4-5 逃げ道は一つ

 結論からいえば寝て起きても記憶は消えなかった。むしろ一夜明けたことにより、現実だという実感が増してしまう最悪の事態だ。

 もはや言い逃れすらできなくなっている。


 私は最悪の気分で身支度をし、寮を出た。生気の抜けた後姿はゾンビみたいに見えたかもしれない。

 私とは対象的に香奈は人生で一番といえるほど輝いていた。


 いつもは存在を少しでも悟られないように身を縮こませ大人しくしている香奈が、上機嫌に鼻歌を歌いながら携帯を操作している姿は、ハッキリいって異様だ。

 視線に敏感で、一瞬目が合っただけで慌ててそらすのに今は教室中から集まる視線に全く気づいていない。


 調べることがあるからと私より先に学校に行った香奈が、教室に入ってきたのはHRが始まるギリギリだった。

 ギリギリというだけでも目立つのに、鼻歌を歌いながらスキップでの入場だ。しかも、それをしているのが普段は大人しい香奈だ。注目が集まらないはずもない。


 クラスメイトはぎょっとした顔をし、教室が一瞬静まりかえる。その光景を目にした私は「やらかした」と香奈の代わりに頭を抱えた。

 我にかえったとき、私の幼馴染は寝込むんじゃないだろうか。主に羞恥心で。


 私がそんな心配をしているとは露知らず、教室中の視線にも一切気付かないまま当の本人は楽し気に席についた。

 香奈の世界はいま、自分しか存在していないらしい。

 

 HRが始まると鼻歌はやめたものの、浮かれた態度は変わらなかった。一日ぶりに学校に来た担任も、普段の香奈との変わりように注意することも忘れて困惑する有様。

 先生ですらそうなのだから、クラスメイトが口に出せるはずもない。空気の読めない男子が話しかけようとし、ほかの男子に止められていた。


 触れてはいけない。突っ込んではいけない。

 そんな暗黙の了解が、気が付けばクラス中に広がっている。

 ここまで連帯感のあるクラスだっただろうか。昨日の百合先生の脅しもあって、変なものには極力近づかないという認識で固まったのかもしれない。


 その変なもの扱いされているのが自分の幼馴染だと思うと、ため息の一つや二つ、つきたくもなってくる。


 触れない方がいいとは思いつつも時間がたてばたつほど、浮かれる香奈の様子が気になってくるのは人の性だろう。三時間目が終わるころには、私の方にも視線が突き刺さるようになった。

 説明を求めものだ。


 香奈といつも一緒にいる幼馴染の私なら、事情を知っているとも思ったのかもしれない。その考えは正しい。私は香奈があんなに浮かれている理由を正しく知っている。

 だが、知っているだけに答えられなかった。


 長年追い求めていたオカルト現象に遭遇して上機嫌なんです。

 なんて正直に答えたら、ただでさえ人付き合いの苦手な香奈の交友関係がゼロ。どころかマイナスまで落ち込むのは予想がつく。私にできることは視線に一切気付かないふりをして、窓の向こうを眺めることだけだ。

 早く時間が過ぎろ。と今日に限って晴れ渡った空をにらみつけながら願った。


 昨日に引き続き落ち着かず、疲れる日常を何とかやり過ごすと四時間目の終わりのチャイムがなる。

 これで半分かと一息つきたいところだが、そんな余裕はない。今までは何とか視線をやり過ごしてきたが昼休みは長い。

 教室にとどまっていたら声をかけられるのは時間の問題だ。一人に声をかけられれば、ほかの者も便乗して声をかけてくる。そうなってしまえばなかなか逃げられない。


 私は平和な日常を望んでいる。

 刺激とか非日常とかそういったものは漫画や小説で十分だ。現実世界に持ち込んでほしくはない。だからこれ以上巻き込まれることも、振り回されることも勘弁願いたい。


 となれば逃げるのが一番。

 私は弁当をひっつかむとすぐさま教室を出るため動き出した。


「七海ちゃん!」


 あと一歩で教室を出られる。そんな絶妙なタイミングで声がかけられる。何度も聞いたよく知った声だ。よく知っているがいつもよりも弾んで、いつもより明るい声だ。


「一緒に来て!」


 振り返れば満面の笑みを浮かべた香奈が、お弁当を抱えて笑っていた。

 香奈は容姿が整っているから、うつむかずに笑えば可愛いのだ。そんな香奈が周囲を気にせず笑っているのは、一瞬目がくらむほどに輝いて見えた。

 実際クラスメイトの男子、何人かは惚けた顔で香奈を見ている。


 普段地味で大人しい子が笑うと可愛いって好感触だよね。と私は惚けた男子の内心を察しながら思った。

 でも、残念なことに香奈は……


「分かったの。祠を壊した犯人」

 オカルトに関してしか満面の笑顔なんて浮かべない残念少女だった。


 一瞬教室が静まり返る。

 昨日百合先生に話を聞いたばかりだ。当然の反応だろう。しかも普段は大人しい香奈が笑顔でそんなことを言ったのだ。クラスメイトたちの混乱は想像ができる。


「わかった、分かったから行こう」


 私は香奈の手をつかむと、引きずるようにして教室を後にした。クラスメイト達が正気に戻る前に逃げ出さなけれれば、質問攻めコースに突入だ。


「ちょっとまって! 坂下さん! 香月さん!」


 案の定、後ろからクラスメイトの呼び止める声が聞こえた。私は聞こえないふりをして、さらに速度をあげて走る。

 香奈が辛そうに止まってといっていたが、今回だけは聞く気がなかった。だいたいは香奈のせいだ。このくらい許してほしい。

 

 廊下を走る私たちを見て、通りがかった生徒たちが驚いた顔をする。

 軽く謝りながら私は真っすぐ昇降口へと向かった。

 なんでこんなことになってしまったのかと嘆きながらも、真っすぐに事の原因の所に向かっている自分の行動をおかしく思う。

 それでも足を止めることはできなかった。

 行かなければこの状況が好転することはないと、悔しいが分かっていた。

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