2-6 触らぬ神に
「そういうわけで、せっかく会心したお狐様だが守るべき対象を失ってしまったわけだ。自分の力が及ばなかったせいだと、相当落ち込んだらしい。いっそ死んでしまおうかと思っていたところ、お狐様の噂を聞きつけたとある男が、我が一族を守ってくれないかと交渉しに訪れた」
神様に交渉とは、また大胆なことをする人がいるものだ。今と違って当時は神や仏といった存在が普通だったのだろうか。
「お狐様は最初は渋った。子供の一族を守っている間に人間にはかなり愛着を持っていたんだが、見ず知らずの男の一族を守れ。と言われてすぐ了承するほどお人よしではなかったんだよ。男もそこは分かっていた。だから交換条件を出したんだ」
「交換条件?」
「守っていた一族との思い出の場所であるこの場は動かなくていい。それでも自分の一族を守ってくれるというのなら、狐の祠が建てられたこの場所に、常に子供が来るようにしよう」
「それで学校を建てたんですか」
百合先生はその質問に頷いた。
百合先生がうなずいたことで教室内がざわめく。皆反応は違うが驚いているのは分かった。この学校にそんないわれがあったなんて、想像すらしていなかっただろう。
「それからはお狐様と交渉した男の一族が代々この学校を管理し、お狐様は約束通りその一族を守っているらしい」
「この学校を管理している一族ってどんな一族なんですか」
クラスメイトの質問に百合先生はあからさまに顔をしかめた。
眉間にしわを寄せ、元々怖い顔をさらに迫力のあるものにして空中をにらんでいる。質問してしまった生徒が小さな悲鳴を上げたほどだ。
「……知らないな。どこぞの性格悪い金持ちだろ」
吐き捨てるように告げた言葉には怨念がこもっており、とても知らないとは思えなかった。わかりやすい態度だったが、突っ込んで質問できる猛者はいない。
空気を読まずに質問したが最後、明日の朝日が拝めなくなりそうな圧があった。
さすがの百合先生もそこまでしないだろうと理性はいっているが、本能は正直だ。
「つまりこの場所に子供の集まる学校があるっていうことが重要ってことだ」
空中をにらみつけていた百合先生は、生徒たちの怯えた視線に気づいたらしく、罰の悪そうな顔をしてからそう話を締めくくった。
少し緩んだ空気に私含めた全員がほっと息を吐く。
「お狐様はまだここに眠ってるってことですか?」
「そういうことになるな」
一息ついてから出た質問に、百合先生は当たり前のようにあっさり答えた。あまりにあっさり答えるものだから、一瞬教室が静まりかえる。
それから我にかえった生徒たちで教室が騒がしくなった。
嘘だ。そんなことありえるのか? でも祠があるし。昔話だろ。といろんな声が教室内に響く。
嘘だと否定する声にも百合先生はなにも反応しない。最初にいった信じるも信じないもお前ら次第という言葉は本心なのだろう。
「じゃあ、女の子の噂って」
ある程度ざわめきが落ち着いたところで、香奈が小さくつぶやいた。今まで黙っていた香奈だったが、疑問がつい口から零れ落ちたのだろう。
口に出したことに驚いたのか、つぶやきによって視線が集まったことに驚いたのか。顔を真っ赤にしてうつむいた。相変わらず恥ずかしがりやな幼馴染だ。
「お前ら、祠が校舎の裏にあることは知ってるだろ?」
百合先生が今までよりも低い声でそういった。茶化せる空気ではないので、私たちは正直にうなずいた。困った顔をしていた何人かは知らなかったのだろう。
「その祠が一週間ほど前、何者かに壊されたことも知ってるやつは知ってるだろ?」
息をのむ声が聞こえた。もしかしたら私もその一人だったかもしれない。
視線は真剣な顔をした百合先生から外れないし、一度は引いた冷や汗が噴き出すのを感じる。
「俺はお狐様は眠ってるっていったよな? あれはな比喩ではなく事実だ。昔はともかく今は世間も平和になった。自分がわざわざ守る必要もないだろうってお狐様は眠りについたって話だ。その眠っている場所が校舎裏にある狐の祠だ」
百合先生はそこで言葉を区切る。
次になにを言おうとしているか察してしまう。自分でも青い顔をしているのが分かった。視界の端に映るクラスメイトの何人かも私と同じ顔をしている。
「祠はお狐様にとっては家みたいなものだ。それを眠っている間にいきなり壊されたら、いくら熟睡してようと起きるだろ? 無理矢理叩き起こされ、家が壊されていることに気づいたらどう思うだろうな」
百合先生は表情を変えることなく淡々と語る。それだけに怖かった。真剣な顔が、これはお前らが思うよりも深刻な問題なんだぞと訴えかけてくる。
「いくら子供好きな神様でも、怒るだろうな。お狐様は温厚な性格じゃないと聞く。元は討伐されかかった大妖怪だ。壊した人間はどうなるか……」
百合先生は視線を下げた。
顔も名前も分からない祠を壊したという人間を、怒っているというよりは憐れんでいるように見える。ただでは済まないだろうと確信しているようだった。
「何度もいうが信じるか信じないかはお前ら次第だ。関わるなら覚悟を持って関われ。なにかあったとしても」
再び言葉を区切って、百合先生は教室をぐるりと見まわした。
「俺はお前らを助けられない」
それは生徒が危険に近づかないようにという脅しではなく、ゆるぎない事実。そう私に理解させるには十分だった。
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