6-5 見えない本心

「こんなところに呼び出して、なんの用なんだ」


 香奈に近づいた尾谷先輩はニヤニヤ笑いながら、わざとらしく聞いた。昼間の会話で用事は分かっているはずだ。

 実際は嘘なのでその問いかけは間違っていないのだが、気付いていっているようには見えない。


「ただのバカじゃない……」


 初めて尾谷先輩を見た、彰の感想がこれだ。

 不快なものでも見たように整った顔をしかめ、うんざりした様子で尾谷先輩を眺めている。その表情だけで人によってはダメージを受けるだろう。一見すると美少女に見えるので余計につらい。


 唯一の救いは尾谷先輩に彰の姿が見えていないことだ。このままなにも気づかずに終われば、ゴミでも見るような視線を向けられていることを知らずにすむのだから、その方がいい。


「えっと……その……」


 香奈は逃げ腰になりながら、なにかを話さなければと言葉を探している。視線は定まらないし相変わらず体は震えているが、なんとか逃げずに踏みとどまっている。


 私は香奈に対して小声でエールを送った。

 記憶を見るというのがどのくらい時間がかかるものかは分からないが、それまで香奈には尾谷先輩を引き留めてもらわなければいけない。


「私、そ、その……先輩の事を人から聞いて……」

「俺って有名だからな」


 えらそうに踏ん反りかえる尾谷先輩は機嫌がよさそうだ。よい意味ではなく悪い意味での有名なのだがそれはいいのか。注目を浴びれば内容はなんでもいいというタイプか。


 隣にいた彰の顔がさらに険しいものになった。彰はこういうタイプは嫌いらしい。

 それについては同意見だ。


「そ、それでその……」


 香奈は視線を泳がせた。これ以上なにをいったらいいか分からないようだ。正直に「調べました」といっても気持ち悪い女と思われるだろうし、調べた理由を話せば警戒されるだろう。


 もともと話すのが苦手という問題があるが、今はただの世間話ではなく時間稼ぎだ。私でも初対面の人間を引き留めるために話せと言われたら悩む。

 香奈も私も長時間おしゃべりをする方ではない。二人でいるときは同じ部屋にいてもそれぞれ別の事をしていたり、なにかをしながら話すのが常だ。会話だけで長時間ということはそれほどない。

 

 香奈はオカルト方面に関しては普段の大人しさが嘘のように話すが、それをここで発揮すれば間違いなく尾谷先輩は引く。それでは意味がないから香奈も話題に出さないのだろう。

 緊張しすぎて頭から抜けているのかもしれないが。


「……じれってえな……」


 視線を泳がせ、だんまりを続ける香奈に尾谷先輩が顔をしかめた。

 いい加減イラついてきたようだ。気が長い方ではなさそうだし、ハッキリしない香奈の態度に我慢できなくなったのだろう。

 まずいと私は腰を浮かせかけたが、なんとか踏みとどまった。今は出ていくタイミングではない。


「お前はさあ、俺に用があって呼び出したんだよなあ」

「そ、そうです……けど……」


 尾谷先輩が一歩前に出ると、香奈が反射で一歩下がる。その態度に尾谷先輩は眉を寄せた。なんだかおかしいとやっと気づいたようだ。


「お前、俺に告白したいんだよな?」

「えっと……その……」


 香奈は思いっきり視線を泳がせた。

 照れているという感じじゃないことは、離れた場所で見ている私でも分かる。照れているというよりは困っている、焦っているという様子だ。

 間近で見た尾谷先輩もそれに気づいたらしい。険しい顔で香奈をにらみつけた。


「お前……俺をおちょくろうってか?」

「そ、そんなことは……」


 否定しながらも語尾が弱い。

 曖昧な態度はますます相手に不信感を与えるのだが、根が素直な香奈はとっさに嘘をつけない。その態度で尾谷先輩は確信したのだろう。一気に香奈へと距離をつめ、香奈の腕をつかんだ。


「お前、いい度胸してんじゃねえか」


 そういう尾谷先輩の顔は怒りで歪んでいる。本気で怒っているのがわかり、私は香奈を助けるべく今度こそ立ち上がろうとした。


「まだ」


 それを制したのは彰だ。

 私の前に腕を突き出して、行くなと制止する。

 

「このままだと香奈が!」


 香奈は尾谷先輩に腕をつかまれて恐怖で震えている。元々涙目だった目は、今にも泣きだしそうだ。

 それでも必死に「ちがいます。誤解です」となんとか説得しようとしている。それが余計に助けなければという私の気持ちを強める。


「ここで君が出て行って、引き留められるの」

「そんなこといってる場合じゃないでしょ! 香奈になにかあったらどうするの!」


 他人事だと思って! という気持ちで彰の顔を見れば、予想外に真剣な表情で香奈と尾谷先輩を見ていた。眉間には皺がより、私以上に焦っているようにも心配しているようにも見える。

 涼しい顔で見ていると思っていた私は、熱した気持ちが冷めていくのを感じた。


「君が出ていって失敗したら、あの子の努力が全部無駄になるんだよ」


 香奈から目を離さないまま彰はいう。

 彰の姿を見て私は気が付いた。ただぼんやり座っているのかと思ったが、彰の体勢はなにかあればすぐに飛び出せるものだ。


「あの子が逃げてないのに、助けを求めてないのに、僕らが勝手に終わらせちゃダメでしょ」


 彰の言葉で私は香奈を見た。香奈は泣きそうだ。おびえている。それでも助けてとこちらに視線を向けることはない。尾谷先輩をなんとか説得しようと、不器用ながらも話続けている。

 香奈は自分の力でなんとかしようとしている。


 それに気づいて私は唇をかみしめた。

 他人事。香奈のことなんてなにも分かってない。そう思っていた。

 香奈が頑張っているのに保護者面で台無しにしようとした私の方が、よっぽど香奈を見ていないじゃないか。


「もうちょっと、たぶん、もう少しだから」


 彰は香奈から目を離さないまま、つぶやいた。それは香奈にエールを送っているというよりは、自分を抑えるための言葉のように聞こえた。

 彰は震えるほど拳を握り締めている。私よりも彰の方が飛び出したいのを我慢しているようだった。


 彰はなにを考えているのだろう。

 冷たい言葉に冷たい態度。容赦なくこちらを傷つけるというのに、今は幼馴染の私よりも香奈を心配しているように見える。

 言葉と行動がまるで一致していない。体と心が別々に動いているみたいだ。


「いい加減にしろよ、このアマ!」


 思考に没頭し一瞬香奈のことを忘れた私は尾谷先輩の怒声で現実に引き戻された。それは香奈の状況が悪化したという合図でもある。


 先ほどよりも香奈の腕を掴む手に力を込めた尾谷先輩は、逆の手で拳を握り締めている。握り締めた拳を振り上げる尾谷先輩の姿が、やけにゆっくりと私の目にうつった。


「香奈!」


 とっさに駆け出す。今回は彰も止めなかった。

 彰の様子をうかがう余裕もなく私は香奈の元へと走る。それよりも尾谷先輩の振り上げた手が香奈に届く方が早い。

 香奈はきつく目を閉じている。あれでは避けることは無理だ。


 尾谷先輩は急に現れた私に気づかないほど、頭に血かのぼっている。香奈から目をそらさない。これでは気をそらすこともできない。


 このままでは香奈が殴られる。

 香奈が殴られるところなんて見たくない。私まで目を閉じそうになった瞬間だった。


「女性に手を挙げるとは、感心しませんね」


 声だけでこちらを震え上がらせるような冷たい声が響いた。

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