3-4 予想外の乱入者
香奈は目を見開いたままなにも答えない。少女はそんな香奈を無表情で見つめながら同じ質問を繰り返した。
「祠を壊したのはあなたですか?」
「あなたがお狐様……?」
唖然としたまま香奈がぽつりと、質問とも独り言ともいえない言葉を口にする。その言葉に今まで無表情だった少女の空気が変わった。人形のように整った顔立ちが歪む。離れているこちらにも怒気が伝わってきた。
「まずい」
百合先生が私を手で制しながら、焦った声をだす。私がその言葉に反応するよりも早く、少女はもう一度同じ言葉を香奈に投げかけた。
「祠を壊したのはあなた?」
先ほどよりも冷たく、明らかに怒りを含んだ声だった。私ですら恐怖で動けなかったのだから香奈には耐え切れなかったのだろう。後ずさりながら引きつった声を出す。
「答えなさい。あなたなの? 私の家を壊したのは」
離れた場所に立っていた少女が、香奈に向かって一歩近づいた。香奈は遠目に見ても分かるほどに顔を青くして震えている。
だから止めようと言ったのに。そう叫びたかったが、今はそんな余裕もない。
場の空気はピンと張られた、今にも切れそうな糸で繋がっている。それが切れたらどうなるのか、私には想像がつかない。
百合先生も気づいているから、私が近づかないよう手で制したままなのだ。
「答えろ。人間」
震えるだけでなにも答えない香奈に、少女が怒りをあらわにした。ぶわりと目に見えない何かが少女の周囲に渦巻く。それに合わせて風も吹いていないのに少女の髪と着物が揺れる。
香奈が悲鳴を上げて後ずさった。
声が出ないなら首を横に振ればいいのに、恐怖でそれすら思い浮かばないのか、香奈は震えたまま何も言わない。それに焦れたのか、少女はもう一歩香奈に近づくと怒りに燃えた目で香奈を見下ろした。
「なにも言わないというのは肯定か。お前がやったのか」
違うと私は叫べなかった。
絶対的な力の差。生物としての圧倒的な違いを目の当たりにして体が震える。声も出せず、指一本動かせず、香奈に近づく少女を見ていることしかできない。
「違う! そいつじゃない!」
動けない私と違い、百合先生は叫ぶと同時に少女に向かって走り出した。
このままじゃ危険だと判断したのだ。それが分かっても、私の体はまったく言うことをきかない。このままじゃ百合先生だってどうなるか分からない。わかっているのに、一言すら発することができなかった。
少女は走ってくる百合先生など眼中にないらしく、香奈から一切視線を動かさない。
少女の足元から大きな黒い影が現れた。影は手の形をしていた。大人でも軽々握りつぶせそうなほど大きく、指先には鋭い爪が見えた。あれで引っかかれたら香奈の体なんて一たまりもない。そう一目でわかってしまう禍々しさ。
絶対に勝てないと、人としての本能が叫ぶ。
少女は無言のまま動かない。指一本動かさず、声すら発しない。それでも影は少女の意に従って大きな手を振りかぶり、鋭い爪を香奈に向かって振り下ろす。
「香奈!」
このときになってやっと声が出た。今更出てどうするんだ。振りかぶられた手は真っすぐに香奈へと振り下ろされる。百合先生は間に合わない。
無理だ。助からない。
とっさに目を閉じようとした瞬間、どこからともなく現れた人影が、香奈と影の間に割って入った。
「だから関わるなっていったのに」
この場にそぐわない呆れ切った声が私の耳に届く。
香奈も百合先生も、今まさに香奈の命を奪おうとしていた少女も、予想しなかった展開に驚いて動きを止めた。
自分の倍の大きさの影を軽々と受け止めた声の主は、一つに縛った長い髪をなびかせ、少女に向かって場違いに笑いかける。少女に負けぬとも劣らぬ整った容姿に、高校の制服を着ていなければ小中学生に見間違える小柄な体系。
間違いなく祠の前で出会った謎の少年だ。
「
百合先生が少年に向かって叫ぶ。少年は百合先生を視界に入れると嫌そうな顔をした。知り合いなのだろうか。
というか彰という名前だったのか。
「いるなら自分の教え子ぐらいちゃんと見ててよ。死者が出たら流石にもみ消せないでしょ」
「もみ消すもみ消さない以前の問題だろ」
「それはそうか」
軽い調子で彰は答えて、大きな影を押し返す。たしかに人一人簡単に押しつぶせそうな重量感を感じたのに、あまりにもあっけなく影は押し返された。私の勘違いだったのかと思うほど軽い動作だったが、着物の少女は信じられないという顔を見れば本来ありえないことなのだろう。
「あなた……何者ですか」
「人に名前を尋ねるときはまず自分からって教わってないの? 狐の間だとそういう話ないのかな」
こんな状況だというのに、あくまでのんきな彰に少女は眉を寄せた。先ほどとは違う意味で不機嫌そうだ。
少女は彰の問いには答えず、彰の正体を探るように上から下までじっくりと観察する。その間に影は少女の後ろに移動していた。敵意が消えたわけではない。一歩でも近づいたら八つ裂きにする。そんな敵意のこもった目で少女は彰をにらみつけている。
「………あなた、魔女に遊ばれている一族ですね」
「……嫌な認識のされ方……」
余裕を崩さなかった彰が初めて顔をしかめた。魔女という単語に私も顔をしかめる。祠に神に狐に魔女。昨日からなじみのない言葉ばかり聞いている。
「そして母上様と契約した一族の末裔ですね」
