四話 逃げたい少女と逃げられない現実

4-1 休戦

 鮮やかだった夕日は沈みあたりは薄暗い。森の中はいっそう暗く、時間がたてばたつほど暗闇が深まっていくような気がした。

 香奈は私以上に緊張しているようで動きもぎこちなく、私の服をつかむ手には力が入っている。制服が伸びてしまうのではと心配になるが手を放してというのも酷な気がして何も言えない。


 私たちがいるのは壊された祠の前。

 祠は昨日見た無残な姿のまま放置されている。悲惨な状況に百合先生が顔をしかめた。私も見ていられずに目をそらす。


 昼間でも日がまともに入らない森は夜が深まるにつれ闇が濃くなるようだ。この場にいる理由を踏まえると息苦しくなってきた。


「ではお話ししましょうか」


 祠に背を向ける形で立っていた少女が口を開いた。落ち着いた口調ではあるが、冷えた目で私たちを見る姿にこちらへの好意は感じない。少しでも不審な行動をとれば息の根を止める。そんな気迫を感じた。


 私は唾を飲み込む。制服の裾を握り締めていた香奈の力も一層強くなった。私と同じく緊張しているのだろう。

 私たちを守るように前に立つ百合先生の後ろ姿はいざとなったら私たちを守らなければという気迫のようなものを感じた。


「話するのはいいけどさ、こんな暗いところで? 立ったまま?」


 緊迫した空気を壊したのは不満げな声だ。

 声と同時に少女のまとう空気に怒気が含まれた。それを敏感に察知した香奈が悲鳴をあげる。しかし事の元凶は全く気にしていないらしく、木々に背を預けリラックスした態度でそこに立っていた。


「彰……お前もう少し緊張感ってものを……」

「なんで僕が緊張しないといけないのさ。緊張するのはあっちでしょ」


 そういって彰は少女の方に視線を向ける。細められた目は獲物を逃さないという獰猛さがあるのに、口元は緩く弧を描いている。そのアンバランスさが恐ろしく、不気味だ。


 同じ高校の制服を着ているから同い年のはず。というのにこの差は何だろう。

 先ほどとは違う意味で緊張した空気が流れた。


「なぜ私が、緊張しなければいけないのですか?」

「だって君、僕らを頼らなければどうしようもない状況じゃないの? 祠を壊した犯人の目途立ってないんでしょ?」


 挑戦的に彰は笑う。そんなに煽るなと百合先生が焦った声でいったが、無視だ。少女の方も私たちには目もくれず彰だけを睨みつけている。

 私だったら身がすくみそうな視線を彰は楽し気に受け止めていた。見た目は少女のように可憐なのに、中身はとんでもない。


「たしかに犯人は分かりません。ならばここにいる人間を全員食い殺せばよいだけの話でしょ」


 少女はかすかに笑みを浮かべた。今までの機械じみた無表情に比べると、生気が感じられるだけに恐ろしい。

 香奈の服をつかむ力がどんどん強くなる。しまいには私の制服を引きちぎりそうだ。


「出来ないくせに、そういう脅しはいうもんじゃないよ」


 少女の獰猛な笑みをも彰は軽く受け流した。その余裕の出所がわからず私は眉を寄せる。


「出来るならとっくにやってるでしょ。長く眠っていたせいで君たちの力は弱ってるって聞いたよ。手っ取り早く回復するなら、手当たり次第に人を食べるのは悪い手じゃない。それなのにしないのはできないからでしょ」


 彰は微笑んだ。


「君たちを退治できる人間に目をつけられたら怖いものね。また追い回されて、今度こそ殺されたり封印なんてされたらたまったものじゃない。それに君の勝手な行動で、母親まで危険にさらすわけにはいかない。今までの行動はすべて君の独断」


