三章 後ろの少女
一話 生真面目生徒会長と依頼
1-1 キューピッド
小さな足音が聞こえた。
子供の、軽い足音だ。
走っているのか、一定のリズムで地面を蹴る音がする。
「……っ!」
足音に続いて、声が聞こえた。
泣いているような、叫んでいるような。
よく聞こえないのに、何かを訴えかけてくるような、悲痛な声。
その音が聞こえてくるたびに、私は心臓をわしづかみされたような気持ちになる。
忘れるな。逃げるな。そう足音と声が、私を責めているようで、自分の心臓の音が体中に響き渡る。
私は唇をかみしめて、耳をふさぐ。
頭を振って、意識から足音も、声も遠ざけた。
「気のせい。気のせい。聞こえない」
そう、小声で何度も、何度もつぶやくけれど、足音も声も消えてはくれない。
歩調は歩きから、だんだん速足になって、最後は必死に走っていた。
自分の荒い息と、鳴り響く心臓の音がうるさいのに、それでも声と足音は追いかけてくる。
私は走りながら、耳をふさいで頭を振った。
「聞こえない。聞こえない!」
そう、何度も必死につぶやいたけれど、足音も声もいつまでも消えてはくれなかった。
***
木の幹に体を預け、私は重なる葉の間から下を見下ろす。
眼下には整備はされているものの、斜度がきつく登りにくそうな坂道が広がっていた。山の上というなんとも不便なところにある、私たちが通う学校へと続く唯一の道。
そんな道を使うのは、学校の関係者だけ。道を歩く人影は皆、私と同じ制服を着た学生たち。時刻は夕暮れ。ちょうど部活を終えた通学組が帰る時間帯。
何日も見ていると、見覚えのある生徒も増えてきて、名前は知らないが顔だけは知っている顔見知りが増えた。
といっても生徒にバレないよう、私は木の上にいるので、一方的な顔見知りだ。
一体、何をしているんだろう。
と、双眼鏡を握り締めながら、私――
眼下では私が木の上から見ているなんて、気付かず、考えもせずに生徒たちがのんびりと坂を下っていく。一人で歩いているもの、友達と談笑しているもの、走って下る勇者。自転車で下る猛者。すっかり見慣れてしまった光景だ。
見慣れた。そう、見慣れてしまった。
こうして木の上に上り、双眼鏡で下校する生徒を確認するという、一歩間違えば通報されそうな行動も一度や二度の話ではない。
「何してるんだ私……」
こうして、木の上で自分の現状を客観視して落ち込むのも、一度や二度の話ではない。もういい加減に、解放されたい。ダメなのかと涙目になりながら、双眼鏡を目にあてる。
ストーカー被害にあっていた先輩を助けようと奔走した自分が、まさかストーカーのような真似をすることになるとは思わなかった。
いや、ストーカーではない。
ちゃんと、れっきとした理由があっての行いだ。
行いなのだが……、事情を知らない人から見たら完全に危ない人だし、事情を知っても理解してもらえる自信がない。
「これも、あれも彰のせいだ……」
私は双眼鏡を持つ手を握り締めながら、事の元凶の名前を口にする。思った以上に低く、呪詛のこもった声となったが仕方ない。
だいたいは彰が悪いのだ。
さて、私が通う学校というのは山の上にある。
校舎の裏にはすぐ木々が生い茂っているし、登下校に利用する道も左右はずっと木々に囲まれている。
年に何度か、生徒が山の中に入って遭難するなんて笑えるのか、笑えないのか微妙なジョークが当然のように伝わっているし、校庭には鹿やら狸。しまいにはクマまで出没するような場所だ。
そうした一般的な高校というには少し……。いや、だいぶずれている環境に身を置くせいか、生徒や先生も変わり者が多いというのは、入学して数か月で嫌でも気づいてしまった。
わざわざ、こんな不便な学校に入学してくる時点で素質十分ともいえる。
そのうちの一人が私なので、これ以上の言及はさけるが、とにかく一般からはずれた思考回路の生徒が多いのだ。
一番身近といえば
真っ先に名前が上がるのが幼馴染というのが悲しい話だが、青春真っ盛りの高校生だというのに、オカルトにしか興味がないのだから仕方ない。
あとはこの前出会った
一時期、人間不信に陥っていた人間とは思えないほど元気になったのは良い事だが、日々、愛猫と恋人の惚気を垂れ流して生きているのはどうなんだろう。
うっかり廊下で遭遇して世間話が始まると、話の長い事、長い事。幸せそうで何よりですとはお世辞でも言い難い。非リア充からすれば一種のテロだ。
教師筆頭といえば、外見的にも目立つ
顔も言動もヤクザ。話せば意外と親身でよい先生なのだが、第一印象が悪すぎる。うちの学校でなければ採用されなかっただろう。
教師ではないが、女子寮の寮母さんも曲者だ。
なんでも学校、地域に関する情報をすべて牛耳っている影の支配者らしい。なぜそんな人が寮母にと疑問は尽きない。最近では、香奈がすっかり一番弟子ポジションに収まっていることも不安の一つだ。
香奈は一体どこに向かっているのだろう……。
ここまで来ると、一種の見えざる力が働いているのではないかという妙な不安に襲われるが、それがあながち勘違いとは言い切れない。
なぜなら、うちの高校にはお狐様という神様をまつった祠がある。
三百年ほどの歴史がある、地域密着型神様らしく、昔から山と周辺を守る神様として崇め奉られていたらしい。
しかし、近頃は神様を本気で信じているものも少数派だ。信仰心が消え、すっかり力の衰えたお狐様は最悪、消滅というところまで陥ったのだが、偶然居合わせた私と香奈、そして
至った……至ったのはいいんだけど……。
「何で、恋愛成就の神様ってことになってるんだろう……」
私は相変わらず、下校する生徒を双眼鏡で見つめながら、顔をしかめた。
双眼鏡のレンズに手をつないで、楽し気に話しながら下校するカップルが見えて、余計に空しくなった。
信仰心が薄れた神様を救う方法はただ一つ。失った信仰心を取り戻すしかない。
そのために私たちは、お狐様という神様をできるだけ多くの人に認識してもらおうと行動した。それは見事に成功し、高校内限定とはいえお狐様の名前は広まったのだが、広まり方が少々問題だった。
お狐様という神様は、地域密着型守り神。
つまり、この山とその周辺に悪いものを寄せ付けないという力しか持っていない。
間違っても、人様の恋愛をどうにかする力など持っていないのだ。というのに、様々な事情が重なった結果、お狐様は恋愛成就の神様として高校内に広まった。
結果、届く願い事の多くは恋愛にまつわるものだ。
だが、先も述べた通りお狐様に恋愛を成就させる力はない。では、どうするか。
悩む私たちに彰は笑顔で告げた。「お狐様ができないなら、僕たちで何とかすればいい。なるのさ、キューピットに!」そう高らかに告げた彰を見て、ついに頭がいかれたと思った私は悪くないと思う。
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