1-2 奇妙な男

「来た!」


 思考が若干遠のいていたが、それでもしっかり生徒は見ていたらしい。ここ数日で身についた技術だと思うと悲しいが、この茶番を終わらせるのには必要なことだ。


 私は喜びのあまり、思わず前のめりになる。変に体重をかけたせいか、木の枝がミシッと鈍い音を当て、慌てて態勢を戻す。太めの枝に座っているが、ここで落ちたら危ないし、精神的にもダメージが来る。安定した場所に改めて座り直すと、私は双眼鏡を目に当て、ターゲットを観察した。


 私が数日、木の上で下校生徒を見ていたのは趣味でも、ストーカーでもなくれっきとした調査である。

 いうなれば、特定の生徒に恋人がいるかどうかの確認だ。


 探っていたのは二年生で人気の美人の先輩。恋人がいるという噂はあるものの、相手の特定が出来ないために真相がわからず、告白したいが迷っているという恋愛相談が複数、狐の祠に届いたのだ。


 ここはあくまで、お願い事をする場所で、相談所じゃないんだけどと顔をしかめていたのが彰で、眉間にしわを寄せていたのは子狐様。

 恋を叶えてくれるという噂は広まったものの、信じているのはごく一部。その一部も恋のおまじないと同レベルの認識。信仰心には程遠い。


 コツコツと実績を積み重ねて、認知度と信用を上げていくしかない。そう彰は真面目に語っていた。

 話の内容だけ聞くと、どこかの企業のプレゼンのようで笑えて来る。

 神様の信仰心を上げるよりも、起業して成功する方が今の時代は簡単かもしれない。そう思うほどの途方もない話である。


 それでも、私は子狐様にやると言ってしまった。一度言い出したことを、中途半端に投げ出すのはよくない。

 それに、彰にものすごいバカにした顔をされそうなのが、想像だけでも腹正しい。今となっては後半の方が理由としての比重が大きくなっているが、原動力なんてなんでもいい。結果を出せればいいのだ。


 そうなったら、地味でも、客観的に見たら不審者でも、やるほかない。ここで投げ出して成果を出さなければ、ただの時間の無駄だし、本当に不審者になってしまう。


 私は気合を入れてターゲットの観察を続ける。

 ここ数日観察していても思ったが、人気な先輩だけあって確かに美人だ。

 整えられた長い髪に、遠目に見てもすっとした立ち姿。口元に手を当てて笑う姿は上品で、同性でもうっとり眺めてしまう美しさを持っているのだから、異性だったらイチコロだろう。


 そんな彼女に彼氏がいないというのなら、ダメもとでも告白したいと思うのが男というもの。彼氏がいたとしても、相手によってはチャンスがあるかもしれない。そう思ってしまうのも恋する故。


 こうして張り込みを続けて数日たつが、美人の先輩が誰かと一緒に帰る姿は見ていない。校内でも誰か特定の男性と親しくしている姿はない。やはり、彼氏がいるというのは噂だったかと私が思ったとき、美人の先輩に駆け寄る人の姿があった。


 背が高く、体格のいいイケメンである。

 制服ではなく私服であり、落ち着いた印象からみて高校生ではなく大学生。もしかしたら社会人かもしれない。


 一人坂を下っていた美人の先輩は、男の姿を視界に収めた瞬間に顔を上げ、双眼鏡越しでもその表情が輝いたのが見て取れた。走ってきた男に先輩も駆け寄って、向かい合う男女は一言二言、話をする。そして、自然に手をつなぎ、町の方へと足取り軽く歩いて行った。


「……彼氏……外部だったか……」


 そりゃ、校内で探しても特定できないよねえと、私は双眼鏡を外しながら遠い目をした。あんな美人の先輩がフリーなわけないのである。しかも、相手はイケメン。年上。これは太刀打ち出来ない。


 先輩に憧れていたであろう多くの男子に軽く黙とうをささげると、私はさっさと木を下りる。男子生徒たちには悲しい報告となるが、私はこんな仕事さっさと終わらせたい。今なら彰も、祠にいるだろうし、あとは彰が何とかしてくれると信じよう。


 双眼鏡を目立たないようにスクールカバンにしまうと、私は二時間ほどまえに下った坂を上り始める。

 寮生だというのに何で坂の上り下りしてるんだろうと、悲しくなるがそれも今日までだ。明日からはこんな面倒な仕事もしなくていいと思えば気分も軽い。鼻歌すら歌いだしそうな気分で、私は坂を上ろうと足を踏み出した。