 彰の言葉に少女は何も答えない。笑みをひっこめ、再び機械のような無表情で彰を見つめている。けれど、どことなく焦っているように見えた。


「君の母親は、まだ目が覚めていないんでしょ」


 彰がそういったとたん少女が動揺した。今まで無表情だった顔に焦りがうかぶ。


 私と香奈はというと突然出てきた、母親という言葉についていけなかった。

 お狐様という神様がいるということは知っていたが、その神様に娘がいるという話は初耳だ。

 彰がいうことが事実なら、目の前にいる少女はお狐様ではなくその娘ということになる。

 のだが……、本当なのだろうか。


「どういうことだ彰」

「簡単なことだよ。祠が壊されてたたき起こされたのはこの子、娘の方だけ。お狐様はまだ眠ってる。だから今回の件はこのくらいの被害ですんだのさ」


 彰は退屈そうな顔でいった。


「話に聞く限りお狐様っていうのは、子供好きは確かだけど、短気で気性が荒い。熟睡していたところを叩き起こされて黙ってるほどやさしい性格じゃないんだよ。目覚めた瞬間、目の前にいた人間を無差別に八つ裂きぐらい平気でやってのけるだろうってさ。のん気に犯人捜ししてるってことは、起きたのはお狐様自身じゃなくて娘の方だろうって」


 伝承を語っているというよりは、実際誰かに聞いてきたような口ぶりだ。私は不思議に思ったが百合先生はそれほど疑問には思わなかったらしい。

 それとも話を聞いた人物に心当たりでもあったのだろうか。元々怖い顔をさらに険しくして唸り声をあげた。


「つまり、今回はこの子の方が起きて運がよかったってことか」

「そうだね。母親に比べてこの子は温厚みたいだし、母親が起きる前に犯人を捜して祠を直そうとでも思ったんじゃない。そうすれば母親が起きた後、いきなり大暴れなんて事態は防げる」


 彰が確信しきった笑みを向けても少女は何も答えなかった。いや何も答えられなかったのだろう。悔し気に唇をかみしめている様は、それが真実だと肯定しているようなものだった。


「ってことは、最初から私たちを傷つけるつもりはなかったの……?」

 事態がやっと飲み込めたのか香奈が驚いた様子でつぶやく。


「そういうこと。君に対して影を使ったのも脅しだよ。本当に殺す気なんてなかったはずさ。祠には本当に狐の神がいる。お前らがやったことは恐ろしいことだ。さっさと祠を直して神の機嫌を取れって遠回しに伝えるため」

 

 彰はそこで少女をじっと見つめて、それから満面の笑みを浮かべた。


「遠回しすぎてわかりにくいよね」

「お前、隙あらば煽るのやめろよ」


 百合先生が呆れた顔で彰を見ているが、本人は視線を軽く受け流した。本当に見た目に反して肝が据わっている。


「最初は本気で無差別に食べてやろうかと思いましたよ」


 少女は彰の視線を受け止めて力なく答えた。落ち込んだ様子は可愛らしいが、いっていることはまるで可愛くない。私の顔は引きつり、香奈の制服を掴む手はさらに力を増した。


「私は所詮、半端者だったというとです。いざというとき覚悟が決められませんでした。人間を食料として見る覚悟が……」

「むしろ覚悟を決めてくれなくて良かったが……」


 百合先生が落ち込む少女を見ながら引きつった笑みを浮かべる。私も大きくうなずいた。目の前の少女が温厚で本当に良かった。


 少女は百合先生、私、香奈を順番に見て、背後に彰を見つめると息を吐く。諦めたようにも見えたし、疲れているようにも見えた。


「私はお狐様と呼ばれる神の娘です。以後お見知りおきを」


 そういって優雅に一礼する少女に、私は慌てて頭を下げる。香奈も、百合先生も頭を下げたが、彰は相変わらず木に寄りかかったままその様子を眺めていた。

 偉そうな態度に、何者なんだという思いがどんどん強くなる。


「今回の事件は彼の言う通り、私の独断のものです。私は母上が起きたとき激怒するのを防ぐため、祠を壊した犯人を捜しておりました」


 そういうと少女は片手を上げる。その動きに答えるように少女の周囲に青白い炎が現れた。

 宙に浮かんだ炎によって、暗かった周囲が明るくなる。青白い炎だというのに、不思議と光は柔らかく感じられ不気味よりも綺麗さが際立った。


「狐火?」

 香奈の興奮した声が、すぐ近くで聞こえた。


「勿体ぶってないで、さっさとやってよね」

 彰は相変わらず偉そうな態度だ。

 

