7-2 反撃

「小さなりでやるねー」


 少し離れた場所で状況を見ていた彰が、のんきに口笛を吹く。場違いすぎる反応だが、おかげで我にかえる余裕ができた。

 私は慌てて香奈へと走るとその手をひっつかみ、彰の近くへと避難する。あれだけ余裕なのだから、尾谷先輩と少女の間に挟まれるよりは安全だろう。


 彰はちらりと私と香奈を見ると、なにも言わずに少女と尾谷先輩へと視線を戻した。相変わらず少女は憤怒の形相で尾谷先輩を睨みつけ、獣のような唸り声をあげている。その周囲には少女の意思を汲んだように黒い影がそびえたつ。

 昨日に比べてその数は多く、大きさも存在感も圧倒的だ。


 少々気が立ってと少女聞いたときはウソだろ思ったが、あれは本当だったのだ。今の状況に比べれば、昨日のは軽い脅しだったのだとわかる。


 少女が手をあげる。その手の動きに呼応するように影が音もなく動き出す。一瞬で尾谷先輩へと間合いを詰めると、大きな手の形をした影が勢いよく振り下ろされた。


「うわぁ!?」


 尾谷先輩は間一髪で避け、後ずさる。それでも頬の辺りをかすったのか、血が一筋頬をつたうのが見えた。

 赤い血を見て、私はこれが現実なのだと理解する。夢ではなく、確かに現実の、人の命の危機なのだと。


 尾谷先輩も私と同じく気づいたのだろう。手についた血を見て青ざめた。それからすぐさま少女に背を向け走り出す。

 逃げなければという本能的に支配された不格好な姿だったが笑う余裕など私にはなかった。 


「逃がすと思うか」


 それに対して少女は笑みを浮かべた。昼に座布団に座ってお茶を飲んでいた姿からは想像できない、獰猛な、楽し気な笑みだった。

 

 尾谷先輩が逃げた方向に黒い影が回り込む。黒い影は巨大な獣の手から四本足の黒い獣へと姿を変え、威嚇するように一声鳴いた。その声が周囲の空気をビリビリと震わす。他の影も獣へと姿を変え、尾谷先輩を取り囲む。囲まれた尾谷先輩はパニックに陥りながら逃げ道はないかと周囲を見渡した。


「なんだよ! こいつら!」


 尾谷先輩の叫びに対して、獣は唸り声をあげるだけ。逃がすつもりはないようだが、すぐにとびかかることもない。

 尾谷先輩の周囲をぐるぐると回りながら唸り声をあげ、プレッシャーをかけ続ける。その姿はのど元を噛み千切る機会をうかがっているようにも、哀れな生贄で遊んでいるようにも見えた。


「あっさり殺してもよいのですが、それでは面白くありません。我が家を壊した責任、愚かな行為への懺悔を胸に刻んでから逝っていただきましょう」


 祠の前から動かないまま少女は微笑んだ。

 耳としっぽが獲物を狩る喜びで揺れている。五本のしっぽがそれぞれ別の生き物のようにうごめき、少女を取り囲む黒い影も歓声をあげるように揺れ動く。

 それはとても禍々しく、恐ろしい光景だった。


「謝る! 謝るから!」


 尾谷先輩が悲鳴のような声を上げた。

 それでも少女は笑うだけ。もう遅いのだと無言で尾谷先輩の願いを拒絶する。

 そんな少女を見て尾谷先輩が絶望的な顔をするが、それを見ても楽しそうに笑うだけ。クスクスと鈴のような軽やかな笑い声をあげて、満足げに笑う。


 その姿はどう見ても人ではなかった。


 私は思わず隣の香奈の手を握り締める。香奈は私以上に強く手を握り返してきた。

 ぼんやりと感じていた神様への恐怖が、今形になった気がした。逆らってはいけない、怒らせてはいけない。触れてはいけない。人ごときがどうにかできる存在ではないとすべての五感が私に訴えかける。


「このままじゃ尾谷先輩が!」


 香奈が目じりに涙をためながら私の顔を見上げた。泣きそうな香奈をみてどうにかしてあげたかったが、どうしていいか分からない。こんなことになるとは思っていなかった。


 犯人を連れてきて、犯人が反省して謝って、それで終わりだと思っていた。こんな風に誰かが目の前でなぶり殺しにあう光景を見るとは思わなかった。


「仕方ないでしょ。謝るどころか怒らせちゃったんだから」


 やけに冷めた声が聞こえて私は声の方向を向いた。

 彰は先ほどと変わらず、尾谷先輩と少女の様子を無表情で見つめている。そこに私たちのような焦りや恐怖はなく、なんの感情もうかがえない。ただ目の前で起こっている現象を眺めているだけ。その姿に少女に感じたのとは違う恐怖を感じる。


「仕方ないで済ませること? このままじゃ尾谷先輩死ぬよ」

「自業自得でしょ。謝るチャンスがあったのに自分から棒に振ったんだから。一人の命で気が収まるんだったら軽い方だよ。お狐様に怯える必要もなくなるし」


 彰は表情を動かさない。香奈が「酷い!」と珍しく声を荒らげるが、それにも反応もせずに尾谷先輩を眺めている。


 尾谷先輩の取り囲む獣の包囲網はじりじりと狭まっていた。ただ焦りを浮かべて、迫る獣を見ていることしかできない尾谷先輩。それを見て少女が満足げに目を細める。

 絶望的な状況だ。

 

 私と香奈が説得しようとも少女は止まらないだろう。それどころか私たちまで怒りを買うかもしれない。そうなったら私たちはなにの抵抗もできずに、尾谷先輩と同じ末路を迎えるだろう。


 少女に対抗できるとしたら彰だけだ。

 だがその彰は、尾谷先輩の生死には興味がない。助けようというそぶりが一切見えない。


 そこで私は引っかかりを覚えた。なにかとても大事な、重大なことを見落としているような感覚。


「軽い……」

「え?」


 とっさに出た言葉に香奈が戸惑いの声をあげた。今の状況でなにを言っているのかと、珍しく眉を寄せながら私を見上げてくる香奈に対応できない。

 彰も私のつぶやきが気になったようで、少女と尾谷先輩に向けていた視線をこちらに向ける。


 私は彰の顔をじっと見つめ、尾谷先輩が来る前のやり取りを思い出した。


「あんた、さっきの本心じゃないでしょ」

「七海ちゃん?」


 香奈が不思議そうな顔で私を見た。

 とっさに口から出た言葉だった。しかし口に出すと妙にしっくりくる。これが正解だと私はなぜか確信していた。


 尾谷先輩を待っている間に聞いた彰の言葉。あれは彰のしゃべり方にしては重く聞こえた。だからこそあれが本音なのだろうと私は思った。

 逆に言えば今の軽すぎる彰の言葉は本音ではなく建て前、嘘なのだ。


 彰は眉を寄せてなにを言っているんだという顔で私を見ている。だが、その反応も私の仮説を裏付けている。

 心当たりがなければ彰は無視するか、バカにしたように笑う。


「尾谷先輩が死んでも仕方ないってやつ。あんたの本心はそうじゃないでしょ」

「どういう意味? 僕があのバカを本当は助けたいとでも?」


 バカにしたように鼻で笑う彰。でもその反応は一歩遅かった。


「その通り。あんたは尾谷先輩助けたいのが本音」


 散々バカにされた仕返しに、私は意地悪く笑いながら彰を指さした。予想外の言葉に目を丸くする彰は初めて見る年相応の表情を浮かべている。それに私はしてやったりと思った。

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