「なーそこの彼女ー」


 ところで、背後からやけに軽い口調で声をかけられた。背を向けているので相手の姿は全く見えないのだが、口調からしてチャラい。ろくなやつではないと直感が告げる。


 それでも一応、人を見た目で判断してはいけないというし、声で判断もダメだろう。本音は無視して立ち去りたかったが、そこまでするほどの理由もない。ただ、なんとなく嫌な予感がするというだけの話だ。

 とりあえず、無言で振り返る。何となく返事をしてはいけないような気がしたのだ。理由は分からない。


 ちょうど山の入り口。坂の始まるギリギリ手前に男が一人立っていた。黒い髪に、黒い服。ジャラジャラとやけにアクセサリーを付けた、ちょっとお近づきにはなりたくない感じの男だ。

 

 その姿を見た瞬間、失礼とは思いつつもすぐさま背を向けて走り出したい衝動にかられた。本能は逃げろと告げるが、いくら何でも失礼すぎるという常識が私の体を押しとどめる。

 そんな私の様子を見た男は何故か目を細めた。まるで、私の内心を見透かしたように、おかしそうニヤリと口をゆがめて笑う。


 何だろう。顔に出てしまったのだろうかと私は焦るが、なぜか男の目から目を離せない。全身真っ黒だというのに、眼だけが赤く、色彩を放っている。その赤が鮮やかというよりは濁った、何だか一瞬、血を連想させて身体が震えた。


「そんな怖がらなくても。とって食べたりしねーし」


 そう言いながら男は、今度は人懐っこい顔をして両手を上げる。降参のポーズなのか、武器を持ってませんという主張なのか分からないが、警戒されることに慣れているようにも見えて、やはり素直に安心できない。


「……何の用ですか……」


 さっさと立ち去りたくて、固い口調で問いかける。ここで変な事を言われたら走って逃げよう。最悪は彰に助けてもらおうと、ポケットに入れていた携帯にばれないように手を伸ばす。

 そんな私を見て、男は苦笑した。警戒しきっているのが伝わったらしく、困ったなと頬をかく。


「そんな怯えなくていいって。ちょっと、山に入っていいか聞きたいだけで」

「は?」

 男の言葉に私は、せっかく取り出した携帯を取り落としそうになった。


「え?」

 私がもう一度、言葉にならない声を発すると男はにっこり笑う。どこかで見たことのある笑い方だ。


「大した事じゃないって、山に入っていいかって聞いてるだけ」


 もう一度繰り返された言葉に、ますます混乱する。

 予想外にもほどがある。別に入りたければ勝手に入ればいい。ここは私の私有地でもないし、校内は学校関係者以外立ち入り禁止でも山は別だ。春先には街の人も山菜取りに入ってきてたって話を聞くし、わざわざ許可を得るものでもないだろう。


「なーなー、いいの? ダメなの?」


 私が混乱のあまり言葉を発せられずにいると、男が焦れたように言葉を重ねてくる。正確な年齢は分からないが、おそらく成人はしているだろうに、子供みたいなしゃべり方だ。だがそれも、わざとらしさがあって、どうあっても好きになれそうにない。


「いいんじゃないですか」


 さっさと解放されたくて、私は投げやりに答える。

 私には男を拒否できる立場でもないし、権利もない。わざわざ質問してきた意味も分からない。とにかく、すぐに男から離れたかった。


「……いいんだな?」


 私の言葉に男はニヤリと笑った。念を押すようにじっと私を見て、実に楽し気に笑うと立っていた場所から一歩足を踏み出す。

 その瞬間、何だか私はとても嫌な感覚がした。理由は分からないが、してはいけないことをしてしまった気がする。


「……やっぱ、地の利はあっちが上か……」


 男は一歩踏み出した状態で、何かを確かめるようにじっと地面を見つめ、私には理解できない言葉をつぶやく。数秒そうしたと思ったら、いきなり顔を上げ、私へと視線を合わせた。


「あんがとー。助かった」


 そういうと、あれほど執拗に入っていいか尋ねていたというのに、あっさりと男は私に背を向けて立ち去る。私は言葉を発することもできずに、ポカンとその場に立ち尽くした。

 歩き去る男がひらひらと手を振っている。最初にかけられた声も軽かったが、去り方も軽い。


「えっ……何……?」


 疑問符が頭の中に無数に浮かんでいたが、ぶつける相手もおらず、私はふに落ちない気持ちのまま山を登ることになった。

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