 私も香奈も百合先生ですら、突然少女を囲むように現れた狐火に戸惑っているというのに、彰に動揺した様子は一切ない。最初から少女が狐火を出せることをを知っていたようだ。


 少女は彰の態度に眉を寄せたが、言っても意味がないと思ったのか、上げた手をゆっくりと動かす。

 青白い狐火は私たちを中心に円をえがくように等間隔で並ぶ。それは祠の周囲を照らす提灯のようだった。


「これで明るいでしょう」

「そうだね。僕が言う前に出来たらもっと評価上がったのにね」


 挑発的な笑みを浮かべる少女に、彰もまた挑発的な笑みを返した。ニ人の間にバチバチと火花が散るが、私にそれが止められるはずもない。

 ただ一人止められそうな百合先生は狐火の方に興味があるらしく、近づいて眺めていた。意外と好奇心旺盛なのか。


 私の後ろにいる香奈も興味があるらしく、視線が狐火から離れない。だんだん落ち着きもなくなってきた。見に行きたいが一人で見に行く度胸はないといったところか。


 香奈の視線を感じたが私はわざと無視した。

 青白い炎が自分たちを囲むように並んでるだけでも怪奇現象なのに、何でわざわざ確認しに行かなければいけないのか。


「危ないので祠によってください」


 狐火を観察していた百合先生と、木に寄りかかって動かない彰に向けて少女はいった。

 少女の言葉で私と香奈は少女へと視線を向ける。気が付けば少女の後ろにはまたあの黒い影が控えていた。けれど先ほどに比べて禍々しさは感じない。自分たちに害がないと分かったからか。


 私と香奈はおとなしく祠により、続いて百合先生、最後に億劫そうに彰が寄ってきた。

 全員祠に集まったのを確認すると少女は手を上げる。黒い影は目にもとまらぬ速さで私たちの周りをぐるりと回った。

 動きに合わせて突風が吹き抜け、私は思わず目をつぶる。その間に、祠を隠すように生えていた雑草は綺麗に刈り取られていた。


「これなら集中して話ができるでしょう」


 そう言いながら少女は最後にぱちんと指を鳴らす。音と同時に空中に座布団が現れ、気の抜けた音を立てて地面に落ちた。

 いったいどこから、というのは聞いてはいけないのだろう。


 少女はこちらの困惑などお構いなしに、座布団の一つに正座する。優雅すぎる姿は森の中より、落ち着いた畳の部屋の方が似合いそうだ。


「皆さんもどうぞ」


 少女がいうと影がゆっくりと移動し、私たちの前に一つずつ座布団を置いていく。

 初めてみたときは恐怖しか感じなかったというのに、今は飼いならされた犬のような気がしてくるから不思議だ。


 どうしようかと私と香奈が顔を見合わせ、百合先生が眉間にしわを寄せている間に

「さっさと座りなよ」

 彰は緊張感のかけらもなく、座布団の上にあぐらをかいて座った。


 可愛らしい外見と合わない、男らしい座り方だ。男なのだから当たり前なのだが、見た目が美少女なので違和感しかない。香奈も同じように思ったのか目を丸くして彰を見ていた。


「……とりあえず座るか」


 百合先生が動けない私たちを見ながらそういって座布団に座る。百合先生もあぐらだったが彰に比べるとしっくりくるというか、妙な貫禄があった。これでスーツに入れ墨をしていたら完全にヤのつく職業の人だ。


 百合先生に続いて私と香奈もやっと座布団に座る。座布団は不自然なほどに座り心地が良かった。


「さて、何から話しましょうかね」


 全員が座ったのを見届けると少女は頬に手を当て首をかしげた。今まで怖い印象が強かったがそのしぐさは子供らしく、可愛く見えた。

 これで後ろに控える影がいなければ完璧だったのだが、警戒をとくまで気を許していないということだろう。

 警戒しているのは私たちではなく、ただ一人に対してなのだが。


 少女を警戒させている唯一の存在、彰は退屈そうに肘をついている。その余裕の姿を見れば見るほど、何者なんだろうという疑問が膨れ上がった。

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