ぶわりと少女のまとう空気が膨れ上がった。それに伴い、先ほどよりも大きく髪や着物がはためく。肉食獣を思わせる鈍く光る瞳が彰をにらみつけ、口からは獣の唸り声。少女の口から覗く白い歯は人間にしては長く鋭い。
気がつけば少女の耳には狐の耳、お尻からは大きなしっぽが生えていた。
祠に住まう狐の神様。お狐様。
嘘ではなく実在したという事実に鳥肌が立つ。
「そうかとは思ってたけど、やっぱり契約してたわけ」
少女の怒気を受けて彰は困った顔をした。
「契約しています。あなた方が忘れたとしても契約は切れておりません。あなた方は母上様との契約を守る義務があります」
少女はそこで言葉を区切り目を細めた。
「守らないとなれば、私も母上様もそれ相応の対応を取らせていただきます」
心臓すら凍り付きそうな冷たい声に、関係ない私の体が震えあがる。それに対して彰は困った反応はしているものの取り乱した様子はない。見た目は私と同い年、もしくは下に見えるのにこの度胸は何だろう。
香奈は予想外の展開に、恐怖よりも驚きが勝ったらしい。ぽかんと口をあけ、彰とお狐様のやり取りを見上げている。百合先生は彰がいればなんとかなると思ったらしく、私と香奈の中間地点くらいで立ち止まり、彰と少女のやり取りを眺めていた。
「そちらの言い分が最もだよね。契約しといて忘れてました。なんて最悪だと思うよ。でも、正直にいえは僕は君たちのことを今日初めて知った。正確にいえばそうかも? とは思ってたけど、確証を得られたのは今さっき」
彰は少女の目を真っすぐに見つめてほほ笑んだ。少女に負けず劣らず人間離れした、綺麗だけど恐ろしい笑みだ。
「僕は君とご先祖様が契約してたなんて知らなかった。だからここに来たのは偶然。そんな偶然この山に来ただけの僕、たまたまそこに居合わせただけの彼女たち。それを問答無用で八つ裂きにするほど君は非道な存在なの?」
「……」
彰と少女の間に沈黙が下りた。その間も視線はそらされない。そらした方が負けだというように二人の間に緊迫した空気が流れる。関係ないこちらまで呼吸を止めてしまう緊張感。こめかみを汗が伝う。指先一つ動かすことができずに私は少女と彰のやり取りを見守った。
「話も聞かず襲い掛かったのは私の落ち度ですね……」
先に目をそらしたのは少女の方だった。着物の裾で口を隠し、疲れたように息を吐きだす少女からは先ほどまでの怒気が消え、いつのまにか黒い影もいなくなっている。耳としっぽですら最初から存在しなかったかのように消え失せ、私は目を瞬かせた。
狐に騙されたような気分とはこういうことを言うのだろう。そこに立っているのは目を惹く容姿をしているだけの人間の少女に見えた。
「よかったー。話の分かる相手で」
今までのにらみ合いが嘘のように彰は明るい声をだす。わざとふざけたような態度に少女はかすかに眉を寄せたが諦めたように息を吐き出した。
「怖がらせて申し訳ありません。少々気が立っておりまして」
少女は今度は香奈に向き直ると深々と頭を下げた。人ならざる気配が消えれば見た目は中学生くらいの女の子だ。年下の女の子に丁寧に謝罪される形になった香奈はなんの反応もできずに目を瞬かせる。
「少々であれなの。こわー」
「あなたに言われたくはないですね。あっさり受け止められるとは、寝起きで鈍っているとはいえ衝撃でした」
反応できない私たちの代わりに彰が軽口をいった。それに対して少女も穏やかな口調で返す。お互い笑みを浮かべているにしては空気が刺々しい。打ち解けたのか、いまだ敵対しているのか分からないやり取りに私はどうすればいいのか分からなかった。
とりあえず、危機は去ったと思っていいのだろうか。私は二人を視界に入れつつ、恐る恐る香奈の元へと向かう。先に香奈のところにたどり着いた百合先生が香奈の手を引いて立ち上がらせる。私は慌てて香奈に走り寄っていまだ呆けた顔を覗き込んだ。
「ケガしてない?」
「大丈夫……」
ケガはないかと全身を軽く見ると、香奈は夢見心地な顔でつぶやいた。状況の変化に心がついてきていないらしい。それは私も一緒だったので安心する意味も込めて香奈の手を握る。
「……私生きてる?」
「安心して、ちゃんと生きてる」
握った手を強く握りしめ、目をのぞきこむようにして伝える。私と目を合わせた香奈はやっと意識が追いついたのか、泣きそうな顔をした。
「危なかったけどな」
私たちの様子を見守っていた百合先生が渋い顔をする。その表情は教室で見たときより怖かったが、今の状況では仕方ない。香奈は危うく死にかけた。彰が間に入ってくれなかったら、この手のぬくもりは消えていたかもしれない。
そうなると今度は彰の存在が気にかかる。突然現れ、明らかに人ではない存在である少女に対抗してみせた。彼は一体何者なのだろう。
「えっとあの子は……?」
彰の名前を呼んだのは百合先生だ。ということは百合先生は彰のことを知っている。探るように百合先生を見つめると、百合先生はあからさまに嫌そうな顔をした。
「こうなったら話さないといけないよな……」
百合先生はそうつぶやくと深々とため息をついた。
そんな百合先生にも、私たちにも一切興味を示すことなく、彰と少女は嫌味の応酬を続けていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます