七話 半端者二人と見守る幼馴染
7-1 神の怒り
私は反射的に閉じようとしていた目を見開き、声の主を探す。尾谷先輩も私と同じく、先ほどまでの怒りの表情を消し、驚いた顔で声の主を探している。
茹で上がった思考が一瞬で冷めるほど、少女の声は冷たく、魂に響くものだった。逆らってはいけない。無視してはいけないという本能を刺激する声だ。
声の主、狐の祠の少女は壊された祠の前に立っている。
少女のことを知っていた私ですら、突然現れた少女に驚いたのだから、尾谷先輩の驚きはもっと大きいだろう。香奈への怒りも忘れて少女を凝視している。
注目を浴びる少女の表情は、どこまでも冷たく無だった。完全に軽蔑しきった目で尾谷先輩を見つめる姿は、直接見られたわけではない私が震えるほど。
私よりも間近にいた香奈が小さく悲鳴を上げた。尾谷先輩の時よりも明らかにおびえている。やはり見た目は子供でも、少女は人ならざるものなのだ。
「犯人分かったの?」
緊張した空気の中、相変わらず彰はのんびりした様子だった。先程までの険しい顔が嘘のようにリラックスした様子で背伸びをする。その変わり身の速さにも私は戸惑った。
「ええ。わかりました」
そう言いながら少女は尾谷先輩から視線を外さない。答えを言っているようなものだ。
状況についていけていない尾谷先輩は固まっている。気持ちはよくわかるが、同情する気持ちはわかない。
少女が尾谷先輩から目をそらさないということは、尾谷先輩が祠を壊した犯人なのだから。
「あなたが祠を壊したんですね」
疑問ではなく確信を込めて、少女は尾谷先輩に問いかける。静かな声だというのに威圧感のある。やっていなくてもやったと吐いてしまいそうな恐怖があった。
声をかけられた尾谷先輩は香奈の手を話し、こころなしか青い顔で後ずさる。
「な、なんの話だ」
「あなたが壊した祠の話です」
そういって少女は壊れた祠を指さした。
そこで初めて、尾谷先輩は祠があったことに気づいたように目を見開いた。
なんの警戒もなくここに来たことといい、尾谷先輩は祠を壊したことも、少女が祠を壊した犯人を捜しているという噂も、全く気にしていなかったようだ。
それを少女も感じ取ったのだろう、元々友好的とは言えなかった表情がさらに険しいものとなる。
「あなたが度胸試しと評して、遊びと鬱憤晴らしに壊した祠の話です」
「なにをいって……」
尾谷先輩は引きつった笑みを浮かべた。ここにきて、やっとまずいと察したようだ。
誤魔化そうとしたのだろうが、尾谷先輩が浮かべた笑顔は一目で後ろめたいことがあるとわかるほど引きつっていた。少しも緩まない少女の圧からごまかせないと察したのだろう、今度は怯えをごまかすように少女を睨みつける。
「お前……なんなんだよ」
そういう尾谷先輩の声は震えていた。同時に震えている自分に戸惑っているようだった。
少女の見た目は中学生くらいだ。体型だって小柄で、本気で殴ったらふっ飛ばされそうな儚さがある。それなのに逆らえないと本能は叫ぶ。
目に見える光景との違いに、尾谷先輩が戸惑っているのが分かった。
「貴方が壊した祠の、管理者とでもいいましょうか」
「管理者?」
少女の落ち着いた言葉に、尾谷先輩は眉を寄せた。
「こんなボロボロの、なんのためにあるかもわかんねえものの、なにを管理すんだよ」
尾谷先輩の言葉で、少女の怒気が増す。
いった本人も感じたのだろう半歩ほど後ずさる。それでもなんとか持ちこたえたのは、子供の女の子相手に逃げ出すわけにはいかないという意地に見えた。
「神様がいるとか本気で信じてんのか? んなもんいるわけねえだろ」
尾谷先輩は少女をあざ笑う。怖がった事実を隠すための強がりだと分かるが、相手が悪すぎた。
少女の周囲の空気がさらに重く、深くなり、低い唸り声のようなものまで聞こえ始める。
それでも尾谷先輩は気づかない。
自分をごまかすのに必死なのか、鈍いのかはわからないが、どんどん悪い方向に進む尾谷先輩に私の方が逃げ出したくなってきた。
「本当に神様がいっるっていうんなら、俺が壊した時点で止めて見せろよ。神様なんだからそのくらいできんだろ」
しゃべっている間に調子に乗ってきたのか、自分が正しいと確信したのか、尾谷先輩のしゃべり口はどんどん強気になっていく。
「どうせ誰もこんな祠あることなんて知らねえし、気付いたって邪魔だって壊されるのがオチだろ。だったら俺の憂さ晴らしとして有効活用してなにが悪い。むしろその祠も本望じゃねえの。人の役に立てたんだから……」
「黙れ」
意気揚々と話していた尾谷先輩は、少女の低い声で金縛りにあったように固まった。それほど大きな声でもないがやけに響く。心臓をわしづかみにするような迫力があった。
動きを止めた尾谷先輩はここにきてやっと、自分が言い過ぎたことに気づいたらしい。
「ひぃ…」
香奈は今度こそ悲鳴を上げて後ずさり、私はとっさに香奈をかばうために駆け出した。
それほどまでに、少女の怒りはまずいと分かるものだった。
「人間風情が頭にのるな!」
少女の一喝がびりびりと空気を震わす。
自分よりも幼い子供が出す声とは思えない。聞いただけで体、魂すらも震え上がるような威圧に、私の足がすくむ。
なんとか眼球を動かして尾谷先輩を見ると、先ほどまでの威勢はどこにいったのか、だらだらと冷や汗を流しながら少女を凝視していた。
いや、少女から目を離すことができないのだ。
「素直に謝るならば許してやろう。そう思っていた私が甘かった。クズはどうあがいたところでクズ」
少女が吠えると同時に、少女を中心に大きな力が膨れあがる。少女の足元から昨日見た黒い影が吹き出し、塊、大きな手へと変貌する。
気付けば少女の頭には耳が生え、背後に大きな狐のしっぽが現れた。昨日見たときは一本だったしっぽは、今は五本ゆらゆらと不規則に揺れている。
「その性根、死んで叩き直せ」
それは死の宣告だった。
少女の目に温かな色は欠片もない。ただ目の前の人間を殺そうとする殺意だけが満ちていた。
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