、彰というよりも彰の背後を見ている。座っている彰よりも子狐様が見つめる視線が、少しだけ高い。

 だが、そこには何もない。私が見えないだけで、何かがいるのか。そう思うほどに子狐様は何もない空間を凝視しているが、私には確かめようがない。


 彰も視線が合わないことに気づいたらしく、振り返って子狐様が見ている場所を見た。そして、いっそう顔をしかめる。

 彰にも子狐様が何を凝視しているのか、わからなかったらしい。


「好奇心は猫をも殺す。……いや、この場合は狐か」


 ぼそりとリンさんがつぶやいた。呆れと同情。それが入り混じったような声。

 言葉の意味を聞こうとした瞬間、子狐様が悲鳴をあげる。

 耳としっぽを逆立てた子狐様は、青い顔のまま見たこともないスピードで私たちに背を向け、次の瞬間には姿を消した。


 一瞬だが、私には祠に飛び込んだように見えた。


「あー……逃げた……」


 リンさんが心底呆れた様子でつぶやいたが、私も香奈も、彰すら事態についていけず、目を丸くする。


「……どういうこと?」


 この中では一番事情が分かりそうな彰に問いかけてみるが、これでもかってくらいに顔をしかめた彰は一言。


「わかんない」


 そう言ったのだから、私に事態が把握できるはずもなかった。

 

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