3-3 噂の少女

 青い空にオレンジがにじみ始める時間帯、私は人気のない校舎裏でぼんやりと空を眺めていた。空の変化をじっくり見たことはなかったが、なかなか綺麗で面白い。できることなら心の余裕があるときに眺めたかった。いまの状況では素直に堪能することもできない。


 香奈は私とは別の、人気のない場所で待機している。噂の女の子は一人きりにならないと現れないからだ。


 一人よりはニ人の方が出会える確率はあがるという意見はもっともだ。もっともだけど存在しているか怪しい女の子を待つ行為は時間がたてばたつほど虚しくなってくる。

 

 最初の頃は緊張していたが、それも時間がたつにつれて緩んできた。今はさっさと帰りたいというのが本音だ。


『七海ちゃん、変化あったー?』

「空がきれいなだけでなにも」


 胸ポケットに入れた携帯から香奈の声がする。どちらかに女の子が現れたとき、すぐ駆け付けられるようにスピーカーモードにしてあった。

 ポケットに入れているため少し聞き取りにくい。携帯を持っていると警戒して近づいて来ないかもしれないという香奈の意見だ。お狐様がどこまで科学技術を理解しているかは分からないが、会える確率をできるだけあげたいのだろう。


 そこまでして不思議現象に遭遇したいのか。

 長い付き合いだが、香奈のオカルト趣味に関してだけは全く理解できない。


 今まで香奈に付き合った調査は全てガセネタだったが、深夜に出かけたり、不法侵入して怒られたり、それなりに怖い目にはあってきた。というのに全く懲りないのだから香奈は分からない。


 生身の人間相手だと怯えるのに、なぜ幽霊相手だと積極的なのだろう。普通逆じゃないか。


『今日は来ないのかな』


 考え事をしながらぼんやり空を眺めていると、オレンジの割合が多くなってきた。もうすぐ夕焼けに変わるだろう。


「さあね。私としては来ない方が嬉しいけど」

『そうなると明日も張り込みだね』

「明日もやるの!?」


 思わず声を張り上げ、胸ポケットに入った携帯を凝視する。そんなことをしても香奈に伝わらないことは分かっている。反射というやつだ。


『当たり前でしょ。噂の真偽を確かめなくちゃ』


 きっと電話の向こうの香奈は拳を握り締めている。その姿が脳裏に浮かんで私は額をおさえた。

 なんてことだ。香奈が飽きるまでこの張り込みは続くのか……。これを続けていたら女の子に会う前に私たちの方が噂になってしまう。


 これは本格的に香奈の興味をそらす方法を考えなければいけない。こうなったら適当に新しい怪談でもでっち上げようか。


「おい、こんなところで何してる」


 香奈対策を真剣に考えていた私は、突然聞こえた声に驚いて、大げさに肩を揺らした。


 夕暮れ時、人気のない校舎裏。人が来るなんて考えてもいなかったが、香奈みたいに興味本位で見に来る人がいないとは限らない。偶然通りかかった人なら適当に誤魔化せばいいが、香奈タイプだと面倒くさい。


 これ以上の厄介ごとはごめんだと思いながらゆっくり振り返った。そして視界に入った人物に思わず悲鳴を上げる。


「ゆ、百合先生!?」


 いま、最も会いたくなかった人物の登場に、血の気が引く。胸ポケットの携帯から不自然な声が聞こえた。私の声と言葉に香奈も驚いたようだ。


「なにしてるんだ? こんなところで」


 人一人どころか二ケタくらい始末していそうな凶悪な顔で、百合先生がゆっくりとこちらに近づいてくる。わざとらしく、一言一句ハッキリ発音したことから考えて、目的はバレている。


 この場にいる理由はおそらく見回りだ。香奈のような生徒が現れることを見越していたのだろう。さすが生徒指導の先生。子供の行動をよくわかっている。出来れば私よりも先に香奈を見つけて欲しかった。


 心の中の叫びを口に出せるはずもなく、私は石になったように硬い体をぎこちなく動かして、一歩後ずさった。


「お前、一年ニ組だな。俺の話聞いてなったのか?」


 近づいてきた百合先生は鬼の形相でこちらを見下ろす。男子と並ぶ高身長の私も男の中でも高身長な百合先生にはかなわない。間近で見上げると顔もそうだが、たくましさ体が際立って余計に怖い。

 睨まれただけだというのに心臓をわしづかみにされたような恐怖に私は震え上がる。


「……聞いてなかったのか?」


 百合先生はさらに眼光を強めた。ただでさえ怖い顔がさらに恐ろしくなり、私はとっさに「聞いてました!」と声を張り上げた。気分は軍人だ。


「なんでこんなところにいる」

「その……それは……」


 ちらりと胸ポケットの携帯に視線を向ける。ここで香奈の事をいうのは気が引ける。私ですら怖いのだから、気の小さい香奈が百合先生と対面したらショック死してしまう。


「答えろ」


 百合先生は威圧感を強めてこちらを見下ろした。質問ではなく命令だ。答えなければ許さない。そう百合先生の視線が告げている。

 私は心の中で香奈に謝りながら口を開いた。後で一緒に怒られよう。そう覚悟した時、


『七海ちゃん! 女の子!』


 胸ポケットに入っていた携帯から香奈の焦った声がした。私はその言葉の意味が分からず携帯を凝視する。意外なことに私よりも先に状況を理解したのは百合先生だ。


 教師とは思えない柄の悪さで舌打ちすると、

「どこだ」

 そう言って私をにらみつける。


「部室棟の裏です」

「……くそ」


 そう吐き捨てると百合先生は走り出した。私は惚けたままそれを見送って、我にかえると急いで後を追う。


 運動神経には自信があったが、百合先生はやけに早い。体格がいいから体は重そうなのに、走る動きは無駄がない。そのうえ障害物も難なく避ける小回りの良さまで発揮するものだから、本当に教師なのかと疑いたくなる。


 部室棟の裏手に回りこんだところで突然、百合先生が止まった。ついていくだけでも必死だった私はひざに手を置いて荒い息を整える。

 息を整え、改めて周囲を確認すると部室棟を背にして香奈がしりもちをついていた。


「香奈!」


 とっさに駆け寄ろうとしたところを百合先生が手で制す。意味が分からず視線を向けると、険しい顔で一点を凝視していた。

 私は嫌な予感を覚えながら百合先生が見つめる方向に視線を向けた。


 そこには森を背にして一人の女の子が立っていた。

 夕日を反射して輝く金髪は状況を忘れて見とれてしまうほど。小さな顔に大きな瞳、小さな鼻と口がバランスよく収まり芸術品のような品格を漂わせている。

 人間とは思えない美しさだった。


「祠を壊したのはあなたですか?」


 少女は香奈にそう問いかけた。

 鈴のなるようなその声は、距離は離れているのにハッキリと聞き取れた。

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