5-5 最終的には意地
頭から氷水をぶっかけられたような気分だ。先ほどまでの怒りは本能的な恐怖へと塗り替わった。
彰は真顔で私を凝視し続ける。笑みが消えると整った容姿は人形のようで不気味だ。近くで顔を見た香奈が小さく悲鳴をあげて距離をとる。
視界のはしで少女のしっぽがぶわりと広がったのが見えた。
「君さあ、勘違いしてない?」
目は全く笑っていないのに、口元だけ笑みを浮かべて彰が首をかしげる。
「僕はね、祠のこともどうでもいいし、ここの生徒もどうでもいいんだよ」
「どうでもいいって……あんただってうちの生徒でしょ」
逃げそうになる心を押さえつけ、なんとか声を絞り出す。ここでひいては、負けてはだめだと思った。ケンカを吹っ掛けたのは私だ。せめて決着がつくまで放り投げることはできない。
とっくに敗北しているのかもしれないけど、意地だった。
そんな私の気持ちを彰は知らないだろうし、気にもしないだろう。変わらず冷めた表情でこちらを見つめている。
「一応そうだね。でも、それがどうしたの?」
そういって彰は私を嘲笑う。
「僕はいざとなったら逃げられるしさ、今回の件には関係ないんだよ」
「自分が逃げられれば、どうでもいいわけ」
「いいに決まってるでしょ。なんで名前も知らない他人のために、僕が動かなくちゃいけないの」
彰は本気でそう思っているようで、言葉には一切の迷いがなかった。
「君たちを助けたのは助けてほしそうにしてたから。たまたま目の前にいたから。偶然僕が暇だったから。それだけの話」
彰はそういうと大きな瞳で私を覗きこむ。香奈のキラキラした夜空みたいな瞳とは違う。底が見えない、私を飲み込んでしまいそうな瞳だった。
「助けてくれるとでも、協力してくれるとでも思ったの? 見ず知らずの君たちを? 名前すら知らない赤の他人を? 僕が無条件で助けると本気で思ったわけ?」
何も言えずに黙っていると彰がクスクスと笑いだす。
嫌な笑い方だった。おかしいというよりは馬鹿にしたような、心底軽蔑したような、聞いているだけで、体の芯から凍り付くような落ち着かない笑い声だった。
「君って身の程知らずだね」
彰は私を見つめて軽蔑しきった顔をする。
「自分が正しいと思えば、だれでも賛同して、協力してくれると思ってるの」
「……人を助けようとするのは当然のことじゃ……」
「当然? それは誰にとっての当然? 僕? 皆? 世間一般? 違うよね。君の当然だよね」
彰が立ち上がり、私に一歩近づいてくる。
「人を助けたい。いい心がけだよ。立派な精神だよ」
私の目の前に立った彰はしゃがみ込んで、私の目と視線を合わせた。逃がさない。目を離すことは許さない。そんな威圧を込めて真っすぐに私を見つめる。
「それなら君だけでやりなよ。僕は巻き込まずにさ」
「別に巻き込んでなんて……」
「巻き込んでるでしょ」
言い返そうとした私の言葉を、彰が頭からかみ砕く。
「君の友達を助けたのは僕。そこにいるお狐様の娘と話を付けたのも僕。祠を壊した犯人を見つけたのは君の友達。ねえ、君は何をしたの? 偉そうに説教できるようななにかをした?」
私はなにも言い返せなかった。彰のいう事は事実だ。私はなにもしていない。ただここにいて、話を見ていただけだ。
当たり前だ。私は関わり合いになりたくなかったのだ。関わろうと、行動を起こすはずがない。
「僕より君の方がどうでもいいって思ってる。関わり合いになりたくないって思ってる。それなのによく自分のこと棚にあげて、僕に文句いえたね」
「そんなこと……」
「ないって本気でいえるの。君がここにいるのは友達に付き合ってでしょ」
彰は容赦なく私の本心を暴き出した。
「本当は嫌だけど、友達が来たいっていったから。本当は興味ないけど、友達を放置もできないから。本当は巻き込まれたくないけど、友達を見捨てられないから。友達に全責任なすりつけて、自分は被害者です。って主張して、本気で考えてなんかいないくせに、自分で行動する気もないくせに、中途半端な正義だけ振りかざして、最終的にはたまたま通りかかっただけの僕になんとかしろって? 君こそ、僕に頼らず自分でなんとかしなよ」
ズキズキと胸が痛んだ。彰になにかされたわけじゃない。ただ彰はしゃべっているだけで、私を直接傷つけたわけではない。それなのに私は血が流れる錯覚を受けるくらい、胸が痛く、血の気が失せていた。
「関わりたくないなら関わらなきゃいいんだよ。友達なんて放っておいて逃げればいい。お狐様が目覚めるまで時間があるんだ。自分の気持ちに正直に逃げればいい」
彰は私の目をのぞき込みながら笑う。それは悪魔のささやきだった。
「僕は君を責めないよ。だって人間は自分のために生きてるんだ。自分を守るために行動することは、なにもおかしいことじゃない。生物としての本能だ。なんの力もないくせに、他人を助けられると思ってるやつらがおかしいの。君だってそう思うでしょ? だって君は、なんの力も持ってない。友達だって、赤の他人だって、ましてや神なんて、君一人で救えるはずがない」
彰のいうことは正しい。私がここにいてもなにもできない。私にはなにかを変える力などない。漫画やアニメの主人公のように特殊能力があるわけでもない。彰のように超常現象に対抗できる術を持っているわけじゃない。
いたところでなにもできない。なら逃げてもいいのだ。
「それでも……」
私は小さくつぶやいた。
すぐ近くにいる彰にも聞き取れないほど小さな、本当に小さな声だった。
今にも消え入りそうな声だったけど、それでも私は抵抗するほかなかった。
「聞いちゃったからにはなにもしないわけにはいかないでしょ」
確かに私はこの件にかかわりたくない。巻き込まれたくない。今でもそれは変わらない。
でも知ってしまった。祠を直さなければ、犯人を見つけなければ、最悪な事態が起こる。それを知ってしまったのだ。
そしてそれを知っているのは香奈と私だけだ。
「七海ちゃん」
香奈が泣きそうな顔で私を見ていた。
もしかしたら逃げるかも、置いて行かれるかもと思ったのかもしれない。そんな不安を大事な幼馴染に抱かせてしまった。それが悔しくて私は彰をにらみつけた。
「たしかに私はこんな面倒事関わりたくない。私は平穏でいたいの。あんたみたいなよくわかんないやつに関わりたくない」
「なのに、逃げもしないの?」
彰は目を細めた。面白がってるみたいだ。
「知ってて知らないふりするのは、面倒事に巻き込まれるよりもっと嫌でしょ」
「ずいぶん後ろ向きな選択だね。マイナスとマイナスでマシな方選ぶって」
バカにしたように笑う彰を私は遠慮なく鼻で笑った。
どういわれようとそれが私の性分だ。
文句を言いながら香奈を放っておけなかったのもそうだ。香奈の趣味に付き合うのは嫌だが、香奈が危険な真似をすると知っていて無視するのはもっといやだった。
自分でも厄介だと思うが、これが私の性格なのだ。
「バカだと思いたければ思えばいい。あんたにどう思われようとどうでもいいし」
「へえー。さっきまで怖がって震えてた相手に、よくいうね」
「勘違いしないで武者震いだから」
完璧に強がりだ。さっきまで本気で怖かった。正直にいえば今でも怖い。腕を組んで誤魔化しているがかすかにふるえている。
彰はさっきからニヤニヤ笑っているから気づいているだろう。気付いたうえで、私が無理して強がっているのを眺めている。
本当に性格が悪い。
「そう。じゃあ、頑張って」
彰はにっこり笑うと立ち上がり、座布団へと戻っていた。
「頑張るってなにを?」
突然空気が変わったことに驚いて、思わず聞いてしまう。彰は座布団へと座りなおすと、先ほどのやり取りがなかったかのように、自然な笑みを浮かべる。
「正義感あふれる君は、見ず知らずの人間が傷つくのを黙ってみているなんてできないんでしょ。ならやることは決まってるよね」
揚げ足をとる発言に私が唖然としていると、全ての流れを見ていた少女が小さくため息をつく。それから私に同情的な視線を向けてきた。
その目はいっていた「あきらめろ」と。
「尾谷先輩を見事ここに連れてきてミッションコンプリート。晴れて君はこの学校の救世主。ほら、さっさと誘惑でも悩殺でもしにいきなよ」
彰はそういって犬でも追い払うようにしっしと手を動かした。
「面白いから、今回は最後まで付き合ったげる。今日の放課後に連れてきてね」
期限までちゃっかり設けると、完全に私たちへの興味は失せたらしい。少女にお茶のお代わりをせがんでいる。少女の方は変わらず私たちに同情的な視線を向けていた。
「七海ちゃん……」
香奈が心配そうな顔で私の顔をのぞきこむ。私は痛む頭を押さて大きくため息をついた。
「動き鈍いな。早く帰らないと昼休みなくなるよ」
「御忠告ありがとう! じゃあ!」
しまいには呆れた顔でそんなことを言われて、私は勢いのまま立ち上がると大股で校舎の方へと歩き出す。後ろで香奈が律儀に彰と少女に頭を下げている気配がした。
かけよってくる香奈の動きを感じながら私は思う。
やってしまったと。
最後の逃げるチャンスを捨ててしまったと。
冷静に考えれば、あのまま逃げていた方が平穏に過ごせたに違いない。本気で逃げるなら、彰のいうとおり転校するなり、不登校になるなり方法はあったのだ。
後悔ともいえる感情が私の中でぐるぐる回る。
だが私はそれをすべて振り払った。
「こうなったらやってやる」
これはもう意地だ。
彰が腹立つから鼻を明かしてありたいというちっぽけな意地だが、それでも今の私には十分だった。
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